第207話:王都の祝宴
魔王アレン・クロフォードの消滅と、世界の崩壊を免れたあの日から、早くも三ヶ月の月日が流れた。
王都周辺の空間の歪みは完全に修復され、大地には再び緑が芽吹き始めている。魔族という明確な脅威が世界から消え去ったことで、各国の緊張状態は急速に緩和され、人々の顔には長い恐怖から解放された安堵と、未来への希望が戻りつつあった。
リュステリアの街もまた、例外ではない。
アドルは領主としての政務を有能な補佐役であるエナと共にこなしながら、空いた時間を見つけては地下の工房に籠り、屋敷の家具や魔道具の効率化、そして街のインフラ整備に勤しんでいた。
中でも一番の成果は、以前アドルが開発した『鉄のソリ』の完全改修だった。
「エナ、郵便事業の切り替えはうまく進んでいるか?」
執務室の机で書類に目を通しながら、アドルは向かいで羽ペンを走らせているエナに声をかけた。
「はい、アドルさん! 以前はぴよちゃんたち魔物便に頼り切りで、重量物や天候に左右される不安定な運用でしたが……アドルさんが開発してくれた『磁界駆動車』のおかげで、大量の郵送物を迅速かつ安全に行き来させられるようになりました。事業の収益は、見事なV字回復です!」
エナが胸を張り、自信に満ちた笑顔を見せる。
磁界駆動車。
それが、鉄のソリの改良型の新しい名前だった。大地の磁力をアンカーにして進む基本原理はそのままに、車体を密閉型の流線型へと変更。内部には衝撃吸収用の魔力クッションを敷き詰め、乗り心地、安全性能、そして風と磁力を組み合わせた繊細なコントロール性能が飛躍的に向上し、誰が乗っても安全な夢の乗り物へと進化を遂げていた。
「エナは本当にいつも凄いな。新しい仕組みをすぐに理解して事業に組み込むなんて、立派な才能だよ」
「ふふっ、ありがとうございますっ。……なので、金庫の財は今、たんまりと潤っていますよ、アドルさん」
エナが少しだけイタズラっぽく目を細める。
「なんだなんだ、おねだりか?」
「いーえ。でも、たまには皆様でゆっくり息抜きをしてもいいとは思いますよ!」
「それは、そうだな。……エナも随分と自分の意見をハッキリ言うようになったな。仕事に自信がついてきた証拠かな」
「私は、みんなに笑っていて欲しいだけですぅ」
「じゃあ、そういうことにしておこうか」
アドルが苦笑しながら書類を整理していると、エナが郵便物の束の中から、一際立派な封筒を見つけ出した。
「あれ、アドルさん宛てに、何か凄く豪華な封筒の手紙が届いていますよ。……って、えええっ!? これ、王家の家紋が入ってます!!」
エナが慌てて封筒をアドルに差し出す。
受け取ったアドルは封蝋を慎重に割り、中から羊皮紙の手紙を取り出した。
「ん、ちょっと見せてくれ。……差出人は、アリア王女か」
手紙には、優雅で達筆な文字が並んでいた。
『アドル殿、お元気ですか? 王都の復興は順調に進んでおり、もう九割方、街の様子は元通りとなりました。以前はバラバラだった私たち家族も、今は一体となって復興を進められているので、とてもスムーズなのだと思います。
さて、本題なのですが……この度、兄であるレオンハルトが国王として正式に王位を継承することになりました。そのご報告と、王位継承式の際に、先日十分に行えていなかった『世界を救っていただいたお礼』を、国を挙げてさせていただきたいと思っております。
日程は下記の通りとなりますので、是非ご調整の上、皆様で来訪いただければ幸いです』
手紙を読み終え、アドルはふっと息を吐いた。
「なるほど、これは行かないといけないな。……そうだ、エナ。ちょっとした休暇も兼ねて、王都旅行ってことで、みんなで行こうか」
「……!! 私も、行っていいんですか!?」
エナの耳が、ピンと上に跳ね上がる。
「ああ、みんなで行こう。この世界は、それくらい平和になったんだから」
「あら、私抜きでそんな楽しそうな話を進めるのですか? ご主人様」
不意に執務室の扉が開き、お茶のセットを持ったカミラが入ってきた。
「カ、カミラ。居たのか」
「居たのかじゃありませんわ! みんなで王都に行くのでしたら、また念入りな旅支度が必要ですわね。……王位継承式にも出席するのであれば、ミーシャ様、私、そしてエナも、相応しいドレスが必要ですわ!!」
カミラの切れ長の瞳が、獲物を見つけた肉食獣のようにキラリと輝く。
「ああ、そうだな……」
アドルが笑いながら同意すると、エナに向かって頷いた。
「エナ、とびきり良いドレスを仕立てていいぞ。経費は事業の利益から落とそう」
「本当にですか! 嬉しいですっ。私は……アドルさんに、選んで欲しいな……?」
エナが上目遣いでアドルを見つめる。
「あら、エナ、随分と積極的ですわね? ご主人様、そういうことでしたら、私のドレスもご主人様のセンスにお任せ致しますわ」
「わかった、わかった」
アドルが二人の勢いに押されていると、開いたままの扉の影から、ひょっこりと顔を出す人影があった。
「……じー」
「おわっ、ミーシャ! こっそり覗くなよ!」
「何だか楽しそうな声が聞こえてきたから、何かと思えば。……それなら、私もアドルさんにドレスを選んでもらいたいですね」
ミーシャが柔らかな微笑みを浮かべて部屋に入ってくる。
世界を救った大魔法使いも、年相応の女の子らしい楽しみには目が無いらしい。
「わかったわかった。じゃあ今日の午後、みんなで街に買いに行こう」
こうして、アドルたちは王位継承式に向けたドレスを仕立て、王都への慰安旅行へと出発することになった。
◇
数日後。
リュステリアの街を抜け、街道に出たアドルたちは、完成したばかりの『磁界駆動車』に乗り込んでいた。
「自分たちで乗るのは、これが初めてだな」
操縦席で魔力制御のクリスタルを握りながら、アドルが後部座席を振り返る。
「だいぶ見た目も変わっちゃいましたね。前みたいな剥き出しの鉄板じゃなくて、ふかふかのシートまであって快適です」
ミーシャがクッションの感触を確かめながら感嘆の声を上げる。
「以前のソリは、止まり方も急ブレーキで怖すぎましたから……これは完全に、上位互換の素晴らしい乗り物ですわ」
カミラも窓の外を流れる景色を見ながら、優雅に紅茶を口に運んでいる。
「安全性能が上がるのはいいことだ。よし、みんな乗り込んだな。忘れ物はないか?」
「はいっ! 荷物は全部、ミーシャさんの異空間に入れてもらいました!」
エナが元気よく答える。
「よし、それじゃ出発だ」
アドルが魔力を流し込むと、マグネ・キャリアは音もなく静かにふわりと浮き上がり、滑るような加速で王都への道を駆け抜けていった。
◇
王都に到着すると、アドルたちはまず城門前で復興指揮を執っていたマリアの元へと向かった。
「アドルさん! お久しぶりです!」
見違えるほど綺麗に整備された城壁の前で、いつもの修道服ではなく、カジュアルな服装のマリアが笑顔で駆け寄ってくる。
「ああ、久しぶりだな。復興は順調のようだな。アリアはいるか?」
「アリア王女は今、式典の準備や各領主との調整で大変多忙でして……事前に面会の時間を設定しないと、お会いできない状態ですね」
「わかった。じゃあ都合がつくまで、こちらは王都でゆっくりさせてもらうよ」
「わかりました。……そうだ、以前アドルさんたちが拠点にしていたあの建物、実はそのまま使える状態で王家が管理し、置いてあるんです。王都の宿も安全にはなっていますが、どうされますか?」
「そうだな。まだ使えるなら、せっかくだしあの秘密基地を使わせてもらうよ」
アドルたちは、かつての激戦の合間に過ごした拠点へと向かい、アリアとの面会まで時間を潰すことにした。
◇
「わあー、凄いです! こんな秘密基地みたいな場所があったんですね!」
建物の扉を開けるなり、エナが目を輝かせて中を駆け回る。
「凄いでしょ? エナ、見てごらんなさい。このキッチン、ご主人様が錬成で作り上げたので、火加減も水回りも快適そのものですわ!」
カミラも自慢げに設備を案内している。
「アドルさん、アドルさん! 私、王都に来るのは初めてなんです。明日、少しだけ街の散策に行ってきてもいいでしょうか?」
「そうだな。一人じゃ道に迷うかもしれないから、カミラと一緒に行くといい」
「やった! 見知らぬ魔道具とか、珍しい服とか売ってそうで、すごく楽しみですっ!」
「エナ、あまり羽目を外しすぎて、ご主人様のお財布にご迷惑をかけないようにね」
カミラが窘めるが、アドルは笑って手を振った。
「カミラ、半分は俺たちの休暇で来てるんだ。多少は羽を伸ばして、好きなものを買ってきても大丈夫だよ」
「……ご主人様がそう仰るのなら、お言葉に甘えさせていただきますわ」
そうして四人は、久しぶりの秘密基地でアドルとカミラの合作料理を堪能し、清潔なベッドでぐっすりと眠りについた。
翌朝。
「アドルさん、ミーシャさん! 行ってきますね!」
「ああ、気をつけてな」
元気よく手を振って、カミラとエナは復興で活気づく王都の街中へと消えていった。
しばらくして、二人の留守番を楽しんでいたアドルとミーシャの元へ、マリアが息を切らせて訪れた。
「アドルさん、急ですみません! アリア王女の時間がようやく出来ましたので、王城まで御足労願えますでしょうか?」
「ああ、わかった。……ミーシャも、一緒に来てくれるか?」
「はい、わかりました」
そうして二人は、美しく再建された王城の謁見の間へと向かった。
そこには、正式な王族の正装に身を包んだレオンハルト、アリア、そしてアルベルトの三人の姿があった。
次期国王となるレオンハルトは、玉座の前に立ち、アドルたちの姿を認めると深く頭を下げた。
「アドル殿、ミーシャ殿。改めて、王都を、そしてこの世界を救ってくれたことに、王家を代表して心からの感謝を申し上げる。正直なところ、あなた方の功績は金銭や地位で払い切れるようなものではない。だが、国のケジメとして、正当な褒賞を支払わせてほしい」
レオンハルトからの真摯な申し出に、アドルは一礼してそれを受け入れた。
褒賞の授与は、明後日の王位継承式の後、速やかに行われるという。その後には盛大なパーティも予定されており、存分に楽しんでほしいと告げられた。
「レオンハルト殿下。国王への即位、本当におめでとうございます。また、王都の再建、本当にご苦労様です。アリア王女とアルベルト殿下が傍にいれば、きっと強固で平和な国が作れると信じています」
アドルの言葉に、レオンハルトは少しだけ照れたように笑った。
「堅苦しいのは苦手だ、どうか口調を崩してくれ。君たちには、私個人の命も救ってもらった。本当に感謝している。……特に、妹のアリアが随分と世話になったようだ。今後、もしリュステリアや君たち自身に困ったことがあれば、必ず相談に乗る。国を挙げて支援するから、いつでも頼ってほしい」
「ああ、助かるよ」
「王位継承式とパーティは二日後だ。まだ王都も復興したてで、かつてほどの活気は完全には戻っていないかもしれないが、一定の機能と娯楽は戻っている。少しでも、この国を楽しんでもらえればと思う。……何かあれば、この『王家のメダル』を出すといい。どこの施設でも、最優先で手配させよう」
レオンハルトから黄金のメダルを受け取り、アドルは微笑んだ。
「何から何まで、ありがとうございます。それでは、二日後にまたお邪魔させてもらいますね。お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございました」
そうして王城を後にし、拠点へと戻る帰り道。
「ミーシャ、王家って凄いな。あのメダル、持ってるだけで手が震えそうだ」
「そうですね。私も、ちょっぴり緊張してしまいました。……でも、アドルさんはもう、国中から認められた本物の英雄なんですよ」
「それを言うなら、ミーシャもだぞ。大魔法使い様」
「ふふっ、そうですね。私たち、頑張りましたものね」
二人は顔を見合わせ、平和な街の空気を深く吸い込んだ。
◇
そして二日後。
レオンハルトの王位継承式は、澄み渡る青空の下、厳かに、そして滞りなく進められた。
新たな王の誕生に王都の民衆が歓喜の声を上げる中、式典に続いてアドルたちへの褒賞授与式が行われた。
莫大な報奨金と、王家直属の特別名誉貴族の称号。それは、彼らの今後の生活を永遠に保証するに余りあるものだった。
夜になり、王城の大広間で開催された祝賀パーティ。
無数のシャンデリアが眩い光を放ち、楽団が優雅なワルツを奏でる中、会場の視線は入り口から現れた一組の男女に完全に釘付けとなった。
漆黒のシックな夜会服に身を包んだアドル。
その傍らには、息を呑むほどに美しい三人の女性が寄り添っていた。
ミーシャは、彼女の澄んだ瞳によく似合う、深い夜空のような群青色のドレス。
繊細な銀糸の刺繍が施され、少し大人びた清楚な魅力が、周囲の貴族の青年たちの視線を釘付けにしている。
カミラは、大人の色香を存分に引き出す深紅のマーメイドドレス。背中が大胆に開いたそのデザインは、彼女の完璧なプロポーションと妖艶な美しさを際立たせ、すれ違う者たちの感嘆の溜息を誘っていた。
そしてエナは、淡いレモンイエローのふんわりとしたプリンセスラインのドレス。耳には可愛らしいリボンの飾りがつけられ、彼女の純真無垢な愛らしさが、会場に花が咲いたようなパッと明るい空気をもたらしていた。
「……ご主人様、少し注目を集めすぎではありませんか?」
カミラがアドルの腕にそっと手を添え、余裕の笑みを浮かべながら耳打ちする。
「あぁ……正直、居心地が悪いくらいだ。お前たち三人が綺麗すぎるから、周りの男たちの嫉妬の視線が痛いよ」
アドルが苦笑いしながら答えると、ミーシャが嬉しそうにアドルのもう片方の腕をギュッと抱き寄せた。
「ふふっ。アドルさんに選んでもらったドレスですから、気合いを入れて着こなさないと」
「わぁ……お料理がすごいです! アドルさん、あっちのテーブルのローストビーフ、とっても美味しそうです!」
エナが目を輝かせて、豪勢な料理が並ぶビュッフェテーブルを指差す。
「よし、今日は無礼講だ。好きなものを好きなだけ食べて、飲んで、楽しもう」
四人は広間の中央へと進み、王族や貴族たちからの絶え間ない祝辞と乾杯の挨拶を受けながら、最高の夜を満喫した。
選び抜かれた最高級のワイン。
舌の上でとろけるような肉料理や、色鮮やかな宝石のようなスイーツ。
楽団の音楽が変わると、アドルはたどたどしいステップながらも、ミーシャ、カミラ、エナの順番で手を取り、ダンスの輪に加わった。普段の戦闘や領地経営の緊張感など微塵もない、ただただ平和で、満たされた時間が流れていく。
(……この平和を、俺たちは守れたんだな)
踊りながら、アドルは三人のとびきりの笑顔を見て、胸の奥で静かに噛み締めた。
もう、誰も失うことはない。この安寧な日々を、彼女たちと共に生きていく。
「アドルさん、どうかしましたか?」
ミーシャが不思議そうに見上げてくる。
「いや、なんでもない。……ただ、最高の休暇になったなって思って」
夜が更けるまで、四人は王都の祝宴を心ゆくまで楽しみ尽くした。
本当に心休まる、極上の休暇。
あと二日この街の空気を満喫したら、また自分たちの帰るべき場所、リュステリアの屋敷へ帰ろう。
アドルはグラスに残ったワインを飲み干し、愛すべき家族たちの笑い声に、優しく目を細めるのだった。




