第184話:喪失の王都
ゴリアスとの死闘を終えた俺とミーシャは、満身創痍のガラハドの肩を両側から支えながら、暗い地下排水路をゆっくりと歩いていた。
「すまない、アドル殿、ミーシャ殿……。足手まといになってしまったな」
「気にするな。ガラハドのあの剣撃がなければ、俺たちは今頃あの泥水の中に沈んでいただろうさ」
帰路はあの乱暴な鉄のソリを使う気にはなれず、俺たちは時折休憩を挟みながら、一歩一歩確実にマリアの教会の地下にある反乱軍拠点へと向かった。
拠点に辿り着くと、ルルの隣で休息を取っていたアルベルト殿下が弾かれたように立ち上がった。
「ガラハドっ!」
「殿下……ご無事で、何よりです」
怪我を押して微笑むガラハドに、アルベルトは涙ぐみながら深く頭を下げた。
第一王子レオンハルトの野望の道具として星霜の離宮に囚われていた彼にとって、こうして無事に味方の元へ帰還できたことは、まさに奇跡と言ってよかった。
円卓の奥から、第一王女アリアが安堵の表情を浮かべて進み出てきた。
「アドル殿、ミーシャ殿、ルル殿。そしてガラハド。よくぞアルベルトを無事に連れ帰ってくれました。これで、イザベラが結界を完全に書き換えるという最悪の事態は免れました」
アリアの言葉に、反乱軍の幹部たちがほっと息を吐き出す。しかし、アリアの表情はすぐに本来の厳しいものへと戻った。
「ですが、依然として第一の将ヴァンダルの猛攻は厳しく、王都内の私たちの拠点は次々と制圧され、全く予断を許さない状態です。アドル殿たちに来ていただけたことで、これから少しは状況が好転するかもしれませんが……」
アリアは円卓の上に広げられた王都の地図を指し示した。
その地図の大部分が、敵の勢力圏を示す赤色で塗りつぶされていた。
「ここからは、地味に拠点を取り戻していく作業となります。今日明日で決着がつくものではありませんので、慌てず、まずはしっかり自分たちの残された拠点を守り抜くことを第一に動いていきましょう」
「取り返すべき拠点は、どのくらいの数があるんだ?」
俺の問いに、アリアは重苦しい息を吐いた。
「拠点といいますか、エリアで申しますと……城付近を中心とした王都全域で、最低でも二十エリア以上は取り戻す必要があります。王都全体が三十あまりのエリアで構成されておりますので、現状、およそ七十パーセント程度が魔王軍に制圧されていることになりますね……」
「七割……。数字にしてみると、相当やばいな」
俺が眉間を揉むと、アリアは申し訳なさそうに視線を落とした。
「ええ。ですが、希望は繋がりました。本日はアルベルト奪還という大作戦もありましたし、皆様お疲れでしょう。一度、ご自身の地下基地へお戻りになり、しっかりと休んでください。これからの戦いは、長丁場になりますから」
「承知した。何か動きがあれば、すぐに連絡をくれ」
俺たちはアリアとガラハドに後を託し、拠点からさらに秘密の通路を通って、俺が錬成した地下要塞へと帰還した。
◇
「お帰りなさいませ、ご主人様、ミーシャ様、ルルちゃんも」
地下基地の扉を開けると、エプロン姿のカミラが温かいランプの光と共に迎えてくれた。
その穏やかな微笑みを見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、全身に鉛のような疲労感がのしかかってきた。
「ただいま、カミラ。……随分と長い時間、外にいたような気がするよ」
「本当にお疲れ様でございました。さあ、腕によりをかけた夕食ができておりますわ。お風呂の用意も済んでおりますので、まずは冷えたお体を温めてくださいませ」
ゴリアスとの戦闘は、極限の思考と魔力を消費する、頭も身体も激しく疲弊する戦いだった。温かい湯に浸かり、カミラの作った絶品のシチューを腹に詰め込むと、泥のような眠気が俺たちを襲った。ルルは、スプーンを握ったままうとうとしている。
「今日はもう、全員ゆっくり休もう。」
「拠点の警戒は私にお任せくださいませ。ご主人様達はゆっくりおやすみ下さいね」
それぞれの寝室へと散っていく仲間たちの背中を見送りながら、俺は一人、薄暗いリビングで軽くため息をついた。
◇
一方その頃、王城の奥深く。
魔王軍が占拠した玉座の間では、冷たい緊張感が漂っていた。
「……イザベラ。第二王子を逃がしたらしいな?」
玉座の脇に立つ巨漢、第一の将ヴァンダルが、楽しげに喉を鳴らして嘲笑した。
「ちっ……! 一体見張りは何をしていたの!? あれだけの結界と、ゴリアスまで配置していたというのに……!」
第二の将イザベラは、爪を噛みながら苛立ちを露わにしていた。
彼女の美貌は屈辱によって歪み、纏う黒い魔力が怒りのように揺らめいている。
「それは上司であるお前の不手際だな。はははっ、まさか人間どもの小賢しいネズミ一匹に、これほど後れを取るとはな」
「笑い事ではないわ! アルベルトの血がなければ、この王都の結界を完全に魔族のものへと反転させることができない! こんな大失態、魔王様に報告できないじゃない!」
イザベラの悲痛な叫びを、ヴァンダルは鼻で笑って一蹴した。
「まぁ焦るな。少しずつだが、俺の部隊が確実に王都を制圧しつつある。やはり、小細工よりも圧倒的な武力こそがすべてだ。お前は、洗脳した国王と第一王子だけ抑えておけ。あとは俺に任せておけば良い」
「くっ……。悔しいけれど、結果がこれでは反論できないわね……」
イザベラはギリッと奥歯を噛み締めた。
「次の手は考えるけど……今は、あなたの武力とやらを頼らせてもらうわ」
「任せておけ。俺の部下は有能だからな。早々に、この王都全域を血と恐怖で制圧してみせよう。ふはははははっ!」
ヴァンダルの野獣のような高笑いが、誰もいない玉座の間に不気味に響き渡っていた。
◇
地下基地の、静寂に包まれた深夜。
俺は自分のベッドで横になっていたが、どうしても寝付けずにいた。身体は疲労の極致にあるというのに、脳の奥底でゴリアスとの戦いの光景がフラッシュバックして離れないのだ。
俺はゆっくりと起き上がり、廊下へ出た。
そして、珍しくミーシャの部屋の扉の前に立ち、小さくノックをした。
トントン。
「……はい」
扉の向こうから、少し眠たげな声が返ってきた。
「夜分にすまない。起きているか?」
「あら、アドルさん? どうぞ、入ってください」
扉を開けると、そこには薄手の白いネグリジェを纏ったミーシャが、ベッドに腰掛けていた。
少し乱れた髪、無防備な肩のライン。
普段の魔導衣のしっかりとした姿とは違う、寝起き特有の少し艶やかな色気が漂っており、俺は思わず視線を逸らしそうになった。
「どうしました? こんな夜更けに……」
「あぁ、少し……相談があってな」
俺の歯切れの悪い様子を見て、ミーシャは小さく首を傾げた。
「こんなに改まって、そんな重たい話なの? とりあえず、ここに座って?」
ミーシャはポンポンと、自分の隣のベッドの縁を叩いた。
俺は誘導されるままに、彼女のすぐ隣へと腰を下ろす。
シーツ越しに、彼女の微かな体温と、甘く落ち着くような花の香りが漂ってきた。
「いや、そんなに大した話ではないんだ。ただ……前からずっと感じていたんだが、やっぱり俺は、今のままでは強さが足りないと思うんだ」
俺がポツリとこぼすと、ミーシャは少し呆れたように息をついた。
「またその話ですか。アドルさんは、いつもご自身のことを過小評価するんですから」
「そうじゃないんだ。本当に敵の力がどんどん強大になってきている。ヴァンダルもそうだが、今日のゴリアスだって、純粋な武力では手も足も出なかった。それに、ミーシャもルルも、実戦を経験して信じられないスピードで強くなっている。……俺も、瞬きの錬成で戦術の幅は広がったが、どうも直接的な戦力として強くなれている気がしなくてな……」
前衛として敵を打ち倒すガラハドの剣撃。
ルルの圧倒的な拳撃と召喚魔法。
ミーシャの空間魔法を始めとする魔法全般。
それに比べて、俺の錬金術はあくまでサポートや環境利用に留まっているのではないか。
そんな焦りが、俺の心を黒く塗り潰そうとしていた。
すると、ミーシャはそっと俺の頬に手を添え、優しく微笑みかけた。
「間接的に感じるかもしれませんが、アドルさんの錬金術は、私たちにとって信じられないくらい凄い力になっているんですよ? 確かに、前みたいに剣を持って敵と直接対峙するシーンは減りましたけど……そもそもアドルさんは、素手や魔法で真っ向から戦うタイプではないんですから」
そういうと、ミーシャは俺の髪にそっと手を伸ばし、まるで子供をあやすように優しく頭を撫で始めた。
「アドルさん……。そんなに、自分一人ばかりで背負い込まないでください。私たちは仲間です。みんなで、一緒に戦いましょう?」
月明かりが窓から差し込み、ミーシャの透き通るような青い瞳に反射して、一際美しく輝いている。
頭を優しく撫でられる心地よさと、吐息が掛かるほど近づいた距離。
彼女から香るいい匂いに、俺の思考は次第に甘く溶かされ、うっとりとしてしまっていた。
「あぁ……みんなで戦う。それは、よくわかっているんだがな……」
「わかってませんよ。そんな難しいことばかり考えて、目の前に私の顔が来ていることすら、気づいてないじゃないですか」
ミーシャの顔が、ふっと俺の顔へと近づく。
「んっ……」
不意に、唇に柔らかい感触が押し当てられた。
甘い吐息が交じり合い、ミーシャの唇が俺の唇を優しく、しかし確かな熱情を持って塞いだ。
「んんっ……おい、ミーシ……んんっ……」
俺が驚いて声を上げようとするのを、彼女はさらに唇を押し当てて封じ込める。彼女の細い腕が俺の首元に絡みつき、ベッドの上に押し倒されるような形になった。
「んっ……ぷはぁ。もう。夜に女性の部屋に押しかけといて……なんにもしないとか、ないですよね?」
上目遣いで俺を見つめるミーシャの瞳は、昼間の知的な魔導士のそれではなく、一人の女性としての熱い欲望に濡れていた。
「そ、そういうつもりで来たわけでは……ないんだが……」
俺が顔を赤くして弁解すると、ミーシャはふふっと色っぽく笑い、俺の胸元にそっと指を這わせた。
「だーめです。アドルさんは、まだ私との信頼関係が足りないみたいなので……今夜は、アドルさんの体にしっかりと分からせることにします」
ミーシャのネグリジェの肩紐が、するりと腕へ滑り落ちる。
理性を溶かすような甘い囁きに、俺はもう抗うことなどできなかった。
地下基地の静寂な部屋の一角。
明日も訪れるであろう過酷な戦いの合間に、俺たちは仲間としての、そしてそれ以上の強固な信頼関係を築き上げるという名目で、互いの体温を求め合い、深く濃密な甘い夜を過ごすのだった。




