第202話:終わる世界
アドルが狂乱する魔王アレンと絶え間なく魔力弾の応酬を繰り返し、決死の覚悟で時間稼ぎをしている間。
その背後の死角では、ミーシャが着実に最強魔法の詠唱を進めていた。
アレンが怒りと絶望に任せて無差別に魔力を暴走させているおかげで、ミーシャが構築する極大魔法の眩い光すらも、戦場の混沌の中に完全に埋もれていた。
アドルたちにとっては、これ以上ない好都合な展開だった。
(もう少し……! アドルさん、もう少しです!)
ミーシャの脳内で、常軌を逸した複雑な術式が並列して組み上がっていく。
師であるドランから受け継いだ、対魔族最強の浄化魔法。
それを二重どころか、四重の螺旋構造で編み上げる規格外の絶技。
この魔法は、対象が持つ「魔の根源」そのものを世界の理から消去する。
これならば、相手がどれほど強大な魔族の王であろうと、一瞬で塵も残さず消し去ることができる。ミーシャにはその絶対的な自信があった。
(これで魔王を倒して……本当の平和を取り戻すの!)
「アドルさん……いきます!」
「ああ、ミーシャ! 俺の背中なんか構わず撃て! 俺の背中越しに、魔王の心臓を撃ち抜くんだ!」
ミーシャの合図に、アドルが身を低くして叫ぶ。
ミーシャは両手を天に掲げ、極限まで高められた魔力を一気に解放した。
「天壌無窮の理、四柱の聖陣よ! 一切の魔を滅する絶対浄化の極光となれ!| 四重螺旋・極絶域の断罪!!」
アドルは背中に肌を焼くほどの凄まじい魔力の風圧を感じながら、魔王アレンへと放たれるミーシャの究極魔法に、ありったけの祈りを込めた。
(これで……すべてを終わらせるんだ!)
「いけえええええええっ!!」
世界からすべての音と色が消え去ったかのように、真っ白な極光の奔流が一直線にアレンへと殺到した。
対魔族に特化した絶対の破壊光が、魔王の身体に直撃し、着弾する。
パンッ。
だが、響いたのは、風船が割れたような、あるいは乾いた布を叩いたような、あまりにも呆気なく、気の抜けた音だった。
「……え?」
「……は?」
ミーシャとアドルは、同時に間抜けな声を漏らした。
何が起こっているのか、一瞬理解できなかった。
全魔力を注ぎ込んだミーシャの極絶域の断罪は、確かにアドルの背中を越え、アレンに向かって発動した。
しかし、その眩い光の奔流は、アレンの身体を幻影のように『素通り』し、そのはるか後方の平野の彼方へと飛んでいき消滅したのだ。
「どういう……こと……?」
限界を超えて膝をつきながら、ミーシャは震える声で呟いた。
魔力に対する抵抗でも、防御でもない。
魔の根源を滅する魔法が、一切の干渉を引き起こさずに通り抜けたということは、つまり。
「魔王では、ないの……? アイツ、魔族じゃない……!?」
「何がどうなっているんだ!?」
アドルも驚愕に目を見開く。
「まさか、魔法そのものを無かったことにできる無効化スキルか何かか!? そんなの反則だろ!」
アドルが叫ぶが、空中に浮かぶアレンは、通り抜けた究極魔法など最初から見えてすらいなかったかのように、虚ろで狂気を孕んだ瞳をアドルたちに向けた。
「貴様ら……何をそんなに驚いている? ふん、まぁいい。どうでもいい……イザベラがいないこんな世界など、もうどうでもいいのだ」
アレンが両腕をだらりと下げ、天を仰ぐ。
「もう、俺はこの世界を終わらせる」
その呟きと共に、アレンの足元から、これまでの魔力とは異質の、禍々しい幾何学模様の術式が平野全体を覆うように急速に展開され始めた。
「なっ、やめろ! なんだその術式は!?」
大地が鳴動し、空に無数の亀裂が走る。
世界の終わりの術式。
それを直感したアドルは、額に冷汗を浮かべた。
「くっ、止めないと……止めないと、本当に世界が……!」
「うぅ……しばらく動けそうにないわ……」
ミーシャが苦しげに顔を歪める。
対魔族最強の魔法に全魔力を放出してしまった彼女は、もはや指一本動かすこともできなかった。
「魔王は魔王じゃなかったの!? どうすれば……このままでは、世界が滅びてしまうわ……!」
「くぅぅ……っ。ミーシャ! 異空間から、ありったけの『砂』を出してくれ!」
「砂!? え、ええ、わかったわ!」
ミーシャが最後の気力を振り絞って空間の扉を開くと、これまでの旅で収集していた大量の砂が、文字通り山のように地面に吐き出された。
「これで……極大のレンズを錬成する!」
アドルが砂の山に両手を突っ込もうとした、その時だった。
「はぁっ、はぁっ……! アドルさん、ミーシャさん、大丈夫なの!?」
涙の痕で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、両拳に強い意志を宿したルルが、二人の元へと駆けつけてきた。
「ルル! よく戻ってきてくれた。少しの間、俺たちの盾になってくれ!」
「わかったなの! プロテクション・マキシマムなのっ!」
アレンの術式の起動に伴い、崩壊し始めた空間の亀裂から、見えない真空の刃のようなものが次々と飛来し始めていた。ルルは両腕を交差させ、強固な防御壁を展開してアドルとミーシャを死に物狂いで守り抜く。
「もう、何をしても無駄だ。世界の崩壊はもう始まっている。止められない」
アレンは空中で、まるで魂の抜けた人形のように虚ろな声で宣告する。
その猛攻と絶望の宣告の中、アドルは砂の山に錬成陣を展開し、珪砂の成分を急激に抽出・結合させていった。
砂の山はみるみるうちに透明なガラスの塊となり、空へと浮き上がっていく。
アドルは極大のレンズをどんどん大きく、分厚くしていき……やがて、アレンの頭上の上空すべてを覆い尽くすほどの、巨大な凸レンズを空に展開させた。
「これでどうだぁぁぁぁ! いけええええっ!!」
雲が晴れ、平野に降り注ぐ強烈な太陽の光。
巨大レンズがその莫大な太陽光を一点に収束させ、アレンの頭上から、すべてを焼き尽くす極太の『太陽光レーザー』となって降り注いだ。
ジュウウウウウウウッ!!
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
数千度にも達するであろう灼熱のレーザーが、アレンの身体を容赦なく焦がしていく。
「い、いけるの!? アドルさん、凄い、がんばれ!」
「アドルさん、いくなのーーーっ!」
魔力を使わない、純粋な物理と光学による錬金術の極致。
ミーシャとルルが祈るように叫ぶ。
「はぁ、はぁ……っ! はぁっ、はぁっ、いけえええええっ!」
アドルは左腕の痛みを無視し、レンズの耐久が熱で崩壊しないよう、錬成を維持し続けながらレーザーをアレンに照射し続ける。
「はぁ、はぁ……俺が燃え尽きようが……どうなろうが、世界の崩壊は、もう、止められない……」
だが、太陽光レーザーに焼かれ、身体中が丸焦げになりながらも、アレンは避ける素振りすら見せなかった。
痛覚すら失ったかのように、全く意志のない人形のままで、破滅の術式を回し続ける。
「これでも……倒せないのか……!」
アドルが絶望的な声を漏らす。
物理的なダメージは確実に通っている。だが、術式は止まらない。
そうしているうちにも、王都周辺の時空が本格的に歪み始め、世界は立っていられないほどの巨大な振動に包まれた。
(なんだ……本当に、崩壊するのか!?)
(どうしたらいいんだ……打つ手が、ない!)
絶体絶命の絶望が、アドルたちを完全に包み込もうとした。
そうすると、突如。
空間が揺らぎ、巨大な太陽光レーザーに焼かれるアレンと、必死に錬成を維持するアドルの、ちょうど中間の空中に一人の女性が姿を現した。
白銀の髪をなびかせ、そこに浮かんでいたのは、アドル、ミーシャの師である大錬金術師、リーネの姿だった。
絶望的な崩壊が迫る世界を見渡し、彼女はただ静かに、諦観の入り混じった瞳で呟いた。
「結局、こうなったのね」
彼女は救済に訪れたのではない。
ただ、世界の終わりを見届けるためだけに、そこへ現れたのだった。




