第208話:還るべき場所
王都での華やかな祝宴と数日の休暇を終え、俺たちはリュステリアへの帰路についていた。
改良型の磁界駆動車マグネ・キャリアの車内は、行きとは打って変わって静かな空気に包まれている。
ミーシャ、カミラ、エナの三人は、連日の疲れが出たのか、ふかふかの後部座席で身を寄せ合うようにして穏やかな寝息を立てていた。
自動操縦で滑るように進む景色を眺めながら、俺は懐から一つの革手袋を取り出した。
それは、かつて俺がルルのために丹精込めて錬成した、魔石を嵌め込むための特製グローブだった。
あの日、ルルが光となって消え去った後、奇跡的に焼け焦げた状態で平野に残されていた唯一の形見である。
汚れを落とし、修復し、今は俺が大切に持ち歩いていた。
「……ルル」
グローブをそっと撫でた、その時だった。
空っぽのはずの魔石スロットの奥から、ふわりと微かな光が漏れ出した。
エメラルドグリーンの、温かく優しい光。
まるで、かつてルルを包み込んでいたエンシェントスライム、すらたんのオーラのような輝きだった。
「なんだ……?」
俺が息を呑むと、隣の助手席で微睡んでいたミーシャが、その光に気づいて目を覚ました。
「アドルさん……そのグローブ、光って……」
「あぁ。ただの形見のはずなのに、微弱な魔力を放っている。しかも……」
俺はグローブを手のひらの上に乗せた。
エメラルド色の光は、まるでコンパスの針のように、進行方向とは別の『ある特定の方角』に向かって点滅を繰り返している。
「この方角……王都の北西。まさか」
「……『禁忌の森』ですね」
ミーシャが確信を持った声で呟く。
禁忌の森。
かつて俺たちが世界の真実を知り、大錬金術師リーネと出会った場所。
「ミーシャ。リュステリアに帰る前に、少しだけ寄り道をしてもいいか?」
俺は操縦桿を握り直し、進路を変更する準備を始めた。
「実は、帰りにあの森へ立ち寄ろうと思っていたんだ。世界の崩壊は止まり、平和な日常が戻った。その報告と……ルルやリーネ、アレンたちの生きた証を残すために、あの森に慰霊碑を建てたくてな。お墓参りみたいなものさ」
「アドルさん……。はい、行きましょう。私も、ルルちゃんたちに平和になったこの世界を、一番に報告したいです」
ミーシャが優しく微笑む。
グローブの光は、まるで「早く来て」と手招きするかのように、より一層強く輝き始めた。
◇
磁界駆動車の圧倒的な機動力により、俺たちはほどなくして禁忌の森の入り口へと到着した。
鬱蒼と茂る木々は以前と変わらないが、かつてこの森を覆っていた人を寄せ付けないような拒絶の気配は消え失せている。
目を覚ましたカミラとエナを伴い、俺たちはグローブの光に導かれるまま、獣道を奥へ奥へと進んでいった。
「なんだか、不思議な感じがします。怖い森のはずなのに、とても空気が澄んでいて……温かいです」
エナが耳をぴくぴくと動かしながら、周囲を見渡す。
やがて視界が開け、見覚えのある開けた空間に出た。リーネが生活していた、古びた庵がある場所だ。
慰霊碑を建てるならここしかない。
そう思い、俺が空間収納から石材を取り出そうとした、その瞬間だった。
「……まったく。いつまで経っても、勝手に人の庭に上がり込む癖は治らないのね、あんたたち」
背後から、呆れたような、しかしどこか弾んだ声が響いた。
全員の動きが、雷に打たれたようにピタリと止まる。
幻聴ではない。
振り返った俺たちの視線の先、庵の入り口の柱に寄りかかっていたのは、白銀の髪をなびかせた大錬金術師、リーネその人だった。
「リ……リーネ……!?」
「え、嘘……どうして……消滅したんじゃ……」
俺とミーシャが言葉を失い、目を見開く。
リーネはふふっと悪戯っぽく笑い、庵の奥に向かって声をかけた。
「ほら、お迎えが来たわよ。あんたたちも出てきなさい」
リーネの声に応えるように、庵の中から次々と人影が現れた。
金色のオーラを纏う女性、ルーネ。
黒焦げの魔族ではなく、穏やかな人間の青年の顔を取り戻したアレン。
その隣で優しく微笑む、美しい女性、イザベラ。
そして、彼らの真ん中で、信じられないものを見るように大きな瞳を瞬かせている、小さな少女。
「……アドルさん……ミーシャさん……カミラさん……エナちゃん……」
「ルル……! ルルなのか!?」
俺は震える声で叫んだ。
ルルはわっと大粒の涙を溢れさせ、弾かれたようにこちらへ向かって駆け出してきた。
「アドルさぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
小さな身体が、俺の胸に勢いよく飛び込んでくる。
確かな重み、確かな体温、そしていつもの太陽のような匂い。
幻なんかじゃない。
ルルが、そこに生きて存在していた。
「ルルちゃん……ルルちゃんっ!」
ミーシャが泣き崩れながらルルを抱きしめ、カミラとエナも縋り付くようにして小さな家族を抱きかかえ、全員で泥だらけになりながら声を上げて泣きじゃくった。
「一体、何がどうなっているんだ……あんたたち、あの光の中で消滅したはずじゃ……」
俺がルルの頭を撫でながらリーネに視線を向けると、彼女は肩をすくめて種明かしを始めた。
「世界の崩壊を止める過程で、私たちは確かに一度消滅しかけたわ。でも、私はこの世界を長年研究し尽くした大錬金術師よ? アレンの『効果延長』の能力と、あんたが見せてくれた『複製錬金』の概念……そして、この禁忌の森に溜め込んでいた莫大な魔力リソース。それらすべてを掛け合わせて、消滅の瞬間に一つの術式を起動させたの」
「術式……?」
「『禁術・複製』よ。消えゆく寸前の私たち五人の魂を拾い上げ、この森の魔力を使って、肉体そのものをゼロから『複製』して定着させたのよ」
リーネはさらりと言ってのけたが、それがどれほど常軌を逸した神業であるか、錬金術師である俺には痛いほど理解できた。
「ただし、強引な禁術には当然代償があるわ」
ルーネが一歩前に出て、静かに告げた。
「私たちのこの複製された肉体は、禁忌の森の魔力場と完全にリンクしている。つまり……私たちは永遠に、この森から一歩も外に出ることはできない。外に出れば、たちまち魔力供給が絶たれ、今度こそ砂となって消滅してしまう」
それが、彼女たちが生き延びるために支払った制約だった。
アレンも、イザベラも、そしてルルも。一生をこの森の中で過ごさなければならない。
「だから……本当は、呼ぶつもりはなかったなの」
ルルが、俺の胸に顔を埋めたまま、ポツリと呟いた。
「もう外には出られないなの。一緒にリュステリアの街を歩くことも、冒険することもできないなの。だから……死んだことにしておいた方が、アドルさんたちを悲しませなくて済むって……」
ルルは震えていた。
自分だけが森に囚われ、大切な家族の足手まといになることを、誰よりも恐れていたのだ。
俺はグッとルルの肩を掴み、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。
「馬鹿野郎」
「……ひっ」
「森から出られないなら、俺たちが休みのたびにここへ来ればいいだけだ。忘れたか? 俺たちには、あそこにあるマグネ・キャリアがある。リュステリアから王都までの距離を数日で走破するんだぞ。この森になんて、庭へ散歩に行くような感覚でいつでも遊びに来られるさ」
俺の言葉に、ルルの瞳から再び大粒の涙が溢れ出した。
「アドルさんの言う通りよ、ルルちゃん。私、休みの日は絶対に入り浸るから覚悟してよね」
「美味しい料理の材料、私がたくさん運んできますわ。この森で、最高のピクニックをしましょう」
「私も、エナ印の最新魔道具をいっぱいプレゼントしますからね!」
ミーシャが、カミラが、エナが、次々とルルに笑顔を向ける。
その後ろで、アレンとイザベラが、娘の温かい居場所に目を細め、静かに、そして深く俺たちに向かって頭を下げていた。
「……アドルさん。ミーシャさん」
ルルは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺たちにこれまでで一番の、とびきりの笑顔を向けた。
「ただいま、なの!」
「あぁ。おかえり、ルル」
木漏れ日が降り注ぐ禁忌の森。
かつて世界から隔絶されていたその場所は、今、俺たちのもう一つの『還るべき場所』となった。
チート能力を手に入れ、右も左も分からずに足掻き続けた異世界での日々。
絶望を塗り替え、守り抜いたこの世界には、俺たちの望んだ最高の安寧と、愛すべき家族の笑顔が確かに存在していた。
~完~




