第203話:最初の転生者
ひび割れた空から降り注ぐ極太の太陽光レーザーが止み、平野を照らすのは、無数に走る空間の亀裂から漏れ出る禍々しい赤黒い光だけとなった。
絶望的な崩壊が進行する中、宙に浮かぶ白銀の髪の錬金術師リーネと、全身を黒焦げにしながらも虚無の瞳を向ける魔王アレンクロフォード。
二人の間には、何千年も前からの知己であるかのような、奇妙で静かな空気が流れていた。
「リーネか……久しいな」
アレンの口から紡がれたのは、掠れた、ひどく疲れ切った男の声だった。
「結局、世界を壊したのね」
リーネは一切の感情を交えず、ただ事実だけを確認するように告げた。
彼女の瞳には、アドルたちに見せていたおどけた態度は微塵もなく、途方もない時間を生き抜いてきた錬金術師としての諦観だけが宿っている。
「……もう、世界なんてどうでもいい。リーネ、すまないな。俺には……世界を救うことは出来なかった」
アレンが自嘲気味に呟く。
その言葉を聞いて、アドルは混乱の極みに達していた。
魔族の頂点に立つ魔王が、世界を救うために動いていたと言うのか。
「どういうことだよ……リーネ師匠。あんた、アイツと知り合いなのか?」
アドルの問いかけに、リーネはゆっくりと振り返り、静かに頷いた。
「ええ。アレンは、私の弟子よ。……ずっとずっと昔、何千年も前からのね」
「弟子……?」
ミーシャが息を呑む。
彼女にとっても、自分たちを導いてくれた師匠が魔王の師でもあったという事実は、到底受け入れられるものではなかった。
「アドル、ミーシャ。あんたたちには以前、禁忌の森で話したわよね。そもそもこの世界は『複製』であって、オリジナルではないと」
リーネの言葉に、アドルは禁忌の森での記憶を呼び起こす。
確かに彼女は、この世界が何者かによって作られた模造品であり、初めから不完全なエラーを抱えて生まれてきたのだと語っていた。
「そして、そのエラーを修正するためか、あるいは別の理由か……この世界には数々の『転生者』が送り込まれてきた。アドル、あんたのようにね。……その最初の転生者であり、私が取った最初の弟子。それが、そこにいるアレンよ」
時が止まったかのような錯覚をアドルは覚えた。
目の前で黒焦げになり、魔族のオーラを放っている男。彼が、自分と同じ日本からの転生者だというのか。
「アレンが持っていた能力は『効果を延長する能力』と『種族を変更する能力』だったわ。私は錬金術師として、エラーで崩壊しそうなこの世界をどうやって延命するか、それだけを考えてきた」
リーネの視線が、再びアレンへと向けられる。
「でもアレンは、私とは違う道を選んだ。彼は自らの能力で、人間から魔族へと種族を変更し、寿命を無限に延長し続けた。そして、世界に発生し続けるエラー、つまり魔族という存在を……自らが魔王となって統率し、管理する道を選んだのよ」
「管理……だと?」
アドルが呻くように問う。
「そうよ。国を完全に壊さない程度に、人間対魔族の構図を意図的に作り上げてね。そうやって敵対関係をコントロールすることで、世界の完全な崩壊を防ぎ、バランスを保ってきた。それがアレンの『計画』。彼なりの、世界を守る方法だったのよ」
リーネはそこで言葉を区切り、アドルを真っ直ぐに見据えた。
「アドル。あんたたちが現れた時、あんたが『複製錬金』なんていう、世界の根幹に干渉できる大それた能力を所持していたから……私は、もしかしたら世界を変えられる、救えるかもと思ったのだけれどね。……そんな簡単な話ではなかったわね」
リーネの言葉を受け継ぐように、アレンが重い口を開いた。
「仮に四天王が全滅したとしても、エラーの発生……つまり、新たな魔族の無尽蔵な出現は絶対に止められない。お前たちには見えていないだけだ。俺が結界を張り、すべてを抑え込んでいたんだ」
アレンの言葉が、冷たい刃となってアドルたちの胸に突き刺さる。
「何も知らないお前たちは、人間側だけの話を聞き、肩入れし、あまつさえ俺の計画の邪魔をし始めた。イザベラを……俺のすべてを奪った。お前たちさえ現れなければ、なんとかこの世界は維持できていたんだ」
静かな声だった。
だが、その裏に込められた途方もない徒労感と憎悪が、戦場の空気をさらに重く沈ませていく。
「…………」
アドルは唇を噛み締め、両手を強く握り込んだ。
自分がやってきたことは、世界を救うどころか、寿命を縮める行為だったというのか。
反乱軍を助け、街を奪還し、人々を笑顔にしてきたことが、すべて無駄だったのか。
「リーネ……なんで、なんで先に話してくれなかったんだよ!」
やり場のない怒りが、アドルの中から爆発した。
「だってあんた、世界を救うのなんて興味無いって言ってたじゃない」
リーネは冷たく、事実だけを突き返す。
「だから放っておいた。それだけよ。本人が望まないなら、無理に重い真実を話して背負わせても仕方ないから」
「くそっ……! なんで、こんなことに……!」
「もう、アレンが起動した術式は止められないわ」
リーネが空を見上げる。
ひび割れた空間から、世界の骨組みのようなものが剥き出しになり、パラパラと灰のように崩れ落ち始めていた。
「アレンはずっと自分が制御していたエラーの結界を解いた。もうじき、この世界は完全に崩壊する。私には、それを止める力はない。いつかこんな日が来るんじゃないかと、ずっと心のどこかで思っていたわ」
「そんな……こんなことって……」
魔力が空っぽになり、動くこともできないミーシャが、絶望に顔を覆う。
ルルも、すらたんのオーラに包まれながら、空が崩れゆく様をただ呆然と見上げることしかできなかった。
「アレン! もう、崩壊を止める方法は本当にないのか!」
アドルが血を吐くような声で叫ぶ。
アレンは虚ろな目で首を横に振った。
「もう無理だ。……もう疲れた。これでよかったんだ」
「リュステリアの街も、この王都も……! 俺たちが守ろうとしたものは、全部、何もかも無意味だったっていうのかよ……!」
アドルの叫びは、虚しく崩壊の音にかき消されていく。
すべてが終わる。
世界が死を迎えようとしている。
その時だった。
完全に心を閉ざし、ただ世界の終わりを待つだけの虚像となっていたアレンの視線が、ふと、下で震えている小さな少女の姿に止まった。
先ほどの特攻で服は引き裂かれ、泥と血にまみれた召喚士の少女、ルル。
黒焦げになったアレンの瞳に、ほんのわずかな光が宿る。
「……まて」
アレンの掠れた声が響いた。
彼はゆっくりと高度を下げ、アドルやミーシャの静止も聞かず、ルルの目の前へと降り立った。
「お前……何者だ?」
「え……?」
ルルが一歩後退る。
「何故だ……何故お前の中にその魔力が……、何故イザベラがそこにいる。……ちょっと、こっちへこい」
アレンはそう言うと、強引に、だが決して傷つけないような奇妙な力加減で、ルルの小さな手を引いた。
崩れゆく世界の中で、最初の転生者であり魔王となった男の目に映ったものとは。




