第179話:籠の中の王子
泥にまみれた俺たちが踏み入った寝所は、息を呑むほどに豪奢で、そして冷たい静寂に包まれていた。
銀色の天蓋が揺れる大きなベッド。
そこに力なく横たわっていた金髪の少年が、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。
「……君たちは、誰だい?」
掠れた、ひどく虚ろな声だった。
俺は油断なく周囲に魔力感知を広げながら、彼へと歩み寄った。
第二王子アルベルト。年は十五、六といったところか。
アリア王女の弟というだけあって顔立ちは整っているが、その頬はひどく痩せこけている。
そして何より俺の目を引いたのは、彼の細い首に取り付けられている異質な「鉄の首輪」だった。
赤黒い魔力の脈動が、その金属の表面を這うように蠢いている。
「アリア王女の命で、あなたを助けに来ました。さあ、一緒に参りましょう」
俺が静かに告げると、アルベルトの瞳が微かに見開かれた。
姉の名を聞いて一瞬だけ希望の光が宿ったかに見えたが、それはすぐに深い泥のような諦めへと沈み込んだ。
「……無理だよ」
アルベルトは自らの首輪に力なく触れた。
「俺は、イザベラにこの呪いの首輪を取り付けられている。ここから出れば感知されるのは当然のことながら、無理に部屋から出ようとすれば、この首輪が俺の魔力を強制的に吸い上げ、同時に首が絞められる。そういう悪辣な術式が組み込まれているんだ」
少年は自嘲するように笑った。
「俺はもう、籠の中の鳥なんだよ。このまま兄さんの野望に加担する魔力電池として使われて、最後には用済みになって殺されるのがオチさ」
「アルベルト王子は、それでよろしいのですか?」
俺が淡々と、感情を交えずに問いかけた。
その直後だった。
「いいわけないだろ!!!」
虚ろだった少年の喉から、部屋の空気を震わせるほどの怒声が響き渡った。
突然の大声に、ルルがビクッと肩を揺らし、ミーシャも驚いて一歩後ずさった。
「何度逃げようと思ったか……! 俺がどれだけ、これまで色んなことを試したと思っているんだ!」
アルベルトは血走った目で俺たちを睨みつけた。
その表情には、押し殺してきた恐怖と無力感が痛々しいほどに露わになっている。
「イザベラは、強大な力を行使して俺を制御してくる。逆らえばいつでも殺せる、そう言わんばかりに圧倒的な圧力をかけて、俺の行動をすべて制限してくるんだ。もう……このまま言うことを聞くしかないんだよ」
荒い息を吐きながら、アルベルトはベッドのシーツを固く握りしめた。
「もう俺には構わないでくれ。アリア姉さんにも、俺のことは諦めろと伝えてくれるかな」
そして、どこか憑き物が落ちたような、酷く穏やかな顔で俺たちを見た。
「こんな泥だらけになってまで、わざわざ俺のために来てくれてありがとう。君たちも、早くここを離れないといつイザベラが来るかわからない。……早く逃げた方がいい」
アルベルトの言葉には、確かな優しさが混じっていた。
だからこそ、その絶望の深さが際立っている。
「魔族たちは最近、急に行動を強め始めた。それに比べて、俺たち人間には武力も魔力も、何もかもが足りていないんだ。このままでは国ごと支配されて終わりだ。でも……俺たちにできることなんて、たかだか知れている」
そのまっすぐな、純度すら感じる絶望に染まった目を見て、俺は同情を禁じ得なかった。
十五やそこらの少年が、国を牛耳る魔族の幹部に命を握られ、たった一人でこの部屋に閉じ込められていたのだ。
心が折れない方がおかしい。
だが、俺は異世界からの迷い人であり、常識を書き換える錬金術師だ。
「……アルベルト殿下」
俺は彼のベッドの傍まで歩み寄り、その目を見下ろした。
「その支配から抜ける方法が、あるとしたら?」
俺の問いかけに、アルベルトはひどく疲れたように首を振った。
「そんな方法があれば、使ってとっくに逃げているよ。君がどれだけ腕の立つ魔法使いか知らないが、イザベラの呪いはそんな生易しいものじゃない」
「魔法使いじゃない。俺は錬金術師だ」
俺は自身の指先に魔力を灯し、彼を縛り付けるその忌まわしい鉄の首輪へと手を伸ばした。




