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闇市場(ブラックマーケット)への扉

 宿屋『眠れる白鳥』の部屋のドアを、俺は極めて自然な動作で開けた。


 エリシアはベッドの端に座り、布切れで銀の剣の刀身を磨いていた。


「戻ったぞ」

 ドアを閉めながら、短く声をかける。


 エリシアが顔を上げた。

「少し遅かったわね。何を――」


 彼女の言葉が途切れた。

 尖ったエルフの耳がピクッと動き、彼女は突然立ち上がって俺に近づいてきた。


 まるで、飼い主が知らない匂いをつけて帰ってきたことに気づいた猫のように、俺の周囲の空気をクンクンと嗅ぐ。


 彼女の銀色の瞳が、鋭く細められた。


「リュウナ……どうしてあなたから『百合』の香りがするの? これは森の鼻の匂いじゃないわ。もっと……貴族が使うような高級な石鹸の香り、あるいは……」


 エリシアは一瞬言葉を切り、その表情を硬くした。

「王国の騎士の香りよ」


(やべぇッ!? エルフの嗅覚、鋭すぎだろ!!)


 俺は内心でパニックの悲鳴を上げた。

(あの路地裏で、少し距離が近すぎただけで匂いが移ったのか!?)


 俺は小さく息を吐き、微塵も感情を読ませない平坦な表情を作った。


「市場の通りはひどく混み合っていてな、リア」

 わざと偽名を使い、冷静に答える。

「狭い路地で、都市警備の巡回隊とすれ違ったんだ。奴らはひどく傲慢で、道を譲ろうとしなかった。壁に張り付くようにして避けるしかなかったのさ」


 エリシアは腕を組んだ。

「すれ違っただけ? 昨日の青い髪の騎士と、親しげに立ち話をしていたわけではなくて?」


「俺が王国の猟犬に自ら絡みに行く理由がどこにある?」

 俺は即座に言い返し、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。

「外に出たのは地形を把握するためだ。知り合いを作るためじゃない」


 俺の断固とした口調を聞いて、エリシアの顔から疑念が薄れ、代わりに少し責めすぎたという罪悪感が浮かんだ。


「ご、ごめんなさい。ただ……あなたが捕まってしまわないか、心配で」


「分かってる」

 俺は静かに頷き、背を向けて窓際へと歩いた。

「体力を温存しておけ。準備をするんだ。今夜、俺たちには重要なミッションがある」


「ミッション?」エリシアは首を傾げた。「何の?」


 肩越しに彼女を振り返る。

「盗品(石ころ)を、強力な武器に変えるミッションさ」


 時はあっという間に過ぎた。

 太陽が沈み、赤みがかった月明かりがアエレンデルの街を包み込む。市場の喧騒は、酔っ払いの話し声と夜警の足音へと変わっていった。


 一本のロウソクだけが灯る部屋の中で、俺はベッドの下から『ある物』を取り出した。


「準備はいいか、リア?」

「いつでも」

 茶色いローブを羽織った彼女が答える。


 しかし、俺が取り出した物を見た瞬間、彼女の目は見開かれた。


 俺は、漆黒のラインが左右に入ったダークグレーの長い外套を広げた。

 ゆっくりとした動作でそれを羽織り、首元を隠す高い襟を立て、厚手のフードを深く被って顔の半分を闇に隠す。

 最後に、肌に吸い付くような漆黒の手袋をはめた。


 このマントを身につけた瞬間、体は羽のように軽く感じるのに、見えない鉄の壁に守られているような絶対的な安心感があった。


「そ、そのマントはどこで……?」

 エリシアが驚嘆の声を漏らし、俺の新しい装備の縫い目をじっと見つめた。

「ただの素材じゃないわ。王都でさえ、それほど濃密な防護オーラを纏った魔法布なんて滅多に見ないのに」


「古い遺物レリックさ」

 俺はあえて詳細を語らず、ミステリアスに答えた。


(当たり前だろ! SSR一歩手前、A+グレードのガチャ産アイテムだぜ、お嬢さん!)

 内心ではドヤ顔でガッツポーズをしている。


「行くぞ。俺の後ろから離れるな。余計な口も叩くなよ」


 俺たちは宿屋の裏口から外に出た。


 マントの『足音隠蔽効果』のおかげで、俺の歩みはアエレンデルの暗い路地裏において、微塵の音も立てなかった。

 それに気づいたエリシアが、俺の異常な静寂さに合わせるため、必死に足音を殺して歩かなければならないほどだった。


 今日の昼間、クレアに壁ドンされたあの狭い路地を再び通り抜ける。

 腐った匂いのする木樽の積まれた角を曲がり、やがて行き止まりにたどり着いた。


 そこには、錆びついた分厚い鉄の扉があるだけだった。


 扉の前に、顔に無数の傷跡がある、身長二メートル近い大男が腕を組んで立っていた。

 近づく者の骨を容易く粉砕しそうな、丸太のような筋肉。


 大男は俺たちを見て、鼻で笑った。

「行き止まりだぜ、坊主。命が惜しけりゃ引き返しな」


 俺は歩みを止めなかった。

 そのまま直進し、男との距離がわずか二歩になったところで、ゆっくりと顔を上げる。

 フードの影から、俺の鋭い瞳が大男の目を真っ直ぐに射抜く。


「俺は表通りを探しているんじゃない」

 限界まで冷たく、嗄れた声で低く言った。

「俺は――影が黄金以上の価値を持つ場所を探しているのさ」


 大男は沈黙した。

 俺が着ている極上のマントを見つめ、そして、いつでも殺気を爆発させる準備ができているエリシアの姿を捉える。

 この門番は、俺たちが素人ではないことを瞬時に悟った。


 男は無言のまま横にずれると、特定のパターンで鉄の扉をノックした。

 重いカンヌキが外れる音がして扉が開き、地下へと続く石の階段が姿を現した。


 俺たちは中へと足を踏み入れる。


 地下の空気は全く違っていた。

 葉巻の煙が立ち込め、王国中から集められた違法な品々が、木製のテーブルの上で堂々と取引されている。

 お尋ね者と盗賊たちの楽園。ここがアエレンデルの闇市場だ。


 胡散臭い視線が飛び交う中を堂々と歩き抜け、部屋の奥にある一番大きなテーブルへと向かった。


 テーブルの向こう側には、腹がはち切れそうなほど窮屈な絹の服を着た、分厚いレンズの眼鏡をかけた肥満体の中年男が座っていた。


 肥満の男は油ぎった顔に狡猾な笑みを浮かべ、俺たちを見上げた。


「おや、新顔のお客様ですね」

 しゃがれた声で挨拶し、金の指輪をいくつもはめた両手を擦り合わせる。

「ようこそ、旦那方。今夜は私に何を持ってきてくださったのかな? 血塗られた武器? 盗まれた宝石? それとも……致命的な情報ですか?」


 俺は一歩前に出ると、黒い手袋に包まれた両手をテーブルの上に置いた。

 ポケットから革袋を取り出し、男の目の前にコトンと落とす。


 木製のテーブルに、硬い物体がぶつかる鈍い音が響いた。


 俺の口角がゆっくりと上がり、暗いフードの影で不敵な笑みを形作る。


「さて……」

 俺は静かに告げた。

「交渉の時間だ」

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