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第十話 ハラスメント

流派のブロック大会当日。


龍彦は、久々に大会へ出場していた。


空手部のある学校へ進学すると、部活動が忙しくなり、流派や会派の大会へ出る機会は減っていく。


そんな中での、久々の大会だった。


アップが始まる。


選手達の前に立ったのは、晶だった。


掛け声と共に、打ち込みが始まる。


その瞬間――


鈍い音が響いた。


龍彦が、その場に膝をつく。


唇が深く切れ、血が流れていた。


赤い血が、マットへ落ちていく。


智久は慌てて駆け寄り、タオルを渡した。


「押さえろ、止血しろ」


龍彦の血は、なかなか止まらなかった。


大会で使用するマットだったため、智久は床に広がった血も拭き取る。


だが、その何気ない行動が、後に別の悲劇へと繋がっていく。


その時だった。


晶が怒鳴る。


「怪我するのが嫌なら、メンホーつけてこいや!」


寸止めルールの空手。


ここまで深く唇が裂けるなど、異常だった。


智久は、寒気を覚えた。


晶は、どんどん変わっていく。


まるで、何か黒いものに飲み込まれていくようだった。


大会が終わり、しばらくした頃。


道場から、懇親会開催の連絡が届いた。


すると、小さい子供を持つ父兄達が、智久へ声を掛けてくる。


「懇親会、参加しないんですか?」


その理由は単純だった。


道場内で起きている“えこひいき”や派閥について、不満を聞いてほしかったのである。


父兄達は、既に気づいていた。


――道場の空気がおかしくなっている。


智久は仕事の都合で参加できなかった。


代わりに、妻の弥生が出席する事になった。


本音を言えば、弥生も行きたくはなかった。


だが、龍彦や咲良の居場所が無くなる事を恐れていた。


だから、耐えるしかなかった。


懇親会当日。


弥生は一人で会場へ向かった。


そして翌日。


帰ってきた弥生の表情は、明らかに暗かった。


「どうした?」


智久が尋ねる。


すると、弥生は静かに呟いた。


「私……あの人、一生許さない」


それ以上は語らなかった。


誰かからハラスメントを受けたのだろう。


だが、内容は話そうとしない。


弥生は、いつも子供達を最優先に考えていた。


自分や智久が問題を起こせば、またスメアキャンペーンが始まる。


悪者扱いされる。


そして、その影響は子供達へ向かう。


――自分さえ我慢すればいい。


そう思っていた。


この時の出来事と、ハラスメントの相手。


その全てが智久へ語られるのは、何年も後の事だった。


そして、その後。


伊豆川の行動によって、智久は地獄へ落とされる事になる。


ある日の稽古。


珍しく時間が空いた智久は、白鳥道場の練習へ参加していた。


そこには、伊豆川の姿もあった。


伊豆川は、明らかに苛立っていた。


どうやら、空手関係の試験に落ちたらしい。


以前、雨の夜に騒動を起こした時。


伊豆川は白鳥に対し、


「もう二度と安倍さんには絡まない」


そう約束していた。


だが、そんな約束を守る男ではなかった。


隅で「形」の練習をしていた智久へ、再び絡んできたのである。


「そんなところで形の練習するんじゃねぇ! 目障りだ!」


智久の中で、何かが切れそうになった。


「……なんだと?」


積み重なっていた怒りが、吹き出しかける。


だが、白鳥が間に入り、その場は何とか収まった。


智久は白鳥へ尋ねる。


「白鳥先生、この道場、どうしちゃったんですか?」


「殺伐として、昔の白鳥道場じゃない」


白鳥は少し黙り込み、やがて言った。


「一回……みんなで話し合おうか」


そうして後日、稽古後に話し合いの場が設けられる事となった。


そして、話し合い当日。


「じゃあ、行ってくる」


家を出ようとした智久を、弥生が引き止めた。


「パパ、危ないよ」


「何されるかわからない」


「きっと理不尽な事いっぱい言われて、ボロボロにされるよ」


「向こうが十人いるなら、こっちはパパ一人だよ」


まるで、“10対1の喧嘩”だった。


だが、智久は静かに答える。


「何人いようが、俺は信念を曲げない」


「悪いのは、完全に向こうなんだから」


「ここで引いたら、今まで貫いてきたものが全部無駄になる」


すると弥生が言う。


「だって、一番文句言ってた操ちゃんも来ないんでしょ?」


「あの子が、色々かき回したんじゃないの?」


「諸悪の根源は、操ちゃんだよ」


智久は首を振った。


「操は確かにずるい」


「でも、本当の黒幕は別にいる気がする」


「それを確かめてくる」


そう言い残し、智久は道場へ向かった。


きっと、スメアキャンペーンの発端となった人物が、あの中にいる。


伊豆川か。


灰原か。


晶か。


あるいは、今日その場から逃げた操か。


それとも、まだ見えていない別の誰かか。


どちらにせよ――


今日、何かしらの答えは出る。


冷静に。


冷静に。


智久は、自分へ言い聞かせ続けた。


感情的になってはいけない。


そして――


空手人生で、決して忘れる事の出来ない夜が始まる。


この作品には、作者自身の経験をもとにした描写が含まれています。


ただし、登場人物名・団体名・設定・時系列などは、作品として再構成したフィクションです。

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