第七話 血に染まる
夜勤専門の仕事をしていた智久だったが、この頃から勤務形態が変わり、深夜帯よりも早い時間に働くようになった。
以前より早く寝なければならなくなった反面、道場を少しだけ覗ける日も増えていた。
その日も、稽古場へ顔を出した智久は、懐かしい人物の姿を見つける。
晶だった。
「あ……晶、帰ってきてたんだ」
やはり帰ってきたという連絡は無かったが、晶は、もう地元に戻っていた。
しかし、道場の空気は妙だった。
晶は選手を正座させ、大声で怒鳴っていた。
そこにいたのは、龍彦だった。
何か重大な事をしたのだろう――智久は、最初そう思った。
だが次の瞬間、晶は龍彦を殴り始めた。
蹴りも入る。
智久は言葉を失った。
確かに、武道には厳しい指導もある。智久自身、道場での事は指導者に任せるべきだという考えだった。
だが、それでも、中学生相手にしては異様だった。
しかも、白鳥も黒田も、止めない。
二人とも微妙な表情を浮かべ、特に黒田は、何度か前へ出かけては止まるような素振りを見せていた。
だが結局、誰も晶を止める事はなかった。
智久は後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、仕事の都合で帰宅した。
そして風呂に入り、寝る支度をしていた頃。
玄関の扉が開く。
「ただいま……」
龍彦の声は弱々しく、明らかに様子がおかしかった。
直後――
「きゃっ!」
弥生の悲鳴が響く。
慌てて向かうと、そこには血まみれの龍彦が立っていた。
智久は目を疑った。
「まさか……あれからも、殴られ続けていたのか……?」
唇は切れ、鼻血の跡が残り、顔は大きく腫れている。
腕や身体にも、暴行を受けた痕が残っていた。
弥生は青ざめながら言った。
「病院、連れて行かないと……!」
だが、智久はそれを止めた。
「このまま病院に行けば、晶が警察に捕まる」
「それに、白鳥先生達も事情を聞かれるかもしれない。下手したら、道場が無くなる……」
父親失格だった。
それでも智久は、信じたかった。
晶は、龍彦を潰すためではなく、指導のために手を上げたのだと。
そう思い込もうとしていた。
翌日。
龍彦の顔の腫れは酷く、学校にも説明が必要だった。
智久は久松監督に、ある程度事情を説明した。
後日、晶は久松監督には謝罪した。
だが、安倍家には、一切謝罪をしなかった。
それどころか、それ以降、晶は安倍家と口を利かなくなった。
――やりすぎた負い目で、顔を合わせづらいのだろう。
智久は、そう解釈していた。
ーーせめて、挨拶くらい返して欲しいがな……ーー
それからしばらくして。
智久は、他県の道場の来栖と、偶然駅で出会った。
他県の人間である来栖が、なぜ地元にいるのかは分からない。
どうやら、白鳥道場の先生方と今から飲むらしい。
「おう、安倍。ちょっと、お前に話がある」
低い声だった。
「明日にでも電話をよこせ。番号は知ってるな?」
智久は少し戸惑いながらも答える。
「あ……はい。明日、必ず連絡します」
翌日。
智久は、来栖へ電話をかけた。
「安倍です。どうされましたか?」
「おう、電話してきたか」
来栖は、間髪入れずに本題へ入った。
「お前、娘を他流派の道場に入れたって、本当か?」
「はい。他流派の道場で、お世話になっています」
すると来栖の声色が変わる。
「聞けば、お前も白鳥道場には所属してないらしいな」
「親子で別々の道場って、どういう事だ。説明しろ」
智久は事情を説明した。
自分と龍彦が別道場なのは、仕事の都合で時間が合わず、白鳥に紹介してもらったからだと。
だが来栖は納得しない。
「だったら、白鳥道場所属のまま、同じ会派への出稽古って形にすれば良かっただろ」
智久は言葉を詰まらせる。
「その頃は、そういう知識が無かったんです」
「……まぁ、それは百歩譲る」
来栖は続けた。
「だが娘の件はどうだ。他の支部じゃなく、他流派ってのは」
智久は少し沈黙し、答える。
「伊豆川の件は聞いてますか?」
「あれがあって、白鳥道場も、他の支部も無理だと判断しました」
すると来栖は、少し強い口調になった。
「何で、その時点で白鳥先生に相談しなかった?」
「今からでも遅くない。せめて兄妹だけでも、同じ道場に戻せ」
強引な話ではあった。
だが、来栖が安倍家を心配していたのも事実だった。
しかし――
智久には、妙な引っ掛かりが残った。
この話。
どこかで、全く同じように言われた覚えがある。
嫌味のように。
誰だった……?
智久は、現在世話になっている道場へ事情を説明し、退会を申し出た。
その後、白鳥と黒田、それぞれに改めて入門を願い出る。
白鳥は快く受け入れてくれた。
だが、黒田は難しい顔をしていた。
「本来、こういうのは駄目な話だよな……」
移籍というもの自体、好ましくない。
そんな考えが、黒田にはあった。
こうして咲良も、白鳥道場で空手を始める事になった。
だが――
案の定。
安倍家を待っていたのは、試練の連続だった。
この作品には、作者自身の経験をもとにした描写が含まれています。
ただし、登場人物名・団体名・設定・時系列などは、作品として再構成したフィクションです。




