第175話 : 恩師たち
広大な地下拠点の建築は、予想以上に早く、そして完璧な形で完了した。
マリアが手配してくれた王女アリアたちとの会談までは、まだ二日の猶予がある。この空いた時間を利用して、俺は王都周辺にいる知己を訪ねることにした。
まずは王都の市街地。
反乱軍が隠れ家の一つとして利用しているという、使われなくなった古い修練場だ。
護衛としてミーシャを伴い、重い木の扉を押し開けると、そこには一人、黙々と木剣を振るう男の姿があった。
反乱軍の主力を担う凄腕の剣士、ガラハドだ。
「アドル殿! それに、ミーシャ殿も!」
俺たちの姿に気づいたガラハドが、木剣を下ろして驚きの声を上げた。
その表情には、連日の魔王軍との激しい戦闘による深い疲労が色濃く滲んでいた。
「手紙をもらって飛んできたんだ。無事でよかった」
俺が微笑みかけると、ガラハドは少しだけ安堵の息を吐き、悔しそうに拳を握りしめた。
「お恥ずかしい限りだ。我々の力不足ゆえに、民を戦火から守りきれず、こうして王都の片隅に追いやられている。第一の将ヴァンダルの暴力は、我々人間の剣士ではどうにもならぬほどに凄まじい」
「謝る必要はないさ。君たちがこれまで持ち堪えてくれたからこそ、俺たちが間に合ったんだ」
俺は手を差し出し、ガラハドの大きな手を力強く握りしめた。
「俺たちも反乱軍に加勢する。これからは、共に戦う仲間として改めてよろしく頼む」
「アドル殿……っ。何と心強いお言葉か。このガラハド、命に代えても貴殿らと共にこの国を取り戻してみせよう!」
ガラハドの瞳に再び強い闘志の炎が宿るのを確認し、俺たちは修練場を後にした。
◇
次に向かったのは、王都の外れに広がる鬱蒼とした森「禁忌の森」だ。
魔獣すら寄り付かないこの神聖で特異な森の奥深くに、俺の錬金術のルーツとも言える存在が隠れ住んでいる。
俺の師であるドランの、さらに師匠。大師匠にあたる錬金術師、エルダー・リーネだ。
「相変わらず、不思議な気配の森ね……」
ミーシャが周囲を警戒しながら呟いた。
森の最奥にある泉のほとりにたどり着くと、空間が微かに歪み、淡い光の粒子が集まってふわりと人型を形成した。
「あら、アドルじゃない。それにミーシャも。王都がずいぶん騒がしいみたいだけど、あんたたちまでこんな所に引っ張り出されてるのね」
声帯を持たず、直接脳内に響いてくる声。
長い年月を生き抜いた大錬金術師でありながら、その口調は呆れるほどフランクで、どこか楽しげだった。
「お久しぶりです、リーネ師匠。今日はご挨拶と共に、少し相談があって参りました」
俺は頭を下げ、ゼノア戦や凍土の番人との遭遇など、最近の激戦について手短に説明した。
「……なるほどね。要するに、事前の準備やミーシャの空間頼みじゃ対応しきれない、純粋な『個』の暴力や極限状態での魔力制御に押し負けそうになったってわけね」
リーネ師匠は心底つまらなそうに肩をすくめた。
「だから前に言ったじゃない。あんたはずいぶん世界に気を使って生きてるって。まぁ、あんたなりの矜持があるなら口は出さないけど、己の薄っぺらさに気づけたなら上出来かしら」
「……その通りです。だから、もしこの王都での戦いの合間に空き時間があれば、俺をもう一度基礎から鍛え直していただけないかと思いまして」
俺の頼みを聞き、リーネ師匠は冷徹な観察者の瞳で俺を頭の先からつま先まで舐め回すように見つめた。
やがて、その瞳に教育者としての嗜虐的な光が宿る。
「ふふっ……いいわよ。あんたほどの規格外が、今更になって泥臭い基礎を求めてくるなんて。ドランも変な弟子を持ったものだわ」
彼女はすっと俺の目の前に降り立ち、半透明の指先で俺の胸元を軽く小突いた。
「あんたがボロ雑巾になるまで、あたしが直々に可愛がってあげる。王都の闇を払うっていうなら、せいぜい使い潰してあげるわ。……で、ミーシャ」
不意に、リーネ師匠の視線がミーシャへと移った。獲物を見るような、狂おしいほどの探求心に満ちた目がキラリと光る。
「あんたのあのデタラメな異空間、あれからどれくらい広くなったのかしら? 内部構造の解析、そろそろ少しだけ見せてもらっても……」
「えっと、それは……っ!」
ミーシャが一歩後ずさると、リーネ師匠はポンと手を叩いて笑った。
「冗談よ。また今度ゆっくり研究させてもらうわ。時間ができたら、二人ともいつでもいらっしゃい」
リーネ師匠からの不気味なほど頼もしい約束を取り付け、俺たちは逃げるように、しかし確かな安堵と共に禁忌の森を後にした。
◇
日が落ちるまでにはまだ少し時間が余っていた。
俺は一旦拠点へ戻り、待ち構えていたカミラを連れて、再び王都の市街地へと向かった。
目的は、これからの生活に向けた食材や日用品の買い出しだ。
「ご主人様、王都の市場は随分と活気がありますわね。魔王軍の圧力が強まっていると聞いておりましたので、もっと殺伐としているのかと」
外套のフードを目深に被ったカミラが、俺の隣を歩きながら周囲を見渡した。
「民衆の力は逞しいからな。上の連中がどうであれ、日々の生活は回していかなきゃならない。それに、第一王子の思惑で、表向きの経済だけは回しているんだろう」
露店には新鮮な野菜や肉、様々な香辛料が並び、商人たちの威勢の良い声が飛び交っている。
俺とカミラは、周囲の目を気にしつつも、並んで市場の通りを歩いた。
「今日の夕食は、何になさいますか? せっかくですから、王都ならではの食材を使って、ご主人様の疲れを癒やす料理を作りたいですわ」
カミラが並んだ色とりどりの野菜を吟味しながら、楽しそうに尋ねてくる。
その横顔は、戦場に向かう前の緊張感を感じさせない、ごく普通の幸せな女性のそれだった。
「そうだな……カミラの作ってくれるものなら何でも嬉しいが、強いて言うなら、この前作ってくれた香草焼きがまた食べたいな」
「まあ。ふふっ、ご主人様はお肉がお好きですからね。では、とびきり上質な鶏肉を探しましょう」
カミラは俺の腕にそっと自分の腕を絡ませ、歩調を合わせてくる。
周囲から見れば、買い出しに来たただの若い夫婦か恋人同士にしか見えないだろう。
「カミラ、荷物は全部俺が持つから、遠慮せずに好きなものを買ってくれ。拠点での生活を快適にするための布や、お前の私物でも構わないぞ」
「ありがとうございます。でも……私にとっては、こうしてご主人様と二人きりで街を歩き、今夜の食卓の相談をしているこの時間こそが、一番の贈り物ですわ」
カミラはフードの奥で艶やかに微笑み、俺の腕を抱く力を少しだけ強めた。
「まるで、本物の逢瀬のようですわね」
耳元で囁かれた甘い言葉に、俺は少しだけ照れくさくなりながらも、彼女の温もりを心地よく受け入れた。
過酷な戦いがすぐそこまで迫っている。
だが、こうして仲間たちと絆を深め、愛する者とささやかな日常の喜びを分かち合う時間があるからこそ、俺はどんな敵が相手でも決して折れることなく立ち向かえるのだ。
両手いっぱいの荷物を抱え、俺たちは夕焼けに染まる王都の街並みを抜け、皆が待つ地下の秘密基地へと帰路についた。




