戦闘シナジ
死の森が真の静寂に包まれることはない。
巨大な樹々の天蓋に遮られながらも、遠くからモンスターの遠吠えが木霊していた。
俺は、前を歩くエリシアの背中を追いながら、視界の隅に浮かぶ青い半透明のシステム画面をチラリと盗み見た。
『 MP:105 / 120 (パッシブ回復 [共鳴]:アクティブ) 』
俺は小さく息を吐く。
エリシアがそばにいるおかげでマナは着実に回復しているが、上限はまだ120だ。
もし今、無理をしてガチャ【GIVIN】を回せば、再びマナ枯渇を引き起こして気絶するだろう。
そしてまた、エリシアに看病されながら目覚める羽目になる。
(まあ、それ自体は悪い気はしないが……男のプライドとして、これ以上お荷物になるわけにはいかない)
俺は内心でそう決意した。
(今はガチャを我慢だ。エリシアの力と、俺のオリジナルスキルに頼るしかない)
「リュウナ、止まって」
突然、エリシアが低く囁いた。
エルフの少女は分厚い茂みの背後に身をかがめ、俺にも低くなるよう手で合図を送る。
俺は這うようにして彼女の隣に並んだ。
前方には、岩壁に囲まれた開けた場所があった。ゴブリンの巣穴だ。
石斧や錆びた短剣で武装した十匹ほどのゴブリンが見張りに立ち、さらに数匹のホブゴブリン――通常のゴブリンより一回り大きく筋肉質な上位種――が巡回している。
「数が少し多いわね。迂回して別の道を探す?」
エリシアが小声で尋ねてきた。
彼女は主君に指示を仰ぐ騎士のように、俺の横顔を見つめている。
俺は静かに首を振った。
わざとらしい『闇の王子』の演技を一旦引込め、素の、しかし集中した声で答える。
「いや、その必要はない。あそこには戦利品の袋が山ほどある。生き残るための資金が必要だ」
「近接戦闘はお前に任せる、エリシア。俺はここからバックアップする」
俺の計算高く落ち着いた声色に、エリシアは少しだけハッとしたように見えた。
(自惚れることもなく……すごく冷静で、私のことを信頼してくれている……)
そんなふうに思っているのか、エルフの少女の頬が、再びほんのりと朱に染まる。
「わ、分かったわ! 前衛は私に任せて!」
エリシアは白銀の閃光のごとく茂みから飛び出した。
「キエェェッ!?」
奇襲に驚愕するゴブリンたち。
――ザシュッ!!
エリシアの銀剣が一閃し、一呼吸で二匹のゴブリンの首を刎ね飛ばす。
その動きは息を呑むほど美しく、そして効率的だった。
しかし、いかんせん敵の数が多すぎる。
三匹のホブゴブリンが怒り狂って咆哮し、三方からエリシアを取り囲むと、太い丸太の棍棒を同時に振り下ろしてきた。
包囲を避けるため、エリシアが後方へ跳躍しようとした、その瞬間――。
「スティール!(窃盗)」
俺は茂みの奥から声を響かせた。
――シュンッ! シュンッ! シュンッ!
瞬きする間に、三匹のホブゴブリンが握っていた棍棒が、俺の手元へと完全に転送された。
「「「ギャ!?」」」
ホブゴブリンたちは空気を全力で殴りつける形になり、バランスを大きく崩して、マヌケにも互いに頭をごっつんこと衝突させた。
エリシアはその黄金の隙を逃さない。
低い姿勢で滑り込み、三匹の足の腱を正確に斬り裂いて地に這わせると、そのまま致命的な一撃を首筋に見舞った。
「クソッ、後ろからあいつを狙え!」
木の上に隠れていた弓兵のゴブリンが叫び、毒矢を番えてエリシアの背中を狙う。
しかし、その矢が放たれるよりも早く。
「スティール」
弓の弦だけが一瞬で消滅し、俺の手に移動した。
張力を失った弓は弾け飛び、毒矢は無力に地面へと転がり落ちる。
ポカンと間抜け面を晒す弓兵ゴブリン。
次の瞬間、俺が下から力いっぱい投げつけた『炎の鉄剣』が顔面にクリーンヒットし、モンスターは木から転げ落ちて絶命した。
戦闘は、ものの五分足らずで終了した。
俺とエリシアのシナジー(相乗効果)は恐るべきものだった。
彼女が追い詰められそうになるたび、あるいは予期せぬ攻撃が来るたびに、俺の【スティール】が発動する。
武器を奪い、盾を奪い、あるいは小石を転送して敵の集中を乱す。
俺自身は一滴の汗も流すことなく、ただ指先一つで戦場を支配した気分だった。
エリシアは剣を鞘に収め、歩み寄ってくる俺を尊敬の眼差しで見つめた。
「あなたのその能力……本当に規格外ね。直接手を下さなくても、敵の防御を完全に無力化してしまうなんて」
俺は軽く肩をすくめ、薄く笑った。
「ただの安っぽい手品さ。力仕事は全部お前がやってくれたじゃないか、エリシア」
俺の謙虚な態度が、どうやらエリシアの好感度メーターをさらに刺激したらしい。
彼女は頬を赤らめ、尊敬と熱っぽい視線を向けてくる。チョロい。完全にチョロインだ。
一方の俺は、そんな熱烈な視線など完全にスルーし、巣穴の奥にある骨と戦利品の山へと直行していた。
ゲーマーとしてのルーター(略奪者)の血が騒いでいるのだ。
ガサゴソと山を漁り、銅貨や銀貨、そして一つの輝く石を見つけ出す。
「お? こいつは当たりだな」
俺は拳大のエメラルドの結晶を拾い上げて呟いた。かなり濃密な魔力を放っている。
「後で売ればいい金になりそうだ」
しかし。
俺のその笑顔は、長くは続かなかった。
――ズシンッ。
足元の地面が激しく揺れた。小石が跳ね上がる。
――ズシンッ。ズシンッ。
崖の端に生えていた巨大な木が、根元からへし折られて吹き飛んだ。
崖の奥にある暗い洞窟から、身の丈三メートルを超える巨躯のモンスターが姿を現す。
暗赤色の皮膚。鋼糸のように隆起した筋肉。無数の傷跡。
下顎からは二本の巨大な牙が突き出しており、右手には武器として『引き抜かれた大木』をそのまま引きずっていた。
突然変異体のオーガ(オーガ・ミュータント)。
このゴブリンの巣穴の、真のボスである。
息が詰まるほどの濃密な殺気が辺りを支配した。
エリシアは反射的に後ずさりし、構えた剣の切っ先が小刻みに震えている。
「リ、リュウナ……あ、あれは上位個体のオーガよ! 普通の剣じゃ、あの皮膚は貫けない……!」
俺はその場から一歩も動かなかった。
目は真っ直ぐに、その巨大なモンスターを見据えている。
ゆっくりとエメラルドをポケットにしまい、背筋を伸ばし、斜に構えた笑みを浮かべた。
片手で前髪をかき上げ、『闇の王子』のオーラを完璧に身に纏う。
「……ふん。どうやら、俺に相応しい相手を見つけたようだな」
モンスターのプレッシャーなど微塵も感じていないかのように、低く静かな声で言い放った。
エリシアは希望に満ちたキラキラとした瞳で俺を見つめてくる。
(きっと彼には、何かとてつもない秘策があるのね!)とでも言いたげな顔だ。
一方、その頃の俺の脳内――。
(死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!! なにこれマジで死ぬ!!)
(マナ足りねぇからガチャ回せねぇし!! 武器が大木ってどうやってスティールするんだよバカアアァァァッ!!)
完璧なポーカーフェイスの裏側で、俺は冷や汗を滝のように流しながら、盛大にパニックに陥っていた。




