第194話:闇に散る銀華
「決着だ、アリア」
冷徹な宣告と共に、レオンハルトの影が倒れ伏すアリアを完全に覆い隠した。
泥にまみれ、胸元の傷から激しい出血を強いられながら、アリアは必死に右手を伸ばす。
あと数センチ。
すぐ傍らの地面に突き刺さった王権守護剣『エターナル・ブライト』の柄に、どうしても指が届かない。
「兄、さん……」
見上げる先にあるのは、かつて自分に剣を教えてくれた優しい瞳ではない。
漆黒の魔力に染まり、実の妹を排除することに何の感情も抱いていない、氷のような眼差しだった。
レオンハルトがゆっくりと、処刑の刃を大上段に振りかぶる。
刀身にまとわりつくどす黒い闇の波動が、周囲の光を吸い込んでいく。
死の気配が、アリアの全身を凍りつかせた。
だが、その刃が振り下ろされようとした、まさにその刹那だった。
「あらあら。いつまで身内同士でじゃれ合っているのかしら。見ていて退屈で死にそうですわ」
戦場の喧騒を切り裂く、冷たく艶やかな声。
平野の少し離れた高台、ルルとシルヴァを相手取っていたはずの第二の将、イザベラが不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
彼女の手元には、禍々しい紫の雷光を纏った、漆黒の魔導弓が引き絞られている。
「……イザベラ? 何をするつもりだ」
レオンハルトが処刑の刃を止め、不審げに眉を寄せた瞬間、イザベラは迷いなく弦を解き放った。
「まとめて消えなさい。堕ちた王子も、出来損ないの王女も。魔王軍に『情』などという不確定要素は不要ですの。死の螺旋、ヴェノム・ストライクっ!」
放たれたのは、一本の矢ではない。
空間そのものを腐食させながら突き進む、巨大な紫の魔弾だった。
狙いは、無防備に倒れるアリアと、その眼前に立つレオンハルトの二人。
アリアは、迫り来る圧倒的な死の塊に息を呑んだ。
今の彼女に、あれを回避する余力など残されているはずもない。
「あっ……」
魔弾が目の前に迫る。
アリアがすべてを諦め、瞳を閉じた時だった。
「……どけっ、アリアっ!」
聞き慣れたはずの、だが今は失われていたはずの、切実な叫び。
レオンハルトが、己の剣を放り捨て、信じられない力でアリアの体を大きく突き飛ばした。
ズドォォォォォォォォンっ!
紫の閃光が平野を蹂躙し、巨大な爆炎が巻き上がる。
衝撃波が周囲の騎士や魔族を紙屑のように吹き飛ばした。
「……がはっ……、っ!」
アリアは地面を何度もバウンドし、土煙の中に叩きつけられた。全身の骨が砕けるような激痛。
薄れゆく意識の中で、彼女は見た。
自分の身代わりになるように、魔弾を真正面から受け止めたレオンハルトの姿を。
爆炎が晴れた中心。
そこには、漆黒の鎧が砕け散り、胸から腹にかけて大きな風穴が開いたレオンハルトが、膝をついて崩れ落ちていた。
「兄、さん……?」
アリアは這いずりながら、彼に近づこうとする。
だが、彼女自身も先ほどの衝撃と、掠めた魔弾の毒に侵され、視界が急速に闇に染まっていく。
レオンハルトは血を吐きながら、微かに目を開けた。
彼の瞳からは、魔王に植え付けられた冷酷な光が消え、かつてアリアが見ていた、あの穏やかな兄の色彩が戻っていた。
「……強くなった、な。……アリア。……逃げろ、……ここはもう……」
「兄さん……いやだ、待って、……にいさっ……!」
アリアの手が、あと数センチでレオンハルトに届くというところで、彼女の意識は完全に途絶えた。
レオンハルトもまた、そのまま力尽きたように泥の上へ倒れ込んだ。
王家の双璧が、共に戦場に崩れ落ちた。
「ふふっ、これでお邪魔虫は消えましたわ。ヴァンダル、あとは好きになさいな。王都を、瓦礫の山に変えてしまうのです」
高台の上で、イザベラが扇子を広げて高笑いする。
「おのれ……アリア王女っ! 殿下っ!」
少し離れた場所で乱戦の中にいたガラハドが絶叫する。
剣士としての意地と凄まじい剣技で数百の魔族を斬り伏せていた彼だったが、主君の陥落という事態に、王都騎士団の陣形が大きく揺らぐ。
「……最悪の展開だな」
石柱の上から戦局を見ていたアドルが、苦々しく吐き捨てた。
アリアとレオンハルトが致命傷を負い、共に動けない。
指揮官を失った騎士団は、一万の物量に押し潰されるのは時間の問題だ。
アドルは隣に立つミーシャを見やった。
「ミーシャ。ここからは俺たちの仕事だ。ルル、シルヴァ、聞こえるか! アリアを回収しつつ、一度陣形を立て直す。……あの女、イザベラを絶対に許すな」
「わかってるわ、アドルさん。あの女……徹底的に叩き潰してやる」
ミーシャの瞳には、静かな、しかし苛烈な怒りの炎が燃えていた。




