第169話:王都からの手紙
アズール・コーストでのバカンスから帰還し、俺たちの生活は再び見慣れた日常へと戻っていた。
ルルとシルヴァは朝から庭で騒がしく手合わせをし、ミーシャは工房で新たな魔法陣の構築に没頭した。
カミラは完璧な手際で屋敷の維持管理をこなし、エナも商店の帳簿整理や回復薬等の在庫管理といった仕事に精を出した。
そんな穏やかな昼下がりのことだった。
開け放たれたリビングの窓から、バサッ、バサッという力強く大きな羽音を立てて、一羽の巨大な鳥が舞い込んできた。
ピヨちゃんだ。
「おお、ピヨちゃんか。ご苦労だったな」
俺が腕を差し出すと、ピヨちゃんは鋭い爪を器用に寝かせ、鷲のように威風堂々とした姿で俺の腕に着地した。
そして、太い脚に結びつけられた小さな筒を差し出してきた。
筒から丸められた羊皮紙を取り出し、そこに記された差出人の名を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「シスター・マリアより」
マリア。
それは、俺たちがこの街でまだ力をつける前、絶望的な状況に陥った際に手を差し伸べてくれた恩人だった。
彼女には、到底返しきれないほどの大きな借りがあった。
手紙の文面は短いが、切迫した筆致で書かれていた。
「アドルさん、どうか助けてください。なるべく早く、王都へ来て欲しいのです」
詳細な事情は書かれていない。
だが、あの穏やかで慈愛に満ちたシスター・マリアが、わざわざ伝令を飛ばしてきたのだ。
よほど重大な事態が起きているに違いなかった。
俺は羊皮紙を強く握りしめ、すぐに王都へ向かうための計画を頭の中で練り始めた。
◇
その日の夜。夕食を終えた後、俺は全員をリビングに集めて家族会議を開いた。
「シスター・マリアから助けを求める手紙が来た。俺は王都へ行くつもりだ」
手紙の文面を共有すると、場の空気が一気に張り詰めた。
マリアへの恩は、ここにいる誰もが理解していた。
「ご主人様……。その王都への遠征は、どのくらいで戻れるのでしょうか」
カミラが不安げな声で尋ねた。
「……わからない。向こうで何が起きているのか全容が掴めないんだ。すぐに解決するかもしれないし、長くなる可能性もある」
俺の言葉を聞いた瞬間、カミラの顔が苦痛に歪んだ。
バカンスの夜、彼女は俺の身を案じ、万が一のことがあれば後を追うとまで言ってくれた。
俺と離れ離れになることは、今の彼女にとって身を引き裂かれるよりも辛いことのはずだった。
だが、カミラには葛藤があった。
俺の護衛として同行したい気持ちと同じくらい、戦力を持たないエナを護るという強い責任感があったからだ。
もしカミラが王都へ同行すれば、エナを一人でこの街に残すことになってしまう。
「私はご主人様の盾です。ですが、エナさんを……」
カミラが唇を噛み締め、珍しく言葉を詰まらせた。
その沈黙を破ったのは、エナの凛とした声だった。
「私が、一人で屋敷に残ります」
エナが真っ直ぐな瞳で俺たちを見据えていた。
「エナちゃん!? 一人でお留守番なんて、そんなの危ないわ!」
ミーシャが驚いて身を乗り出したが、エナは静かに首を振った。
「王都での件は、きっと危険な戦いになります。商人の娘に過ぎない私がついて行っても、皆様の足手まといになるだけです。私には、この街で守るべきものがあります。アドル様が作ってくださったこの屋敷と、商会を通じた街の人々との繋がり……。それは、今の私にしかできないことです」
エナは一歩踏み出し、確かな意志を込めて俺の目を見た。
「アドル様たちがいつでも戻れるように、私がここを温かくして待っています。だから、カミラさんもアドル様に付いていってあげてください」
エナの覚悟は本物だったが、それでも戦闘能力のない彼女を一人残すことへの不安は消えなかった。すると、ルルがひょいと手を挙げて提案した。
「それなら、グラッキーをここに残していくのはどうなの?」
「グラキエスのことか? でも、あいつは凍土の番人だろう。この街の気候では……」
俺が言いかけると、ルルは得意げに鼻を鳴らした。
「大丈夫なの! グラッキーは凍土にいたから凍ってただけで、ホントは土属性のすっごく強いゴーレムなのよ。それに、ルルがお願いすればこれくらい小さくなれるの!」
ルルが魔法陣を描くと、手のひらサイズの精巧な石像が現れ、それがみるみるうちに大きくなって子供ほどの背丈のゴーレムへと姿を変えた。かつての威圧感は抑えられているが、その体躯からは底知れない力強さが伝わってくる。
「……主の命に従い、この地の守護を引き受けよう。喋ることもできるゆえ、店番や防衛に不都合はない」
グラキエスが重厚な声で告げた。
これなら戦闘用護衛はもちろん、店番まで完璧にこなせる。
ルルの機転により、エナを一人にするという最大の問題が解消された。
「……わかった。屋敷と店は、お前とグラキエスに任せる。必ず、全員でここへ帰ってくるからな」
「はい。……いってらっしゃいませ、アドル様」
エナの満面の笑みと、カミラの決意、そして新たな戦いへの緊張感が交錯する中、俺たちの王都への遠征が決まった。




