夜の支配者(噂)
【クレア視点】
アエレンデルの街で最も大きく、そして活気のある酒場兼食堂『踊る熊亭』。
私たち三人は、店の奥の広いテーブル席に向かい合って座っていた。
「お待たせしましたー! 特大オーク牛の丸焼きと、ドデカ丸鶏の香草焼き、それに特製ベリータルトの特大サイズです!」
店員がドンッ! ドンッ! と、テーブルが軋むほどの巨大な料理の山を並べていく。
「…………」
「…………」
私とエリシアは、目の前にそびえ立つ肉の山を見て、完全に言葉を失っていた。
いくら私たちが腹を空かせているとはいえ、これはどう見ても十人前の量だ。
「よしっ! きたきた! いやー、昨日は色々あってマジで疲れたからな! 今日は俺の奢りだ、遠慮せずに食ってくれ!」
リュウナは目をキラキラと輝かせ、顔の半分ほどもある巨大な骨付き肉にバクッと食らいついた。
彼は昨夜の『戦利品(カラス共の財布)』で気が大きくなっているのだろうが、あまりにも豪快すぎる。
「はぁ……。まあ、奢りと言うなら有り難くいただくわ。クレア、あなたも食べなさい」
エリシアは呆れ顔でため息をつきながらも、目深に被っていた茶色いフードを少しだけ下ろした。
私の前で正体を隠す必要がなくなったからだろう。彼女はナイフとフォークを手に取り、見事な手つきで肉を小さく切り分け、上品に口へと運んだ。
「え、ええ。いただきます……」
私もそれに倣う。王国の騎士として、そして貴族の娘として、どれだけ食事が巨大であろうと、食事のマナーを崩すわけにはいかない。
リュウナが野生の狼のように肉を食いちぎる横で、私とエリシアは背筋をピンと伸ばし、無言で優雅に肉を咀嚼するという、ひどくシュールな光景が繰り広げられていた。
その時だった。
「ねえ、聞いた? 昨日の夜の噂……」
「聞いたわよ! 西門や病院のあたりで、恐ろしい化け物になった人たちを助けて回った『夜の支配者』のことでしょ?」
私たちのすぐ隣の席で食事をしていた、女性たちのグループからそんな会話が聞こえてきた。
彼女たちの声は少し上ずっており、頬を赤く染めている。
「私……実は昨夜、その人に助けられたの」
グループの一人が、周囲を気にしながら小声で打ち明けた。
「ヘドロの化け物になりかけて、もうダメだと思った時……灰色の外套を着た、赤い目の男の人が現れて……私に触れたの。そしたら……」
「そしたら、どうなったの?」
「すっごく……すっごく気持ちよかったの……♡」
その女性は、思い出すだけで体が熱くなるのか、両手で頬を覆って身悶えした。
「あんなの初めてだったわ……。しかも気がついたら、私の体内の魔力回路が、信じられないくらい澄み切って、強くなっていたのよ! あの人は間違いなく、夜の闇から現れた救世主……『夜の支配者』様だわ!」
その言葉に、私とエリシアは「ビクッ!」と肩を震わせ、同時に顔を見合わせた。
間違いない。彼女たちは、昨夜リュウナの『治療』を受けて、極上の快感と共に治癒された元患者たちだ。
(ど、どうしよう。リュウナのことが、すでに街中で噂になっている……!)
私が焦ってリュウナの方をチラリと見ると、彼は巨大な肉をモグモグと咀嚼しながら、隣の会話にうんうんと頷いていた。
「へえ。灰色の外套に、赤い目ねぇ……」
リュウナはジュースをごくりと飲み込み、感心したように口を開いた。
「夜の支配者か……。その呪いを解いて回るなんて、なんてミステリアスでカッコいいヒーローなんだ。俺も一度会ってみたいぜ」
「…………は?」
「…………はぁ?」
私とエリシアは、手に持っていたフォークをポロリと皿に落とした。
「いやー、この世界にもそういう『暗躍する影の主役』みたいな奴がいるんだな! ロマンがあるよなぁ、そういうの!」
リュウナは、自分自身が着ている灰色の外套をパタパタと揺らしながら、本気でワクワクしたような笑顔を見せた。
(この人……本気で言ってるの……?)
私は頭を抱えたくなった。
あれだけ圧倒的な力で教団を壊滅させ、女性たちを治癒し、さらには『夜の支配者』という完璧な異名まで轟かせているというのに。
当の本人は、自分がその張本人であることに全く気づいていないどころか、見ず知らずの『架空のヒーロー』だと思って絶賛しているのだ。
(ああ……リュウナ。あなたはどこまで底が知れないの……!)
自分の正体を隠すために、あえてこんな道化を演じているのだろうか。それとも……。
私は彼への畏敬の念をさらに深めながら、ただ冷や汗を流して特大サイズのベリータルトを見つめることしかできなかった。




