交差する少女たちの過去
宿屋の狭い部屋には、妙な沈黙が落ちていた。
エリシアが投げた枕が顔に直撃し、リュウナは「痛てぇな」とぼやきながら床に座り込んでいる。
私は彼を見つめ、ずっと気になっていた核心を突くことにした。
「リュウナ……様」
「様はやめろって。普通にリュウナでいい」
彼は頭を掻きながらため息をつく。
「では、リュウナ。……答えてください。あなたは一体、どのような『秘術』を使ったのですか?」
私は真剣な眼差しで彼を射抜いた。
「『魔に汚染された血』……またの名を『魔女の遺産』。あの呪いは、決して弱い個体には発現しない。選ばれた強力な力を持つ者……それも『女性』にのみ宿り、その精神と肉体を蝕む不治の病のはずです」
教団が血眼になって集めている、その呪われた力。
それを、彼は一瞬にして、あんな……あんな信じられないほど甘美な方法で完全に浄化し、さらには私の魔力回路を以前よりも遥かに強靭なものへと作り変えてしまったのだ。
しかし、私の深刻な問いに対し、彼は不思議そうに首を傾げた。
「……治癒? 何を言ってるんだ?」
「え?」
「俺はただ、あんたの腹のあたりについていた『厄介な小さな汚れ(デバフ)』を、ちょいと拭き取ってやっただけだぞ。大げさだな」
彼はさも「服に付いたホコリを払っただけ」と言わんばかりの、ひどく気怠げで無関心な顔をしていた。
私は絶句した。王国の最高位の神官でさえ匙を投げる呪いを、『小さな汚れ』だと言うの……!?
「チッ……相変わらず、人を食ったようなふざけた言い訳ね」
横で聞いていたエリシアが、苛立たしげに舌打ちをした。
「エヘン。クレア、あなたと少し話がしたいわ。……ここからは二人きりで」
「私と?」
「ええ。……リュウナ、悪いけど五分だけ外に出ててくれないかしら?」
「あ? おう、分かった。ちょうど朝飯でも探してこようと思ってたところだ。邪魔はしないさ」
リュウナはあっさりと立ち上がり、外套を羽織ると、足音一つ立てずに部屋から出て行った。
パタン、とドアが閉まる。
部屋には、私とエリシアの二人だけが残された。
先ほどまでのコミカルな空気は消え去り、かつて東の学園でライバルとして競い合った時のような、静かな緊張感が漂う。
「さて、二人きりになったわね。……答えなさい、王国の犬」
エリシアが腕を組み、冷たい銀色の瞳で私を見据えた。
「なぜ、あなたのようなエリートがこんな辺境の小さな街にいるの? ……私を探しに来たんでしょう?」
私は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
「半分は正解。でも、もう半分は違うわ」
「どういうこと?」
「私がこの街に来た最大の目的は……あの『悪魔の教団』の動向を追うためよ」
私は拳を強く握りしめた。脳裏に、十年前の燃え盛る故郷の記憶と……そして、つい最近の悲劇が蘇る。
「教団は……三ヶ月前、私の姉を攫ったの。セシリア・スライヴェンを」
「セシリアお姉様が!?」
エリシアが目を見開いた。彼女も学園時代、私の姉には何度か会ったことがあり、その恐るべき実力をよく知っているはずだ。
「ええ。だから私は、奴らの手がかりを求めて辺境まで追ってきた。……でも、出発する前、あなたの『お兄様』から伝言を預かっているわ」
私はエリシアを真っ直ぐに見つめた。
「『すぐに家へ戻れ。話したいことがある』……そう言っていたわ」
その言葉を聞いた瞬間、エリシアはフイッと顔を背けた。
「やっぱりね……あの頭の固い兄さんのことだもの。あなたに頼んで私を連れ戻そうとしたのね」
彼女はきっぱりと首を横に振った。
「私はまだ帰らない。それに、あの人が一つの場所に大人しく留まっているとも思えないわ。どうせまた、勝手にどこかへ行っているんでしょうから」
「……そう言うと思ったわ」
私は苦笑した。彼女の頑固さは、学園時代から何一つ変わっていない。
「ごめんなさい、エリシア。昨日はギルドで、あなたを怪しい密輸業者か何かだと疑ってしまって」
私は素直に頭を下げた。
エリシアは少し驚いたような顔をした後、小さく肩をすくめた。
「いいわ。あなたの立場なら無理もないもの。……それに、結果的にあのバカ(リュウナ)のおかげで、あなたも命拾いしたわけだしね」
リュウナ。
その名前が出た瞬間、私とエリシアの間に、再び妙な沈黙が落ちた。
「……ねえ、エリシア」
「……なによ」
「彼……リュウナは、一体何者なの? なぜ、彼のような規格外の存在が、あなたと一緒に旅をしているの?」
エリシアはしばらく黙っていたが、やがて顔を真っ赤にして、ボソリと呟いた。
「……わ、私にベタ惚れして、勝手についてきてるだけよ! 仕方なく案内してあげてるの!」
(嘘ね)
私は心の中で確信した。彼女のその赤面した反応。それに、昨夜リュウナが見せた、あの底知れない孤独と冷酷さ。
彼女もまた、私と同じように彼に救われ……そして、彼の真意を測りかねているのだ。
(リュウナ……あなたという人は、本当に……)
私は窓の外を見つめながら、彼のミステリアスな横顔を思い浮かべ、静かに胸を高鳴らせていた。
リュウナが部屋を出て行った後、エリシアは深々とため息をついた。
「まったく、あの男は……。ほら、クレア。立てる? 汗と……色んなもので体がベタベタでしょう。お湯を沸かしてあるから、体を綺麗にするのを手伝ってあげるわ」
「ええ、ありがとう……」
私はエリシアに肩を貸してもらい、浴室へと向かおうとした。
その時、机の上に無造作に置かれている一冊の分厚い本が目に入った。
灰色の古びた装丁。そして表紙には、無数の『おたまじゃくし』が集まって女性のシルエットを形作っているような、奇妙でどこか卑猥な絵が描かれている。
「あれは……何かしら?」
私が不思議に思って手を伸ばそうとした瞬間、エリシアが「ひゃあっ!」と短い悲鳴を上げ、ものすごい勢いで本に飛びついて隠そうとした。
「だ、ダメよクレア! 見ちゃダメ! それはあのバカが読んでた、とんでもない変態本なんだから!」
「へ、変態本……? リュウナが?」
そう言われると、逆に好奇心が刺激されてしまう。
王国のエリート騎士として、彼がいったいどんな知識を蓄えているのか(そして、あの恐ろしい快感のヒールの秘密がそこにあるのではないかと)気になってしまったのだ。
「少しだけ……少しだけ中身を確認するだけだから」
「もうっ! 私、知らないからね!」
結局、二人の抑えきれない好奇心が勝り、私たちはベッドの上に並んで座り、その『秘術の魔導書(生命転化)』のページをめくってしまった。
――十分後。
「はぁ……っ、はぁ……っ♡」
「な、なんなのよこの本……っ! 下腹部の魔力を刺激して……こんな、あられもない体勢で……っ♡」
部屋の中には、二人の少女の荒い息遣いだけが響いていた。
そこに描かれていたのは、極めて高度な人体の魔力循環図だったのだが、私たちにはそれが『いかにして女性の体を開発し、快感の絶頂へと導くか』を記した、とんでもなく過激なエロ本にしか見えなかったのだ。
私とエリシアは、顔を茹でダコのように真っ赤にして、肩を寄せ合いながらハァハァと息を荒らげていた。
――ガチャリ。
「あー、わりぃ。ちょっと邪魔するぞ」
突然ドアが開き、リュウナがひょっこりと顔を出した。
「ひゃああっ!?」
「な、ななななっ!?」
私とエリシアは悲鳴を上げ、慌てて本を背中に隠した。
リュウナは私たちの異様に赤い顔と荒い呼吸を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「あのさ、読書の邪魔して悪いんだけど……俺、腹減ってさ。一人で飯食うのもなんだし、あんた達も一緒に行くか?」
彼は極めて気だるげな、いつもの表情で言った。
(……昨夜のカラス共から巻き上げた金があるからな。今日はパーッと豪遊してやる!)と、内心で下品な笑いを浮かべていることなど、私たちは知る由もない。
「い、行くわよ! すぐ行くから! だから一回外に出てなさい、このバカ!」
エリシアが顔を真っ赤にして叫び、リュウナを再び廊下へと押し出した。
「なんだよ、せっかく奢ってやろうと思ったのに……」と、ドアの向こうからボヤく声が聞こえる。
私はドッと疲れてベッドに倒れ込み、背中に隠していたその『怪しい本』をチラリと見た。
(彼……あの凄まじい技術を、この本で勉強しているのね……!)
私の胸の奥で、彼に対する尊敬と、そしてほんの少しの『不純な期待』が入り交じり、またしても顔が熱くなっていくのを感じるのだった。




