灰と消えた路銀の八つ当たり
(ふざけんな! あんなに走り回って、ドロドロの化け物を何十匹も掃除してやったのに、あいつら一銭も持ってねぇじゃねえか!!)
氷の病棟に足を踏み入れながら、俺の心の中は怒りの炎で煮えくり返っていた。
先ほど、街角で暴れていた怪物たちを『ついでに』片付けて回ったが、懐から出てきたのは謎のドロドロの液体だけ。結果は完全なる徒労だ。
(俺の時間を返せ! ……ん?)
俺の真紅の左目が、病棟の奥にいる集団を捉えた。
カラスの仮面に、黒いローブ。
(あいつらがこの騒動の元凶か! こういう怪しい裏組織の幹部は、絶対にたんまりと裏金を隠し持っているに違いない! 路銀の足しに、全部カツアゲしてやる!)
俺のテンションは一気に最高潮に達した。
「やあ、黒い寄生虫ども。……お前ら全員、俺の漆黒の夜で丸飲みにしてやろう」
「き、貴様……何者だ!」
仮面を外した金髪の男――ボスのベロンツが、俺を睨みつけて叫んだ。
「教団の邪魔をするというのなら、ここで死ね! 教団兵ども! この男を黒炎で焼き尽くせ!」
数十人のカラス仮面たちが一斉に杖を構え、俺に向かって禍々しい『漆黒の火球』を何十発も放ってきた。
空気を焼き焦がすほどの、凄まじい熱量と瘴気の雨。
だが、俺は歩みを止めなかった。
飛来する黒炎のいくつかは、俺のA+マントに直撃したが、魔法耐性(+50%)によって全く熱さを感じない。
そして俺は、右手の『炎の鉄剣』を無造作に掲げ、黒炎の雨のど真ん中へと突き出した。
――ジュォォォォッ!!
俺の剣が、敵の黒炎をまるで磁石のように次々と吸い込んでいく。
「ほう。このゴミ剣も、なかなかやるな」
俺は剣身に集束していく巨大な熱量を感じながら、不敵な笑みを浮かべた。
「お前らの炎だ。……そっくりそのまま返してやるよ」
俺は、熱を限界まで溜め込んだ炎の剣を、縦に大きく振り抜いた。
――ドゴォォォォォォンッ!!!
吸収された黒炎と剣の炎が混ざり合い、巨大な三日月型の炎の波となって放たれた!
炎の波は病棟の床を抉りながら真っ直ぐに進み、カラス仮面たちを次々と吹き飛ばし、消し炭に変えていく。
(うおっ!? 威力がヤバすぎる! 俺、ただカッコつけて剣を振っただけなのに!)
内心で冷や汗をかきつつも、俺は冷酷な表情を崩さずに煙の中を突っ切った。
「ヒッ……! くるなッ!」
パニックに陥ったベロンツが、ヤケクソで漆黒の剣を振り下ろしてきた。
「スティール」
――シュンッ!
ベロンツの手に握られていた漆黒の剣が虚空へと消え、俺の黒い手袋の中にすっぽりと収まった。
「……え?」
マヌケにも両手で空気を握りしめたままフリーズしたベロンツの顔面に、俺は容赦なく拳を叩き込んだ。
――ドゴォッ!
「ガハッ……!?」
ベロンツは後方へ吹き飛び、粉砕された氷の壁に激突して崩れ落ちた。
「ふん、他愛もない」
俺は奪った剣を吟味しながら呟いた。(よしよし、これは高く売れそうだ)
しかし。
俺が剣のステータスを確認しようとしたその時。
「ク、クハハハハ……ッ!」
瓦礫の中から、不気味な笑い声が響いた。
ベロンツが血まみれの顔を上げ、その手に『怪しく光る赤い丸薬』を握りしめていた。
「ただで死ぬものか……! 大いなる魔女の力よ、私を次の次元へと昇華させたまえッ!」
彼は赤い丸薬をそのまま丸呑みにした。
直後。ベロンツの体から凄まじい黒煙が噴き出し、ボキボキと骨が砕け、肉が異常に膨張し始めた。
わずか数秒のうちに、彼は病棟の天井に頭が届きそうなほどの、死の森で遭遇した『オーガ』と同等のサイズを持つ巨大な異形の怪物へと変貌を遂げたのだ!
「ルォォォォォォォッ!!」
(うおおおおッ!! バケモノに変身しやがった!? マジでやべぇ!!)
俺の脳内で、危険信号がけたたましく鳴り響いた。
巨大な怪物ベロンツが、俺を叩き潰そうと丸太のような腕を振り下ろしてくる。
俺の脳裏に、地球にいた頃、格闘技マニアの姉貴に無理やり叩き込まれた『回避とカウンターの基礎動作』がフラッシュバックした。
俺はA+マントの機動力を活かし、紙一重でその剛腕をスッと躱す。
――ガキンッ!
避けきれなかった鋭い爪が俺の肩を掠めたが、マントの防御力のおかげで、まるで小枝でペチッと叩かれた程度の感触しかなかった。
(痛くない! 全然痛くないぞ! これならイケる!)
俺は真紅の左目(急所命中+30%)をカッと見開いた。
怪物の巨大な体に、関節の結合部を示す『赤い点』がくっきりと浮かび上がっている。
「遅いな」
俺は冷たく囁きながら、怪物の懐へと潜り込んだ。
炎の剣を閃かせ、両膝の赤い点(急所)を正確に横薙ぎにする。
――ズバァァァンッ!!
「ガアァァァッ!?」
両足を切断された怪物が、バランスを崩してドスンと床に倒れ込む。
俺は止まらない。流れるようなステップで怪物の両脇に回り込み、今度は左右の腕の関節を容赦なく斬り落とした。
――シュパッ! シュパッ!
四肢を完全にダルマ状態にされ、残されたのは胴体と頭だけになったカラスの化け物。
(よっしゃ! これでトドメだ! 意識があるうちに、教団の金庫の場所と隠し財産を全部吐かせてやる!)
俺は黒い手袋を外し、怪物の頭部へともう片方の手を伸ばした。
最高に邪悪で、強欲な笑みを浮かべながら、俺は低く囁いた。
「さあ、カラスの親玉……お前の持っているすべて(裏金と隠し財産)を、俺に差し出せ」
俺の手が、ボスの額に触れようとした、まさにその瞬間。
ベロンツの巨体は、赤い丸薬の強烈な副作用により、ブクブクと泡を立ててドロドロの黒い灰へと崩れ去っていった。
……奴が着ていた高級そうなローブも、懐に隠し持っていたであろう分厚い財布も、すべて一緒に。
赤い丸薬の副作用による肉体崩壊と、四肢切断による出血多量。
俺がカツアゲする(触れる)よりもほんのコンマ一秒早く、哀れなボスキャラは自らのダメージで完全に絶命してしまったのだ。
「…………え?」
俺の伸ばした手が、空中でピタリと止まった。
(は? …………嘘だろ。財布ごと……消滅した……?)
俺はゆっくりと手を下ろし、黒い灰の山を見つめ、無言で天を仰いだ。
「……もういいわ。やってらんねぇ(だぁーっ、俺の路銀が! せっかくここまで来たのに金目のものが全部パーじゃねえか!)」
俺は深く、この世のすべての不条理を呪うような、重く絶望的なため息を吐き出したのだった。
***
【クレア視点】
私は、その光景を前に、ただ言葉を失っていた。
あんなに恐ろしい教団の幹部が。赤い秘薬で真の怪物へと姿を変えたベロンツが。
彼にとっては、ただの『木偶人形』にすぎなかった。
炎の剣一本で四肢を瞬時に切断し、圧倒的な力の差を見せつけた。
そして最後、彼は倒れ伏した怪物に手を伸ばし……。
『お前の持っているすべてを、俺に差し出せ』
その言葉を聞いた瞬間、化け物へと成り果てていたベロンツは、恐怖のあまり自ら命を絶ってしまったのだ!
あの謎の青年に触れられることすら恐れ、自滅を選ぶほどに……!
そして彼は、自滅した哀れな敵を見下ろし、ひどく悲しげな、そしてこの世の罪をすべて背負い込んだような、深いため息を吐いた。
(なんて……なんて深く、慈悲のないお方なの……!)
私の体内で荒れ狂っていた魅了毒の熱が、彼の放つ圧倒的な存在感(瘴気)によって、完全に『彼への熱情』へと書き換えられていく。
私は氷の床に座り込んだまま、熱く潤んだ瞳で、その孤独な亡霊の背中を見つめ続けていた。




