第十一話 スメアキャンペーンの黒幕
定刻になり、智久は道場へ足を踏み入れた。
畳の部屋へ移動すると、そこにいた全員が腰を下ろす。智久は、その場に集まった顔ぶれを見渡した。
――俺の対戦相手は七人か。
ふと、ある事に気づく。
――伊豆川がいない。
伊豆川の姿が無いという事は、この場にいる人間は、あの「伊豆川事件」は関係ない。
智久にとって、あの事件を軸に話し合いが行われるのは有利だった。
あの理不尽で、一方的な絡み。あれを境に、我が家はどん底へ落とされた。
だが、伊豆川抜きで話し合いを開くという事は――。
やはり、スメアキャンペーンは存在する。これは、俺一人を悪者に仕立て上げるための場か。
智久は、冷静に状況を分析していた。
やがて、話し合いが始まる。
最初に口を開いたのは、黒田春夫だった。
「安倍くんさ、まず咲良の事なんだけどな。この前の試合、なんで白帯で出したんだ?」
「え? 咲良は白帯ですよ?」
「前の道場でも白帯だっただろ。あの大会は帯別なんだから、周りの目ってもんがあるぞ」
切り口としては、軽いジャブのような内容だった。
智久からすれば、咲良は白鳥道場で一から始めた身だ。当然帯は白帯。大会で打つ形も、まだ一つしか知らない。
だが、その説明をする間もなく、黒田は次の話へ持ち込んだ。
「安倍くんさ、よその道場の父兄脅しただろ?」
「……脅す?」
「俺も、その様子チラッと見てたけどな」
智久は眉をひそめた。
「僕が、誰を、なんのために脅すんです?」
それは、操の女子会の時の話だった。
やはり、話は捻じ曲げられて伝わっている。
「その相手に、“空手界にいられなくするぞ”って言ったらしいじゃないか」
黒田は、鼻で笑うように続けた。
「安倍くんに、そんな権限あるのかい?なぁ灰原、虻川さんから、そう相談受けてるんだろ?」
灰原と金城は、下を向いていた。
虚偽の話を広めた人間ほど、公の場ではこうなる。智久は、そう理解していた。
「……はい。そんな感じの相談を受けました」
灰原は、小さく答えた。
「ふーん……そんな事になってるんだ?」
智久は、灰原を見つめながら呟く。
これは、どっちだ。
灰原が尾ひれを付けて広めているのか。それとも、そもそも虻川が嘘をついているのか。あるいは、その両方か。
智久は静かに口を開いた。
「それを言ったのは――むしろ、僕じゃなく相手の方です」
場の空気が変わる。
「虻川さんは、“師範と親戚だから、その力を使えば空手界から追放できる”と、ハッキリ言っていました」
――動揺する一同。
「そこまで言わせたのは、安倍くんが追い詰めたからだろ!」
黒田が声を荒げる。
「黒田先生、ちゃんと内容わかってますか?」
智久も視線を逸らさなかった。
「あの夜、僕がなぜ彼女に話をしたのか」
智久は、ゆっくり説明を始めた。
その道場では、もう一組、不倫している男女がいた。その事を知っていた虻川は、その女性を妬んでいた。
自分が気に入らない女性が、比較的良い相手と不倫している。しかも、その女性は次のターゲットに、白鳥道場の男性――金城を選んでいた。
「僕は、金城くんの家庭と道場を守るために話をしたんです」
「そして、不倫の輪を広げるために、操さんも誘った」
「不倫の……輪?」
黒田の顔が曇る。
「そうです。虻川さんは、不倫してるんですよ。空手の先生とね」
部屋は、一気に静まり返った。
智久を袋叩きにするはずだった場に、予想外の事実が落とされたのだ。
だが、智久はそこで止まらなかった。
「僕は、そんな話をしに来たんじゃない」
「問題なのは、この道場のあり方です」
智久は周囲を見渡す。
「ここにいない父兄の中には、道場に不満を持ってる人もいる」
「特定の子供だけポスターを作る。父母会を立ち上げる。それなのに、その会費の収支説明は無い」
灰原が口を開く。
「帳簿はつけてる。今ここに無いだけだ。俺が自腹切った部分もあるから、明確じゃないけど……」
「普通は、年度末に収支報告を出すものでしょ?」
灰原は黙り込んだ。
その時、弥生が部屋へ入ってきた。
喧嘩になるのではないかと心配し、駆けつけたのだろう。
そして――。
話は、さらにエスカレートしていく。
黒田の表情が変わった。今までとは明らかに違う。
「安倍くんさ、晶を天星のコーチに勧誘しただろ」
「勧誘というか……相談はしましたけど」
「は? 勧誘して、そのままほったらかしにしただろ?しかも、親の俺に内緒にしろって言ったらしいな」
――え……? そんな話になってるのか?
智久は、一瞬言葉を失った。
「いや、違います。そもそも――」
「いや、違わないね」
黒田は、言い返す隙を与えない。
「安倍くんは、一体どんな立場なんだ?」
「白鳥道場の父兄なのか。所属道場の選手なのか。天星高校の関係者なのか」
「自分の立ち位置、ハッキリしろよ!」
智久は答えた。
「今は、その全てです」
黒田は吐き捨てるように言った。
「もういいや。空手、辞めろよ」
――その瞬間だった。
智久は、確信した。
黒幕は――黒田春夫だ。
周囲の反応を見ればわかる。黒田の剣幕に、皆引いている。
圧倒的なカリスマに従っていただけ。だが中には、誰が“悪”なのか理解している人間もいるのだろう。
伊豆川の暴走も、結局は黒田への忠誠心から始まったものだ。
黒田が気に入らない相手を、自分が代わりに締める。
黒田に良い格好をしたかったのだろう。
黒田は、自分の道場へ所属しなかった智久が気に入らなかった。
さらに、娘の咲良が他道場へ行った事も許せなかった。
そう――これは以前、来栖が口にしていた話と一致する。
来栖と黒田は、特別仲が良かった。
灰原が伊豆川の件へ口を出してきたのも、黒田経由で情報を得ていたからだろう。
灰原もまた、黒田の前で良い顔をしたかったのだ。
操の件も同じだった。
操の息子が天星へ進む際も、智久は父兄から絡まれた事がある。
「安倍くんよぉ、操ちゃんちの息子、天星に勧誘したらしいな」
そんな風に、無理やり悪者扱いされた。
黒田が悪意ある言い方をし、さらに操自身も「勧誘された」と話した事で、話は歪んで広がっていったのだ。
虻川も同じだ。
不倫相手の先生が、黒田へ相談したのだろう。
そして晶――。
大学時代からおかしくなっていったと思っていた。だが、本当はもっと前からだったのかもしれない。
黒田や、その取り巻き達が甘やかした。それが、今の晶を生み出した。
全ての点が、黒田に繋がっていく。
智久は、この時ようやく理解した。
全てのスメアキャンペーンは、黒田の“嫉妬”から始まっていたのだと。
強い力やカリスマを持つ人間が、黒く染まった時。それは、スメアキャンペーンという名の“イジメ”になる。
そして、この集団は――。
この後、多くの人間を不幸にしていく。
その矛先が、この話し合いの後、向かった先は――。
・・・・白鳥道場だった。
この作品には、作者自身の経験をもとにした描写が含まれています。
ただし、登場人物名・団体名・設定・時系列などは、作品として再構成したフィクションです。




