第十一話 窓
22:14
ナカマのチャンネルは、百を超えていた。ハルトは上から順にスクロールしていく。料理名がひとつも読めないレストランのメニューを眺めるみたいに。
#scrim-finder。メッセージが次々に流れてくる。
「LFS tmrw 18-20 JST, avg 2.8k, bo2」
「Need scrim NOW, 3k+, dm」
LFS。Looking for scrim。自分で気づけたことが、なぜか少し誇らしかった。
最初に返事をくれたのは、ナギサという名前の男だった。プロフィールを見る限り、チームは三千前後。同格だ。四通のやりとりで決まった。明日、十五時、BO2。
それから、もう一つ見つかった。少し上のチームで、順位は七百から千のあいだ。都合がいいのは十七時、こちらもBO2。
窓が二つ。試合は四時間。ハルトは椅子の背にもたれた。
できた。たぶん。
そのとき、ある考えが頭に浮かんだ。馬鹿みたいで、当たり前で、とんでもなく図々しい考えが。
22:31
「ロック。スクリム、いらない?」
一分後に返事が来た。
「バカか?」
「うちにはマネージャーがいる。なんで俺に送ってくんだよ」
「お前のとこのマネージャーなんて知らないし。教えてもらってないだろ」
間。三つの点が、現れては消える。
「……わかったよ。しょうがねえな。うちのに聞いてみる。明日は大会だから、やるなら早め、十五時だな。大会前の肩慣らしならありかもしれない。待ってろ」
ハルトは画面を見つめた。
十五時には、もうナギサが入っている。
22:33 黒金オフィス
明かりがついているのは、一つの机の上だけだった。
日本でも指折りのクラブなら、ワンフロアぶんの人間が働いていそうなものだ。だが実際の黒金のスタッフは、指で数えられるほどしかいない。ミオの肩書きはシニアマネージャー。実際は社長の右腕で、ほかの誰の手も回らない仕事をすべて拾っていた。ユイは人事として採用されたが、やっていることは手続きではなく人探し、つまりスカウトだった。それをミオのもとで学んでいる。
本格的なチームでは、それぞれに持ち場がある。スカウトは人を探す。マネージャーは毎日チームを回す。スケジュール、練習、交渉。コーチはプレイを教え、アナリストは試合を分析する。黒金では、その席の半分が空いていた。だからこそ、あの面接を開いたのだ。ようやくマネージャーを見つけて、せめて仕事の一部を手放すために。
ユイはオフィスチェアの上で膝を抱え、もう何度目かわからない「発信」を押した。
呼び出し音。呼び出し音。「おかけになった電話は、現在……」
「なんでぇ……」ユイは机の端におでこを落とした。「ミオさん、百九十三番、また出ません」
「列で寝ちゃった子?」ミオは大会のスケジュールから目を上げなかったが、口の端がかすかに動いた。
「その子です!白い髪の!」ユイはがばっと起き上がって、ノートパソコンをミオのほうへ向けた。「番号もある、履歴書もある、写真もある。なのに本人がいない!十二時間も待ってたんですよ?十二時間!それで、自分の番の五分前に寝ちゃって。もう夢にまで出てくるんです」
「それ、もう恋じゃない?」
「ミオさぁん!」
ユイは耳まで真っ赤になって、パソコンの陰に隠れた。ミオが小さく吹き出す。
ミオのスマホが短く震えた。ロックだ。
「ミオさん、明日スクリムしたいってミックスがいるんですけど。早い枠、十五時。大会前の肩慣らしにどうですか」
ミオは一度読み、もう一度読んだ。肩が小刻みに震え出す。手のひらで口を押さえたけれど、笑いは漏れてしまった。小さくて、上司らしさのかけらもない笑いだった。
「どうしたんですか?」ユイがパソコンの陰から顔を出す。
「うちの男の子たちがね」ミオは目尻を指でぬぐった。「大会前に、ザコ狩りしたいんだって」
「大会前に!?正気ですか……」
「いいのよ。少し体をほぐしたほうがいい。あの子たち、ずっとそわそわしてるから」
ミオは打ち込んだ。「いいわよ。揉んであげなさい。しょうがないから入れておく。BO1までね」
ミックスの名前すら、ミオは開かなかった。向こうのマネージャーが誰なのかも、聞かなかった。
22:41
ハルトは二つのチャットを同時に開いていた。
一つは、もう話のついたナギサ。もう一つは、黙ったままのロック。
黒金がオーケーを出したのに枠が埋まっていたら、ミックスに二度と来ないチャンスを逃すことになる。今ナギサを断って黒金に断られたら、何も残らない。選択肢が増えるほど、本当に選べるものは減っていく。
十分。十五分。
「うちのがオッケーだって。十五時、BO1。ロビーは明日送る」
ハルトは息を吐いて、すぐにナギサとのチャットを開いた。
「もう一度ごめん。ずらせないかな?十五時がダメになって。十六時からBO1でどう?」
「……まあ、いいけど。でも正直、そっちのやり方、あんまり気持ちよくないよ」
「ごめん。本当にごめん。もうこういうことはしない」
それが本当かどうか、自分でもわからなかった。
「ロビーって何?」ハルトはロックに送った。
「マジで言ってる?」
「プライベートの試合だよ。サーバー立てて、コード送って、みんなで入る。お前のとこのやつらに聞け。知ってるから」
もちろん、彼らは知っていた。知らないのは、いつもハルトだけだ。
22:58
ハルトはHollow Crownのチャットに、明日の予定を貼った。
15:00 黒金 BO1
16:00 ナギサたち BO1
17:00 BO2
それから、十五時の相手の名前を。
チャットが静まり返った。
そして、爆発した。
「は?」
「これマジであの人たち??」
「ハルト何したの」
「俺らザコだぞ」
エルマは全体チャットには書かなかった。ロックに個別で送っていた。
「本気で俺らとやるんすか??頭おかしいでしょ」
ロックの返事は、絵文字ひとつだけだった。
ハルトは予定を見つめながら、ひとつのことだけを考えていた。世界でもほぼ最強のチームと、どうやって戦うのか。そして明日の十五時一分、自分は何をしているのか。
スマホのカレンダーを開く。画面を横切るひびの向こうに、文字が伸びていた。
「明日 シフト 12:00〜20:00」
予定を見る。もう一度、カレンダーを見る。
「……あ」
見るなら、職場からだ。これで。
画面を指でなぞると、ひびが皮膚に引っかかった。チャットの文字は半分、蜘蛛の巣に溶けている。こんなスマホでチームを回そうとしても、どんなチームも支えきれない。
ハルトは机の引き出しから封筒を取り出した。シフトのたびに少しずつ貯めてきた金だ。万が一のときのため。家賃が足りなくなったときのため。
しばらく、それを見つめていた。
万が一の日は、思っていたのとは違う形でやって来たらしい。
23:20 黒金オフィス
「はい、おしまい」ミオはパソコンを閉じて、背中が鳴るほど伸びをした。「帰るよ」
ユイは動かなかった。履歴書の写真を見つめている。白い髪、眠たげで、少し疲れた目。
ミオは肩越しにのぞき込んで、ため息をついた。
「ユイ。もう気にしなくていいって。放っときなさい。来ないなら来ないで、別の人を探せばいい」
「放っときません!」
ユイが勢いよく立ち上がった。椅子が転がって、壁にぶつかる。その音に自分で驚いたのに、ユイは座らなかった。
「十二時間ですよ、ミオさん!十二時間!ほかの人は三時間で帰ったのに、あの人は残ったんです。そういう人は、簡単にいなくなったりしません。わ、わたし、探します。必要なら、ひとりでも探します」
静かなオフィスに、自分の声が思ったより大きく響いた。ユイは耳まで真っ赤になって、床に目を落とした。
ミオは数秒、ユイを見ていた。それから笑った。あたたかくて、少しも嫌味のない笑いだった。
「ほらね。恋じゃないって言ってたくせに」
「ミオさぁぁん!」
「はいはい」ミオはユイの頭に、そっと手を置いた。「見つけようね。一緒に」
ユイはまだ真っ赤なまま、こくりとうなずいた。そして、その夜はじめて笑った。
明日の黒金のスケジュール、「15:00 スクリム」の欄には、二人ともまったく聞き覚えのないミックスの名前が書かれていた。
翌朝、シフトへ向かう途中で、ハルトはスマホを買った。
新品でも、最新でもない。ただ、前より少しだけましなやつを。
(つづく)




