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【クレア視点】ワイングラスの奥で囁かれる噂

「黄金の薔薇」の店内は、今夜も喧騒に包まれていた。


アエレンデルでも有数の高級酒場であるこの場所は、金に糸目をつけない富裕な商人や地元の貴族、そして高ランクの冒険者たちで常に賑わっている。


私はカウンターの隅の席に、一人静かに座っていた。


騎士としての身分を隠すため、白いシャツと濃紺の外套という平服を身に纏っている。

 指先で赤ワインの入ったグラスをゆっくりと回すが、一口も飲んではいない。


監視の任務に就く者として、常に頭を冷やしておく必要があるからだ。


訓練された私の耳は、周囲の雑音を自動的に処理し、有益な情報だけを拾い上げていく。


「大げさですよ、ダロウの叔父貴。無詠唱で敵の武器をあんなに速く移動させる魔法なんて、あるわけないでしょう?」


少し離れた円卓から聞こえてきた嘲笑の声に、私の意識が向いた。


そこには三人の商人風の男たちが、豪華な料理を囲んで座っている。

 そのうちの一人――今日この街に到着したばかりと思われる中年の男が、極めて深刻な顔で首を横に振っていた。


「商業の神に誓って、俺はこの目で確かに見たんだ!」


ダロウと呼ばれた商人が言った。

 彼の声は微かに震えており、感嘆と、抑えきれない恐怖が入り交じっていた。


「あの若者は……剣を抜くことすらしなかった」


「薄汚れた灰色の外套を着て、フードで顔を隠していたんだが……盗賊どもが短剣を突きつけた時、あいつはただ手首を軽く返し、何かを囁いただけだ」


「次の瞬間には――シュンッ! 盗賊どもの短剣が、奴ら自身の肩に深々と突き刺さっていたんだよ!」


その言葉に、二人の話し相手は一瞬にして息を呑み、沈黙した。


「ま、待ってくれ、本気か? 魔法陣なしの転移魔法だって? それは王都の宮廷魔術師レベルの高位魔法じゃないか!」


ダロウの真っ青な顔を見て、一人がついに信じ始めたように声を上げた。


「それだけじゃない」


ダロウは、まるでその謎の若者が影から突然現れるのを恐れるかのように、さらに声を潜めた。


「あいつの話し方だ……口調はひどく穏やかなのに、放たれるオーラは血が凍りつくほど冷たかった」


「それに、茶色の外套を着た『妹』の方もだ……動きが異常に速い! 剣を抜くことすらなく、残りの盗賊を一瞬で無力化しちまったんだ。あいつらは絶対に、ただの旅人なんかじゃない!」


カウンター席でグラスを回していた私の指が、ピタリと止まった。


一つの映像が、私の脳裏を鮮明に駆け巡る。


今日の昼下がり、冒険者ギルドで起きた出来事。

 下級冒険者として登録しに来た、一組の『兄妹』。


極めて落ち着き払った灰色の外套の青年と、その隣で刃物のような敵意を放っていた茶色の外套の少女。


さらに、あの青年のブーツに付着していた赤黒い泥の汚れ。

 あれは『白樹の森』と『死のニフルヘイム』の境界付近でしか見られない特有の土だ。


ダロウというこの商人が通ってきたルートと、完全に一致している。


(肉体労働を探している、ただの平凡な旅人、ね)


私は内心で、冷たく鼻を鳴らした。


騎士としての私の直感が、警鐘を激しく鳴らしている。

 あの青年は、私の目の前で堂々と、完璧な嘘をつき通したのだ。


私はカウンターに銀貨を一枚置き、静かに立ち上がった。


濃紺の外套を翻し、アエレンデルの冷たい夜の空気の中へと歩み出る。

 薄暗い街灯の下で、私は目を鋭く細めた。


「灰色の外套の若者……」


私はその特徴を記憶に深く刻み込みながら、低く呟いた。


「いいだろう。お前がこの街で、一体どんな恐るべき秘密を隠しているのか……私が暴いてやる」

主人公、無自覚のうちに自分の悪名(?)を街中に轟かせてしまったようです(笑)


すれ違いと勘違いが加速する中、果たしてこの真面目すぎるエリート騎士のヒロインは、リュウナに対してどんな行動に出るのでしょうか?

次回の展開もどうぞお楽しみに!


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