第201話:世界を裂く慟哭
戦場を支配していた強大な魔力の気配が消え、王都城門前の平野には静寂が訪れていた。
アリアとレオンハルトは血だまりの中で昏倒し、伝説の竜シルヴァも傷ついて意識を失っている。ガラハド率いる王都騎士団の生き残りが、かろうじて魔王軍の残党を撃退し、荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。
そして高台では、すべてを知ってしまったルルが、イザベラが消滅した虚空に向かって泣き崩れている。
満身創痍のアドルとミーシャは、ただその悲痛な光景を見守ることしかできなかった。
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
大気が、いや、世界そのものが、信じられないほどの地響きと共に震え出した。
平野の空気がひび割れるような異音を立て、強烈な圧迫感が戦場全体を押し潰しにかかる。
「え……え……何が起こっているなの!?」
涙で顔を濡らしたルルが、恐怖に怯えて周囲を見渡す。
「なんだ、この凄まじい魔力は……!」
アドルは黒焦げになった左腕を庇いながら、空を見上げた。空間そのものが歪み、悲鳴を上げている。
「怖い……怖いわ、アドルさん」
ミーシャが震える声でアドルの背中に身を寄せた。
彼女の魔力感知能力が、かつてない規模の絶望的なエネルギーを捉えて警鐘を鳴らしているのだ。
「ガラハド! 引けー! 深追いはするな、嫌な予感がする!」
アドルは即座に平野に向かって大音量で叫ぶと、懐から錬成済みの小瓶を取り出し、ミーシャへと手渡した。
「ミーシャ、これを飲んでおけ。少しでも魔力を回復するんだ」
「はい、アドルさん」
ミーシャが回復薬を喉に流し込むのを確認した。
ルルは気持ちに整理がつかない状態のようだ。
その直後だった。
アドルたちの目の前、上空数十メートルの空間が、文字通り「割れた」。
バリバリィィィィッ!
凄まじい振動と共にガラスのように砕け散った時空の亀裂から、濃密な漆黒のオーラが泥水のように溢れ出す。
それは純粋な「殺意」と「絶望」が具現化したような、息をするのも困難になるほどの禍々しい波動だった。
『許さん……許さん……許さんぞぉぉぉぉぉ、うぉおおぉぉぉっ!!』
空間の亀裂から、獣の咆哮のような叫び声と共に、一人の男が姿を現した。
人間のような立ち振る舞いでありながら、その全身は赤黒い魔族のオーラに完全に支配され、我を失いかけている。
「貴様ら……貴様ら……うぉぉぉぉ! 絶対に許さん……よくもイザベラを……イザベラをぉぉっ!」
空中に浮かぶその男を見た瞬間、アドルは直感した。
「まさか……おまえが魔王か……?」
アドルが問いかけるが、男の耳には届いていない。
「そんなことは……そんなことはもうどうでもいいんだ! イザベラ……イザベラぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
魔王アレン・クロフォードは、空中に残るイザベラの魔力の残滓を感じ取り、血を吐くような叫び声を上げた。
部下を失った喪失感と怒りに身を任せ、両手で頭を抱えてのたうち回る。
「くっ……話はできそうもないな……」
アドルが油断なく錬成の構えをとる。
「もう、もう、どうでもいい! どうでもいい! どうでもいいうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
アレンが狂乱のままに両手を振り回すと、空間から無数の高エネルギーの魔力弾が発生し、辺り一面にデタラメな軌道で撒き散らされた。
一発一発が、先ほどのヴァンダルの戦斧に匹敵するほどの破壊力を秘めている。
「ミーシャ! 気をつけろ! 手当たり次第飛んでくるぞ!」
アドルは即座に両手を地面に叩きつけ、分厚い岩の防壁を連続で錬成する。
ミーシャもアドルを庇いながら、防御魔法を展開した。
ズドドドドドドォォォォンッ!
着弾のたびに大地が抉り取られ、爆炎が巻き上がる。
(これが……魔王の力……。イザベラの比ではないわ……。こんなの、どうしろっていうの……)
岩壁の裏で、ミーシャは世界が壊れるほどの魔力を前に呆然としていた。四天王とは次元が違う。
息をしているだけで周囲の生命力が根こそぎ奪われていくような、圧倒的な暴力。
防戦一方の中、アドルはミーシャの耳元に顔を寄せ、声を潜めて告げた。
「おいミーシャ、耳を貸せ。魔王は大分ご乱心のようだ。少し離れて、四重螺旋で『アルティメットパージ』を詠唱できないか?」
ミーシャはハッと息を呑み、アドルの瞳を見つめ返した。
「魔王なら……そうか! やってみます。あれなら魔力残量はあまり関係ないですし」
極限の集中を要し、周囲の空間そのものの理を書き換える究極の魔法。
ミーシャは小さく頷くと、アドルの背中から離れ、気配を殺して魔王の死角へと移動を始めた。
そして、静かに両手を交差させ、最も長く、最も複雑な最強魔法の詠唱を開始する。
アドルはミーシャの詠唱時間を稼ぐため、あえて防壁から身を乗り出し、魔王の注意を引くように声を張り上げた。
「おまえは魔王なのか!?」
暴れ狂っていたアレンが、ギラリと血走った目をアドルへと向ける。
「そうだったらなんだ! お前が噂の錬金術師だな!」
「噂が何かは知らないが、俺は錬金術師だ」
アドルが冷静に答えると、アレンの顔が憎悪で醜く歪んだ。
「よくも可愛い部下たちを……やってくれたな……! 俺の計画が、すべて台無しだ!」
「そんなろくでもない計画なんて、台無しになった方がいいんだ!」
「何も知らないくせに、偉そうに言うなあっ!!」
アレンが右腕を振り抜く。それだけで、先ほどとは比べ物にならない巨大な漆黒の魔力弾がアドルに向かって一直線に放たれた。
「自然錬成、大気圧断層!」
アドルは咄嗟に大気を極限まで圧縮し、見えない空気の壁を錬成して防御する。
魔力弾が激突し、凄まじい衝撃波がアドルを後方へと滑らせた。
「錬金術師……よくもずっと上手くやっていた俺の計画を、台無しにしてくれたな……!」
ギリギリと歯を食いしばりながら、アレンが呪詛のように吐き捨てる。
「おまえの計画で、どれだけの人々が苦しめられていたと思っているんだ!」
アドルの真っ当な怒りの込もった叫びに対し、アレンは狂気を孕んだ目でアドルを睨み下ろした。
「俺は世界を守っていただけだ。……何も知らないのは、お前の方だ」
その言葉には、ただの悪党とは違う、歪みきった何らかの信念がこびりついているようだった。
アドルとアレンが言葉と魔力をぶつけ合っているその裏で、着実にミーシャの最強魔法の詠唱が進んでいた。




