表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/34

王国の犬と亡霊の正体

【クレア視点】


チュン、チュン……。

 小鳥のさえずりと、窓から差し込む朝の眩しい光で、私はゆっくりと意識を取り戻した。


「んっ……」

 重い瞼を開ける。

 見知らぬ木造の天井。そして、鼻をくすぐる温かいハーブティーの香り。


体を起こそうとして、私は自分の体の異常に気づいた。

 鎧は着たままだったが、下半身がひどく気怠く、そして……ズボンの内側が、信じられないほどぐっしょりと濡れて冷たくなっていたのだ。


(な、なにこれ……私、一体……)


「やっとお目覚めかしら、王国の犬。クレア・スライヴェン」


不意に、冷たく棘のある声が部屋に響いた。

 ハッとして声の方向を見ると、ベッドの脇の椅子に座り、腕を組んで私を睨み下ろしている茶色いローブの少女がいた。


「え……?」

 私は目を丸くした。フードの奥から覗く、その尖った耳と見覚えのある銀色の瞳。

「あ、あなたは……東の学園の……エリシア・ナーヴェル!?」


「ふん。相変わらず騒々しいわね。ほら、これでも飲みなさい」

 エリシアは呆れたようにため息をつき、温かいハーブティーの入ったマグカップを私に乱暴に押し付けた。


「なぜ、あなたがここに……? いえ、それより……」

 私は混乱しながらもカップを受け取った。


エリシアは私の姿をジト目で上から下まで見下ろし、心底軽蔑したような声で言い放った。


「それにしても……あなたのそのだらしない格好と、部屋中に充満している妙な匂い。……まるで一晩中、激しく『一人で慰めていた(ソロプレイ)』みたいじゃない」


「なっ!?」

 その言葉に、昨夜の記憶が奔流のように脳内に蘇ってきた。


魅了毒で理性を失いかけていた私。

 そこへ現れた彼。

 彼の手が私の下腹部に触れた瞬間――全身の細胞が弾け飛ぶような、致死量の快感。

『凄いの、入ってぇぇぇっ♡』と、はしたない声を上げて絶頂に達し、あろうことか彼を巻き込んで盛大に潮を吹いてしまった(お漏らしした)あの瞬間……!!


「あ、あ、あああああっ……!!」

 私の顔は一瞬にして沸騰し、マグカップを持ったままベッドの上で身悶えした。


(し、死にたい! 王国のエリート騎士としての尊厳が……ッ!)


「……あー、朝からうるさいぞ……」


その時。

 床の方から、気怠げで、ひどく眠そうな男の声が聞こえた。


私とエリシアが同時に視線を落とすと、ベッドの横の硬い床の上で、昨夜の『灰色の外套マント』を掛け布団代わりにして丸まっている黒髪の青年――リュウナが、頭を掻きながら起き上がってきた。


「あ、リュウナ。起こしちゃった?」

 エリシアの声が、私に向けられていた冷たいものから一変し、驚くほど甘く優しいものに変わった。


(どういうこと……? エリシアが、男にそんな声色を……?)


「あー……体が痛てぇ……」

 リュウナは首の骨をポキポキと鳴らしながら立ち上がった。

 そして私と目が合うと、少し気まずそうに視線を逸らした。


「あ、クレアさんだっけ? 悪いな、あんな状態のあんたをあの氷の中に放っておけなくてさ。とりあえず宿まで運ばせてもらった」

 彼は淡々と、まるで道端に落ちていた子猫を拾ってきたかのようなテンションで言った。


(ああ……)

 私は、彼のその素っ気ない優しさに、再び胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。

 どんなに強がっていても、彼は私を放っては置かなかったのだ。


「いいえ……こちらこそ。助けていただき、本当にありがとうございました……」

 私は頬を赤らめ、胸に手を当てて深く頭を下げた。


「私の命の恩人です……『亡霊ファントム』様」


ピタリ。

 部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。


エリシアが、ピクッと長い耳を動かし、ゆっくりと私の方を向いた。

 その銀色の瞳には、先ほどまでの冷たさとは次元の違う、底なしのドス黒いオーラが渦巻いていた。


「……ファントム(亡霊)?」

 エリシアが、地を這うような低い声で呟いた。

「……ねえ、リュウナ。この王国の犬が言ってる『ファントム様』って……一体誰のことかしら?」


「げっ!」

 リュウナの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


「コホン! い、いや、あのな騎士様! 俺にはちゃんと本名があるんだ。その恥ずかしい……いや、物騒な呼び方はやめてくれ」

 リュウナは必死にエリシアから視線を逸らし、咳払いをしながら私に向かって言った。


「俺の名前は石原リュウナ。ただのしがない旅人さ。ファントムなんて呼ぶな」


「リュウ、ナ……」

 私はその名前を舌の上で転がした。異国の響きだが、彼のミステリアスな雰囲気にとてもよく似合っている。

「不思議な響きですが……とても、美しいお名前ですね」


私が熱っぽい視線で見つめると、隣でエリシアが「ギリィッ」と歯を軋ませた。


「ちょっと! なに私のリュウナに馴れ馴れしく名前で呼んでるのよ、泥棒猫!」

 エリシアはついに立ち上がり、私とリュウナの間に割って入った。


「それにリュウナ! 誤魔化さないでよ! 『夜のファントム』ってどういうこと!? 昨日の夜、私を置いて一人で出かけた時……まさか夜な夜な、この女に『変なこと』をして回ってたんじゃないでしょうね!?」


「ち、違う! 誤解だリア! これはただの……そう、夜のニックネームだ! 闇に紛れて戦うための、俺のコードネームみたいなもんだ!」

 リュウナは両手を振って必死に弁明した。


「夜のニックネーム!? 余計に怪しいわよ! やっぱり夜這い(ファントム)してるんじゃない! このド変態!!」

 エリシアは顔を真っ赤にして、ベッドの上の枕を掴んでリュウナに投げつけた。


「だーっ! だから話を聞けって! 俺はただ人助け(アイテム探し)をしてただけだ!」

「言い訳なんて聞きたくないわ! こっちきなさい!」


狭い宿屋の部屋の中で、エルフの少女と黒髪の青年による、まるで夫婦漫才のような追いかけっこが始まった。


私はベッドの上に座ったまま、その光景をただぽかんと見つめていた。

 昨夜、あの地獄のような氷の病棟で、圧倒的な力で教団を蹂躙した冷酷な『亡霊ファントム』と、今、エリシアに枕で叩かれて情けない声を上げている青年が、どうしても結びつかない。


(でも……)

 私は、自分の下半身の気だるさと、彼に触れられた時の圧倒的な快感ヒールを思い出し、再び顔を火照らせた。


(リュウナ……。あなたのその『優しさ』の裏側を、もっと深く知りたいわ)


アエレンデルの朝は、ひどく騒がしく、そして修羅場の予感と共に幕を開けたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ