北の英雄(ヒーロー)
木製の車輪が、ようやくその軋み音を止めた。
人々の喧騒、地元の鍛冶屋から響く鉄を打つ音、そして商人たちの活気ある声が耳に届く。
「旦那、嬢ちゃん! アエレンデルの正門に着きましたぜ!」
客車の外から、年配の商人が声をかけた。
俺は幌をめくり、軽やかに飛び降りた。エリシアもそれに続く。
この中継都市を囲む高い石の城壁を見上げる。
灰色のフードを深く被り直し、目立つ黒い髪を隠した。
「乗せてくれて助かったよ、おっさん」
俺は気さくに言った。
「いやいや、こちらこそ! もし何かご入り用でしたら、市場区にある我々の店を訪ねてください!」
商人は手を振って応え、荷物検査の列へと馬車を進めていった。
俺とエリシアは歩行者用の列に向かって歩き出した。
しかし、検問所に十歩ほど近づいたところで、列の先頭から騒ぎが勃発した。
「その木箱を開けろ! この王国の封印は偽造だ! 違法なモンスターの魔石を密輸しているな!?」
大柄な門番が怒鳴りつけた。
「チッ! 嗅ぎ回るんじゃねぇよ、門番の犬が!」
みすぼらしい服を着た男――密輸業者が、突然門番の胸ぐらを掴み、その顔面に強烈な頭突きを食らわせた。
――ゴグッ!
「ぐあッ!」
門番が地面に倒れ込む。
別の門番が背後から取り押さえようとしたが、密輸業者はその脛を蹴り上げ、うなじを殴りつけて昏倒させた。
「ハハッ! あばよ、負け犬ども!」
密輸業者は高笑いした。
自分の木箱を蹴り飛ばして中身を散乱させ、群衆の間に混乱を引き起こすと、開かれた街のメインストリートへと猛スピードで駆け出した。
「奴を捕らえろ! 逃がすな!」
遠くから衛兵の隊長が叫ぶ。
群衆は悲鳴を上げながら道を空け、勝利の笑い声を上げる密輸業者の逃走を許してしまった。
だが、男の笑い声は唐突に途切れた。
砂埃の舞う道のど真ん中に、一人の女が歩み出て、逃走ルートを塞いだのだ。
風が静かに吹き抜け、彼女の淡い水色の長い髪を揺らした。
顔の左右には、小さな三つ編みが綺麗に垂れ下がっている。
明るい青色の瞳が、氷のように冷たく密輸業者を見据えていた。
「どけ、アマ! さもなきゃ首を掻き切るぞ!」
密輸業者は腰からダガーを抜き放ち、前へと突進しながら脅した。
女は微動だにしない。
太陽の光の下で、彼女の鎧は際立って見えた。
重厚な金属鎧ではなく、布と白銀の金属を組み合わせたものだ。
胸当ては薄い鋼鉄で作られているが、腹部は動きやすさを重視した軽い布で覆われている。鋼の肘当て、丈の短い戦闘用のスカート、そしてすらりとした長い脚を太ももまで覆う白いストッキング。
「中央王国の法に基づき、降伏しなさい」
彼女の声は音楽のように美しかったが、絶対的な威厳を持って空気を切り裂いた。
密輸業者が女の首元に向かってダガーを振り下ろす。
――シュッ! ゴッ!
一般の市民の目がその動きを捉えるよりも早く。
水色の髪の女は体を傾けて男の死角へと踏み込み、鞘から抜いてすらいない剣の柄を、男の顎に正確に叩き込んだ。
「がっ……!」
密輸業者の白目が剥き出しになる。
体は空中で回転し、鈍い音を立てて地面に叩きつけられた。
たった一撃の気絶。
駆けつけた門番たちは、即座に片膝をつき、ぎこちなくも畏敬の念を込めた敬礼をした。
「ク、クレア様、ご助力に感謝いたします! 我々の不手際で申し訳ありません!」
衛兵の隊長が冷や汗を流しながら言った。
クレア・スライヴェンと呼ばれた女は一瞥だけをくれ、戦闘用のスカートを翻して背を向けた。
「彼を尋問室へ。二度と門の警備でこのような失態を犯さないように」
静まり返った群衆の最後尾で、俺はその光景を瞬き一つせずに観察していた。
フードの影の下で、自然と口角が上がり、薄い笑みを形作る。
「ふむ……なかなか面白い女だ」
俺は小さく呟いた。
(無駄のない動き。重心も極めて安定している。単純な腕力なら、エリシアをわずかに上回るかもしれないな)
目を細めて冷静に分析する。
(厄介な高レベルNPCだ。あれが王国の猟犬なら、警戒レベルを引き上げないとな。関われば確実に骨が折れる)
俺は隣に立つ相棒に何か尋ねようと顔を向けた。
しかし、異変に気づいた。
エリシアは俯いていなかった。
背筋を伸ばして立っているが、茶色いローブの下に隠された両手は、関節が白くなるほど強く握りしめられている。
彼女の銀色の瞳は、遠ざかっていくクレアの背中を鋭く見つめていた。
「まさか……『彼女』もここに来ているなんて」
エリシアは、抑え込んだ感情の圧力を孕んだ声で低く囁いた。
俺は片眉を上げた。
「知り合いか?」
エリシアは心拍数を落ち着かせるように、深く息を吸い込む。
「クレア・スライヴェン。中央王国のエリート騎士。彼女は『北の魔将討伐の英雄』と呼ばれているわ」
「英雄、ねぇ?」
俺は鼻で笑った。
「それが、お前のような逃亡者と何の関係があるんだ?」
「中央王国とナルヴェル公爵家との関係は、完全なグレーゾーンなの」
エリシアはクレアが消えた方向から目を離さずに答えた。
「正式な同盟関係にはないけれど、私たちの家門はよく機密情報を交換している。もしクレアがこんな辺境の街にいるなら……何かを監視する任務を帯びている可能性があるわ」
エリシアは俺の方を向き、真剣な表情を浮かべた。
「あるいは……『誰か』を」
俺は一瞬沈黙した。
脳内で様々な可能性と最悪のシナリオが回転する。
しかし、パニックに陥るどころか、俺の唇の笑みはさらに深まった。
「なるほどな」
俺は静かに言い、少女が背負っている重荷など自分には何でもないことのように、ポンッと軽くエリシアの肩を叩いた。
「それなら、まずは中に入ってこの街に挨拶と行こうぜ。俺たちは宿を見つける必要があるし、それに……この『拾い物』をいくつか売り払わなきゃならないからな」




