路地裏の襲撃
アエレンデルの闇市場を抜け出し、俺は夜の街をのんびりと歩いていた。
頭の中では、完璧な計画が組み上がっている。
数分前、俺はエリシアに純金貨80枚の入った袋を持たせ、先に宿へ帰らせた。
口実としては「足跡を消すために遠回りをする」などとそれっぽいことを言ったが、本音は全く違う。
ただ単に、このA+グレードの『名もなき夜の外套』を着て、誰にも邪魔されずに「最強の裏ボス気取り」の夜歩きを満喫したかっただけだ。
しかし、俺の適当な口実は、最悪の形で現実のものとなってしまった。
少し人通りの少ない狭い路地に足を踏み入れた途端、俺の足は止まった。
前方の道を塞ぐように、凶悪な顔つきの四人の大男が立っていたのだ。彼らの手には、鉄パイプや刃こぼれした鉈が握られている。
闇市場のVIPルームから出てきた俺を狙っていた、底辺のネズミどもだ。
取引を終えたばかりの、金を持ったカモだと思われたのだろう。
「そこで止まりな、高級マントのお坊ちゃん」
スキンヘッドの男が下品な笑みを浮かべた。「金目のものを全部置いていきな。そうすれば、四つん這いで帰るくらいは許してやるぜ」
俺は小さくため息をついた。
(はぁ……どこの世界にも、自分からルート(略奪)されに来る馬鹿がいるんだな)
いつもなら『窃盗』を使って一瞬で武装解除するか、エリシアに片付けさせるのだが、彼女は今ここにいない。
そこで俺は、ふと妙な挑戦心に駆られた。
(素手で倒してみるか? 地球にいた頃、格闘技マニアの姉貴に基礎は叩き込まれてるしな)
サボってばかりだった記憶は棚に上げ、俺は呑気に構えをとった。
しかし、四人のゴロツキが俺を囲むよりも早く――。
――ドゴォッ!!
最後尾にいた男が、突如として前のめりに倒れ伏した。
魔法で気を失ったのではない。延髄への完璧な物理的打撃による気絶だ。
残る三人が驚いて振り返る。
そこには、胸元に金の縁取りがある長い黒のフードを被った、謎の女が立っていた。
顔はフードの深い影に隠れて見えない。
「速やかに法の裁きを受けなさい」
美しくも、絶対零度のように冷たい声が響いた。
「今すぐ抵抗をやめ、投降するのであれば……命の保証はします」
女からの警告を受け、ゴロツキたちの安いプライドに火がついた。
「邪魔しやがって! 殺せ!」
スキンヘッドが叫び、三人は一斉に黒フードの女へと襲いかかった。
俺は少し離れた場所から、その光景をただ見守っていた。
雷光のような速度で斬り伏せるエリシアの戦い方とは、全く違う。
女は、腰に差した長剣を抜こうともしなかった。
半歩だけ後ろに下がり、振り下ろされた鉈を鼻先数ミリで躱すと――ドスッ!――一つ目の男のみぞおちに、強烈な拳を叩き込む。
横から殴りかかってきた二つ目の男に対しては、流れるような動作で身を屈め、膝の裏を蹴り抜いて崩れさせた後、首筋に鋭い肘打ちを落とした。
相手の動きを完全に読み切る洞察眼。絶対的な冷静さ。そして、急所のみを正確に狙う制圧術。
無駄が一切ない、極めて洗練された動きだ。
残るはスキンヘッドだけ。
奴は怒り狂い、女の胸ぐらをめがけてダガーを突き出した。
しかし女は、鋼鉄の鞘に収まったままの剣をスッと持ち上げ、ガキンッ!と甲高い音を立ててその刃を弾き落とした。
「まだ抵抗するのなら。……選択の余地はありませんね」
女の声がさらに冷え込む。
「てめぇ! このアm――」
男の罵声が終わるより早く、女の左手が下から跳ね上がり、スキンヘッドの顎を打ち抜く死の舞が炸裂した。
――ゴキャッ!
スキンヘッドは一瞬だけ宙に浮き、その後、石畳に激しく叩きつけられてピクリとも動かなくなった。
わずか15秒。四人の男が完全に制圧された。
呆然と立ち尽くしていた俺は、ホッと安堵の息を漏らした。
(ヤバすぎだろあの人!)
俺は内心でガッツポーズをした。
(でもラッキー! カツアゲも回避できたし、自分で戦う手間も省けた! ありがとう神様! これぞ棚から牡丹餅ってやつだ!)
――だが、俺のその呑気な感謝は、わずか三秒しか持続しなかった。
最後の男が倒れた直後。
この狭い路地の気温が、急激に低下したのだ。先ほどまでの湿った空気が、氷のように冷たく張り詰める。
そして、微かに漂ってくる『百合の花』の香り。
(え? なんで急に寒く……てか、この匂い……)
俺は平坦な表情を保ちながら、黒フードの女を直視した。
その瞬間。
ただ静かに立っていた女が、スッと姿勢を低くしたかと思うと――次の瞬間、あり得ないほどの超加速で俺に向かって踏み込んできたのだ!
ダンッ!!と、彼女が踏み切った石畳が粉々に砕け散る。
さらに最悪なことに、ゴロツキ相手には抜こうともしなかった白銀の剣を抜き放ち、俺の首めがけて一直線に突き出してきたのだ!
(はあああぁぁッ!?!?)
心臓が口から飛び出そうになった。
極限のパニックの中、俺の脳は反射的に生存本能を弾き出した。
魔法のインベントリ(収納)を持たない俺は、常に強力な武器をマントの下に隠し持っている。
俺の右手が外套の内側へと閃き、死の森のハズレガチャで手に入れた【炎の剣】(グレードB+)を引き抜き、全力で迎撃した。
――ガァァァンッッ!!!
暗い路地裏で、激しい火花が爆発した。
灼熱の赤い光を放つ俺の剣と、女の振るう白銀の剣が激しく衝突する。
その恐ろしいほどの斬撃の重さに、俺の足は石畳をこすりながら後方へ数十センチも押し込まれ、俺の首からわずか三センチの距離でなんとか刃を食い止めた。
「ぐっ……!」
俺は短く呻き、必死に表情を作り直して、限界まで声を低くした。
「……いきなり、何をするつもりだ?」
交刃の向こう側。
黒いフードの奥で、輝くような『青い瞳』が、極限の警戒と強烈な憎悪を込めて俺を睨みつけていた。
その声はもはや美しくはない。怒りに満ちた獣の唸り声だった。
「私が……この街に潜む貴様らの存在に、気づいていないとでも思ったか?」
女は一語一語、噛み殺すように吐き捨てた。
「『魔神教団』の犬め」
(はあああぁぁぁぁぁッ!?!?!?)
俺の心の中で、今日一番の絶叫が木霊した。
十代の平凡な脳味噌が、この理不尽な状況を処理しきれずに崩壊していく。
(教団!? 誰が!? てかアンタ、昼間俺に壁ドンしてきた騎士様だろ!?
なんでゴロツキは素手で峰打ちだったのに、俺には真剣でガチの殺しに来てんだよ!? 理不尽すぎるだろォォォッ!!)
女は俺の首へさらに強く剣を押し込んでくる。
自分が『魔神教団の幹部』だと信じて疑わないこの不審者が、つい数時間前に路地裏で自分の股の間に足を突っ込んできた『無害な旅人の青年』であることなど、彼女は微塵も気づいていなかった。




