第205話:黄金の奇跡
空が割れ、大地が砕ける轟音が、絶え間なく世界を揺らしている。
剥き出しになった次元の狭間から、無に還るための灰色の風が吹き荒れていた。
「……もう、受け入れるしかないのか」
黒焦げになった左腕を庇いながら、アドルは自嘲気味に呟いた。
これまで、数え切れないほどの絶望を錬金術で覆してきた。
だが、世界そのものの寿命と構造の崩壊ばかりは、どう足掻いても抗いようがない。
自分たちが良かれと思って招いてしまった、あまりにも残酷な結末。
「ミーシャ……すまなかった」
「アドルさん……」
ミーシャは静かに首を振り、残された時間を少しでも分かち合うように、アドルの右手を両手で強く握りしめた。
その傍らで、ルルは自分を包むエメラルド色のオーラに、必死に語りかけていた。
(すらたん……もう、本当に諦めるしかないなの?)
(………………)
(ん……なんで答えてくれないなの? いつも即答で『できる』『できない』って言ってくれる、すらたんなのに)
(マスター…………)
(何かあるなら言って欲しいなの。このままほっといても、世界がなくなるだけなの!)
ルルの悲痛な呼びかけに、オーラはしばらく沈黙していたが、やがて、覚悟を決めたような声が脳内に響いた。
(……わかりました。少し、時間をください)
その直後だった。
ルルの身体を覆っていたエメラルド色のオーラが突如として分離し、彼女の目の前で一つのスライムの形を形成した。
スライムはぶくぶくと形を変え、やがて一人の女性の「人型」を形作り、神々しい金色のオーラを放ち始めた。
「え、うそでしょ……このオーラは、まさか」
空中に浮かんでいたリーネが、信じられないものを見るように目を見開いた。
「この力を顕現するのは、何千年ぶりかしら」
金色のオーラを纏った女性が、艶やかな声で静かに呟く。
「なんだ……何が起こっている!?」
「アドルさん……」
アドルが驚愕の声を上げ、ミーシャはアドルの手を強く握りしめたまま、その神秘的な存在を静かに見守った。
「本当に……生きていたの? 姉さん」
リーネの震える声に、その女性――ルーネは、優しく微笑みかけた。
「あなたも私も、死んでるようなものじゃない。久しぶりね、リーネ」
「姉さん……この世界ができた直後に、消滅してしまったと思っていたわ」
「ねぇ、すらたんはどこなの?」
戸惑うルルに、ルーネは振り返って深く頭を下げた。
「マスター。すみません、ずっと正体を隠していました」
「あなたが……すらたんなの!?」
「そうですね。そこにいるリーネの姉です」
ルーネは言葉を区切り、崩壊しゆく空を見上げた。
「感動の再会をしている時間はありませんね。……少し、リーネと念話で話させてください」
◇
ルーネの意識が、直接リーネの脳内へと繋がる。
(リーネ。世界の崩壊を止める方法、一つだけあるわよ)
(え、どういうこと? もう無理だと思っていたのだけれど……)
(まぁそうよね。私も出来れば、この手は使いたくなかった)
(どうすれば世界の崩壊が止められるの?)
(まず核となるのは……マスター。つまり、そこにいるルルよ)
(どういうことなの?)
ルーネはルルを見つめながら、真実を明かした。
(マスターを見つけた時、まさかと思ってからずっと傍で彼女を支え、近くで見続けながら解析していたわ)
(それで、何がわかったの?)
(彼女は、この世界で唯一無二なのよ。何か分かる?)
(……全然わからないわ)
(人間とエラー魔族の間に生まれたのよ。超異端児。通常ではあり得ない存在なのよ)
(!?……そういうことか!)
リーネの頭の中で、すべてのピースが繋がる。
(リーネも気づいたかしら。元々この世界は、エラーが発生し続けていた不安定な世界。でも、人間とエラー、両方を体内に宿している唯一無二の存在……それがマスターよ)
(マスターがすべてをエネルギーに変えて、且つ私とあなたが消滅覚悟でマスターに力を貸せば……人間とエラーの架け橋である彼女であれば、この世界の崩壊を繋ぎ止めることができるわ。ずっと一緒にいて見てきた。間違いないわ)
(でも、それって……!)
(そうよ。私たちはもちろんのことながら、マスターも消滅してしまう。その代わりに、世界が救える可能性が高い)
ルーネの冷徹な、しかし決意に満ちた言葉。
(私は全然いいけど、姉さんはそれでいいの?)
(私も全然いいわよ。そのためにマスターに仕えていたまであるのだから。……ただ、マスターは受け入れてくれるかしら)
(姉さん、あまり時間が無いわ。ルルに確認をとってちょうだい)
(わかったわ。気が重いけど、やるわ)
◇
ルーネは再び、ルルへと念話を繋いだ。
(マスター、お待たせしました。聞こえますか)
(うん、聞こえてるなの)
(非常に申し上げにくいのですが、世界を救う方法が一つだけあります)
(どうしたらいいなの!? なんでもするなの!)
(……私とリーネとマスターが、すべての力を注げば、崩壊が止められるかもしれません)
(すべての力って、どう注げばいいなの?)
(ここでの『すべて』というのは、文字通りすべてなのですよ? それを実行したら……マスターも、私も、リーネも、消滅します)
絶句するほどの残酷な宣告。
だが、ルルの答えは、ルーネの予想をはるかに裏切るものだった。
(なんだ、そういうことなの。全然いいなの。早くやりましょ)
(え!?)
ルーネは驚愕した。
(そんなにあっさりと!? マスターは、それでいいんですか!?)
(私、幸せだったの。アドルさん、ミーシャさん、カミラさん、エナちゃん……みんなとワイワイしながら過ごせて。最後には探していたお父さん、お母さんにも会えた。……十分なの)
ルルの声には、微塵の後悔もなかった。
(世界を維持して、みんなが笑って暮らせる世界が保たれるのなら、私は死んでもいいなの)
(マスター……)
(時間が無いなの! どうしたらいいなの?)
ルーネは胸の奥が熱くなるのを感じながら、手順を伝えた。
(私とリーネがあなたの中に入り込み、全精力を注ぎ込みます。そしてマスターは地面に手を当て、あとは私たちの誘導に身を任せて魔力を放ち続けてください)
(わかったなの。早速やりましょ)
◇
ルルは念話を終えると、少しだけ離れた場所にいるアドルを振り返った。
「アドルさん」
「ん?」
「あたし、世界の崩壊を止める方法、すらたんに教えて貰えたからやってみるなの」
「え、そんなことが可能なのか!?」
「可能です……」と、ルーネが静かに補足する。
「アドルさんは遠くで見ててなの! ルル、やってくる! すらたん、少し離れたところでやるなの!」
ルルはアドルの間近でそれを行う勇気はなかった。
顔を見れば、決意が揺らいでしまうかもしれないから。
彼女はアドルに背中を向け、ひび割れた大地を駆け出した。
「おいまて! ルル! それ大丈夫なのか!? 世界の崩壊は魔王でも止められなかったんだぞ!?」
「大丈夫なの! あたしだって……アドルさんの役に立つなの」
ルルは振り返らずに叫んだ。
泣きそうになるのを、必死にこらえる。
でも抑えきれず、大粒の涙が頬を伝い、泥だらけの地面に落ちた。
「おい、ルル……おまえ、まさか」
背中から伝わる異様なまでの決死の覚悟。
アドルがそれに気づき、駆け寄ろうとする。
「こないでなの!!!」
ルルの張り裂けるような叫びが、アドルを縫い留めた。
「見ててなの。あたし、いつもドジで何してもダメで……でも、そんなあたしを変な目で見ずに、仲間として受け入れてくれた。アドルさん、ミーシャさん、ありがとう。……本当に、幸せだったなの」
ルルはそう言って、大地に両手を力強く押し当てた。
瞬間、ルルの小さな身体が、太陽のような黄金の光を放ち始める。
「ルル……まて、俺はそんなやり方、望んじゃいない!」
「アドルさんはいつも優しいなの。でも、カミラさんもエナちゃんも、みんな待ってるなの。あたしはもう、十分幸せを貰ったなの!」
その時、黒焦げになったアレンが、執念で地を這いずりながらルルの傍へと辿り着いた。
「俺も……もう長くない。最後くらい、父親をさせてくれ」
アレンはそう言うと、ルルの小さな背中に自らの手を当て、残された魔王としての全精力を注ぎ込み始めた。
「姉さん、いくわよ。……アドル、世界をよろしく頼むわよ」
リーネが微笑み、光となってルルの内側へと溶け込んでいく。
「アドルさん。マスターといつも一緒でしたが、迷宮とか意外と楽しかったですよ。シルヴァにもよろしくです」
ルーネもまた、金色の光の粒子となってルルの身体へと還っていった。
三つの強大な魂と、ルルの中に眠るイザベラの力が、唯一無二の存在であるルルの内側で一つに重なり合う。
「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
ルルが限界を超えて絶叫する。
全身から放たれる眩い光の奔流が、空の亀裂を埋め、大地の傷跡を縫い合わせていく。
「…………」
「ルルちゃん!!!」
アドルは声も出せず、ミーシャは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その光景を魂に刻みつけていた。
「いけえええええええっ!! ディスティニーインタラクト!!!」
ルルの両手から放たれた極限のエネルギーが、世界そのものを書き換える巨大な光の柱となって天を貫いた。
「ルル……ルルーーーーーーーー!!」
「うぅぅ…………ルルちゃん……っ」
アドルが血を吐くように叫ぶ。
ミーシャの視界は、もう涙で何も見えなかった。
極光に包まれる中、ルルは最後に一度だけ、アドルとミーシャの方を振り返った。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃだったけれど、これまでの旅の中で一番の、とびきりの笑顔だった。
パァァァァァァァァァァッ!!
全世界が、すべてを白く染め上げるほどの眩い光に包み込まれた。
その光の中で、アレン、リーネ、ルーネ、そしてルルは、微かな光の粉を残して、跡形もなく消え去った。
光が収まった後。
「……嘘だろ……」
アドルは膝から崩れ落ち、ただその場に座り込んだ。
空を切り裂いていた無数の空間の歪みは、跡形もなく消え去っている。
大地を揺らしていた地響きも完全に止み、信じられないほどの、穏やかで優しい静寂だけが、王都の平野に満ちていた。




