第190話:王都に響く希望の演説
第七商業エリアと東の防衛門、二つの重要拠点を鮮やかに奪還した報せは、マリアの教会の地下基地を熱狂の渦に巻き込んでいた。
「素晴らしい成果です。この勢いがあれば、王都の奪還も夢ではありません!」
円卓を囲む反乱軍の幹部たちが歓喜の声を上げる中、俺は腕を組み、広げられた王都の地図を静かに見つめていた。
確かに大きな一歩だが、王都全体から見ればまだ三割程度を取り返したに過ぎない。
「みんな、喜ぶのはまだ早い。このまましらみ潰しに拠点を叩いていけば、いずれこちらの体力と魔力が尽きる。ヴァンダルが本格的に軍を動かす前に、盤面そのものをひっくり返す必要がある」
俺の言葉に、アリアが真剣な表情で頷いた。
「盤面をひっくり返す、ですか。具体的にはどう動くおつもりで?」
「情報戦だよ。物理的な拠点を奪い返せても、王都の市民たちはまだ魔王軍の恐怖に縛られ、家の中に隠れて震えている状態だ。彼らが恐怖に支配されている限り、魔王軍は何度でも態勢を立て直せる。だから、国民の心を俺たちの側に引き寄せるんだ」
「でもアドルさん、どうやって国民のみんなに伝えるなの?」
ルルが小首を傾げて尋ねる。
俺は隣に立つミーシャに視線を向けた。
「俺の錬金術と、ミーシャの空間魔法を掛け合わせる」
俺はテーブルの上に、拠点にあった古い通信用の魔導具を置いた。
そして、その構造を瞬時に分解し、周囲の『空気の振動』そのものを数万倍に増幅させるための特殊な『大気共鳴触媒』へと錬成し直した。
「ミーシャ。この触媒の機能を、君の空間魔法で王都全域の上空、数十箇所に均等に配置して固定できるか? つまり、王都の空全体を一つの巨大な『拡声器』にするんだ」
「王都の空全体を……。ええ、今の私なら造作もないわ。やってみせる」
ミーシャは目を閉じ、両手で複雑な印を結び始めた。
彼女の指先から放たれた無数の光の糸が、地下基地から地上の空へと伸びていき、見えない空間の座標にピタリと固定されていく。
「準備完了よ、アドルさん。いつでもいけるわ」
「ありがとう、ミーシャ。……さて、殿下。出番ですよ」
俺は錬成したばかりの音声入力デバイス、つまりマイクを、アルベルト殿下へと差し出した。
「私、ですか……」
アルベルトはマイクを受け取り、緊張に手を震わせた。
しかし、アリアがその肩にそっと手を置くと、彼は深く息を吸い込み、王族としての毅然とした表情を取り戻した。
「ミーシャ、繋げてくれ」
俺の合図と共に、デバイスが青い光を放つ。
次の瞬間、王都の上空に、アルベルト殿下の若く、しかし力強い声が雷鳴のように響き渡った。
『王都の民よ。恐れを抱き、息を潜めているすべての愛する民よ。私の声が聞こえるだろうか』
その声は、魔王軍の軍靴の音に怯え、地下室や屋根裏に隠れていた何万という国民の耳に、はっきりと届いた。
『私は、第二王子アルベルト・グランレガリアである!』
街を巡回していた魔王軍の兵士たちが、驚愕して空を見上げる。
暗い部屋で身を寄せ合っていた家族たちが、信じられないものを見るように窓の外へと視線を向けた。
『私は生きている。そして今、姉上や、頼もしい仲間たちと共にここに立っている。聞いてくれ。魔王軍の支配は、決して絶対のものではない! 私たちはすでに、第七商業エリアと東の防衛門を奪還した。反撃の狼煙は、すでに上がっているのだ!』
アルベルトの演説には、不思議な熱がこもっていた。
それは、星霜の離宮で囚われ、無力さに絶望していた彼自身が、俺たちとの出会いで希望を取り戻したからこその、真実の響きだった。
『恐怖に屈することはない。絶望に染まる必要もない。グランレガリアの誇りは、まだ失われてはいない。どうか、私たちを信じてほしい。立ち上がる時は、今だ!』
演説が終わった直後。
王都は、不気味なほどの静寂に包まれた。魔族の兵士たちすら、突然の空からの声に動揺し、武器を構えたまま立ち尽くしている。
そして、一つの小さな音が響いた。
西区の居住エリアで、一人の男が窓を開け放ち、手元の鍋を力いっぱい叩いたのだ。
カンッ、カンッ、カンッ!
その音は波紋のように広がり、隣の家が、さらにその隣の家が窓を開けた。
歓声が上がり、怒号が混じり、抑圧されていた民衆の感情が一気に爆発した。
「アルベルト殿下が生きているぞ!」
「反乱軍が勝ってるんだ! 俺たちの街を取り戻すんだ!」
国民たちがバリケードを作り始め、路地裏から魔王軍の兵士に向かって石や瓦礫を投げつける。
武器を持たない彼らの反抗は、これまでならすぐに鎮圧されていただろう。
しかし、今は違う。
「行くぞ。民衆が作ってくれたこのうねりを、一気に押し広げるんだ」
俺の号令と共に、地下基地から反乱軍の全兵力が地上へと躍り出た。
先頭を走るのは、白銀の人型形態をとったシルヴァと、大剣を構えたガラハドだ。
「我が槍の前に立ち塞がる愚か者どもよ、凍てつけ!」
シルヴァが冷気を纏った槍を振るうと、動揺していた魔王軍の防衛線が次々と氷漬けにされていく。
ガラハドの大剣がそれを粉砕し、突破口をこじ開けた。
「あたしも行くなの! 全開なのよ!」
ルルが自らにアタックブーストを唱え、国民を攻撃しようとする魔族に音速の拳を浴びせまわる。
「アドルさん、左翼の敵部隊が陣形を立て直そうとしています!」
ミーシャが叫ぶ。
俺は走りながら、足元の石畳に意識を向けた。
「無駄だ。瞬きの錬金……形質変化」
敵部隊の足元が局所的に沼地のような形質へ変化し、魔族たちは次々と足をとられ地面に這いつくばった。そこへ、ミーシャの無詠唱の魔力弾が的確に急所を撃ち抜いていく。
「な、なんだこいつらは! 街の人間たちも狂ったように襲ってくるぞ!」
「退け! 一旦拠点まで後退しろ!」
魔王軍の兵士たちは、前門には規格外の怪物たち、後門には暴動を起こした市民たちという挟み撃ちに遭い、完全にパニック状態に陥っていた。
指揮系統は崩壊し、ただ逃げ惑うだけの烏合の衆と化している。
俺たちがそのエリアを歩みを進めるだけで、敵は戦意を喪失して武器を投げ捨てた。
アリア王女が剣を掲げながら進むと、国民たちが涙を流して道を開け、歓喜の声を上げる。
「アリア王女様万歳! アルベルト殿下万歳!」
情報戦による心理的な支配の崩壊。
そして、俺たちという圧倒的な武力による制圧。
二つの要素が完璧に噛み合い、破竹の勢いで魔王軍の拠点が陥落していく。
第十エリア、第十五エリア、さらには西区の居住エリア全域。
日が暮れる頃には、王都の奪還率は一気に七割近くまで跳ね上がっていた。
たった一日で、王都の勢力図は完全に逆転したのだ。
「アドルさん、すごいの! みんなの笑顔が戻ってきてるなの!」
ルルが嬉しそうに俺の腕に抱きついてくる。
俺も、歓喜に沸く街を見渡して小さく息を吐いた。
「ああ。これでようやく、対等以上の盤面になった」
しかし、俺の胸の奥には、かすかな違和感が残っていた。
これだけ派手にエリアを奪い返しているというのに、第一の将ヴァンダルの姿がどこにもない。敵の抵抗があまりにも脆すぎるのだ。
まるで、初めからこの王都の市街戦に見切りをつけ、何か別の巨大な絶望を準備しているかのように。
夜風に紛れて、王都の外から微かな地鳴りが響いてきたような気がした。
勝利の歓声の裏側で、真の最終決戦の足音が、確実に近づいていた。




