第176話:王女との会談
約束の三日目。
俺たちはマリアに導かれ、教会の地下深くにある隠し会議室へと足を踏み入れた。
会議室には、これまでの旅で出会ったガラハドの他に、数人の重装騎士、そして部屋の奥で地図を見つめる一人の女性がいた。
凛とした空気を纏い、緩やかに波打つ金髪を後ろで束ねた彼女が、第一王女アリアだった。
王族としての気品を纏ってはいるが、その表情には隠しきれない疲労と、国を思う悲痛な決意が滲んでいた。
「よくぞ参られました、アドル殿。異世界からの錬金術師である貴方の噂は、マリアやガラハドから詳しく聞いております」
アリアが椅子から立ち上がり、俺たちに深く、そして静かに頭を下げた。俺もそれに応じ、隣に立つ仲間たちを紹介した。
「紹介に預かりました、アドルです。こちらは魔導士のミーシャ、そして召喚士のルル。……お互いに時間も惜しいでしょう。まずは今の王都がどうなっているのか、包み隠さず教えていただけますか」
アリアは一つ頷き、地図の一点を指し示した。
「今のグランレガリアは、腐敗した大樹のようなものです。二十年前に母を殺し、王妃に成り代わった魔族イザベラによって、父上である国王は完全に洗脳されました。そして……我が兄、第一王子レオンハルトは、それが魔族の策略だと知りながら己の野望のためにイザベラと手を組んだのです」
アリアの声が微かに震える。
それは怒りか、あるいは身内を敵に回した絶望か。
「現在、王都の実権は彼らが握っています。逆らう者は魔王軍第一の将ヴァンダルの圧倒的な武力によって無惨に消される日々です。我々反乱軍も、潜伏して機会を待つことしかできません。……ですが、この状況を打破する唯一の鍵が、まだ城の中に残されています」
「それが、第二王子のアルベルト殿下というわけですね」
俺が言葉を繋ぐと、アリアは縋るような瞳で俺を見つめた。
「はい。アルベルトは中立を装い、城の奥深く『星霜の離宮』に隔離されています。彼は王族の中でも特に純度の高い魔力を持っており、王都を守護する大結界の維持に不可欠な存在です。
もし、イザベラが彼を完全に支配し、その血を魔王軍のために捧げさせれば……この国は永遠に闇に閉ざされるでしょう」
アリアは地図の上にそっと手を置いた。
「アドル殿、どうか……どうか弟を、アルベルトを救い出してはいただけないでしょうか。彼さえ無事であれば、結界の完全な支配は防げます。反乱軍が総力を挙げて正面から陽動を仕掛けます。その隙に、貴方たちに城の深奥へ潜り込んでいただきたいのです」
切実な王女の訴え。俺は隣に立つ二人を見た。
ミーシャとルルは、無言で、しかし力強く頷いていた。
「……わかりました。アルベルト殿下の救出、俺たちが引き受けます」
「感謝いたします、アドル殿! 城への侵入ですが、かつて建国の時代に、王家の有事の際の逃げ道として造られた地下排水路があります。今では管理記録からも抹消されていますが、この古地図に記されたルートを通れば、離宮のすぐ側まで敵の目を掠めて辿り着けるはずです」
アリアから隠しルートの写しを受け取り、俺たちは一旦、地下の拠点へと戻ることにした。
◇
地下拠点。
広々としたリビングで、俺たちはアリアから聞いた情報を整理していた。
「……というわけで、今夜からアルベルト殿下の救出作戦を決行する。カミラ、すまないがしばらく留守番を頼む」
キッチンで夕食の支度をしていたカミラが、手を休めて振り返った。
「事情は理解いたしました。ご主人様たちが危険な城へ向かうというのに、私がお役に立てないのが口惜しいですわ……」
「そんなことないさ。君がこの拠点を守っていてくれるから、俺たちは全力で戦える。帰ってきたら、最高の料理を頼むよ」
俺がそう言うと、カミラは少しだけ頬を染め、気品のある一礼をした。
「承知いたしました。では、長丁場に備えて高エネルギーの保存食と、解毒作用のある特別な茶葉をミーシャ様の異空間に詰め込んでおきますわ。……必ず、ご無事で戻ってくださいね」
「わかった、約束する」
ルルはナックルの手入れ、ミーシャは異空間から予備の魔力石を引っ張り出して最終的なチェックを行っている。
「アドルさん、準備はいいわよ。光学迷彩のマントと、音を消すためのフェルトソールも人数分用意してあるわ」
「よし、行こうか。王都の運命、少しだけ変えさせてもらおう」
俺たちはカミラに見送られ、夜の静寂に包まれた王都へと再び繰り出した。
◇
アリアから教わった地下排水路の入り口は、王城の北壁から少し離れた、古びた井戸の底にあった。
ドロドロとした泥水が流れる狭い通路は、何十年も人の出入りがなかったせいか、鼻を突くようなカビの匂いと重苦しい冷気が漂っていた。
「ううっ……汚いなの。服が汚れちゃうなの」
「我慢しろ、ルル。ここを通るのが一番見つかりにくいんだ」
道中はミーシャがプチファイアで指先に小さな灯火を灯し、アリアの古地図と照らし合わせながら進んだ。
通路は複雑に入り組み、時折、大きなドブネズミや魔力の残滓から生まれた不気味な虫たちが這いずり回っている。
「アドルさん、待って。この先、水の流れる音が変わったわ」
ミーシャが制止の声を上げた。
慎重に角を曲がると、そこには城の石垣を直接削り出したような巨大な石造りの水路が広がっていた。
そして、その頭上からは、重々しい鉄格子の向こうから城内を巡回する兵士たちの足音が響いてくる。
「……ここから先は城の内部だ。もう音は立てられないぞ」
俺は錬金術で、鉄格子の隙間から見える構造を解析した。この真上が離宮へと続く庭園の端のはずだ。
「ここを抜ければ、いよいよ星霜の離宮の敷地内だ。ルル、すらたんの力で周囲の魔力配置を探ってくれ。」
俺が声を潜めて指示を出した直後だった。
ルルがハッと息を呑み、俺の服の袖を強く引っ張った。
「アドルさん……前から、何かが来るなの」
ミーシャも即座に反応し、顔を青ざめさせる。
頭上には敵の兵士たちがおり、一切の音を立てられない極限の状況。
暗い排水路の奥から、チャプ、チャプと泥水を掻き分ける足音が近づいてきた。
闇の中で不気味に赤く光る二つの両眼。
それは、イザベラが城中の監視のために放っていた、漆黒の魔力で形作られた使い魔の狼だった。
低い唸り声と共に、狼の影が俺たちの目の前まで迫っていた。




