第168話:潮騒の記憶
翌朝。
波の音で目を覚ますと、すでに日差しが白亜のコテージを眩しく照らしていた。
いつまでも遊んではいられない。
今日がこのアズール海岸でのバカンス最終日だ。
帰りの移動のこともあるため、今日は朝からシルヴァに合流してもらっている。
彼は器用に人型をとり、俺が錬成したサーフボードに乗って、ルルと一緒に見事な波乗りを披露していた。
「波に乗るなど容易いことよ! ほれ主、しっかり掴まらぬか!」
「きゃーなの! シルヴァ君、もっと速くいくのよ!」
他の面々も、小型のヨットで沖に出たり、浮き輪で波に揺られたりと、残された時間を惜しむように海を満喫した。
◇
午後。
さすがに体力を使い果たしたのか、女性陣はパラソルの下やデッキの長椅子でぐったりと寝そべっていた。
俺は冷たい果実水を用意し、休んでいる彼女たちを順番に砂浜の散歩へと連れ出すことにした。
◇
最初はルルだ。
波打ち際を歩きながら、俺は小さな彼女の手を引いた。
「ルル、海はどうだった? 楽しかったか?」
「すっごく楽しかったなの! 美味しいお魚もいっぱい食べて、スイカも割って……あたし、今が一番幸せなの」
無邪気な笑顔を向けるルルを見下ろし、俺はそっと彼女の頭を撫でた。
「アドルさんとずっと一緒にいたいなの。これからも、いっぱい美味しいもの作ってほしいなの」
「ああ、約束する。ルルの胃袋は俺が一生満たしてやるよ」
◇
次に声をかけたのはエナだった。
二人で少し歩き、人の目につかない巨大な岩礁の陰に差し掛かったところで、エナがふと足を止めた。
「エナ? どうしたんだ」
「アドル様……。私、本来ならただの商人の娘に過ぎません。それなのに、私を拾い、家族のように特別に扱ってくださって……本当に幸せです」
エナの瞳が微かに潤みを帯びる。彼女は両手で自らの胸元をぎゅっと握りしめた。
「でも……最近、胸が苦しいんです。ミーシャ様のようにアドル様と同じ世界の記憶があるわけでもなく、カミラさんのように完璧に屋敷を取り仕切れる力もない。だから、ずっと自分の気持ちには蓋をして、一歩引いていようって決めていたのに……」
震える声で紡がれる言葉には、彼女がずっと隠してきた切実な思いが込められていた。
「日に日に、アドル様への思いが募ってしまって……もう、抑えきれないんです」
エナは一歩踏み出し、俺の胸元に両手を添えると、背伸びをして顔を近づけてきた。
「アドル様。……私も好きでいさせて貰ってもいいですか……?」
「エナ……」
「アドル様の為なら……わたしなんでもできます」
そう呟くが早いか、エナの柔らかい唇が俺の口を塞いだ。
ただの触れ合いではない。
彼女は少しだけ唇を開き、熱を帯びた舌を俺の口内へと忍び込ませてきた。
普段の控えめな彼女からは想像もつかないほど激しく、貪るような口づけ。
エナの甘い香りと、微かな潮の香りが混ざり合う。俺も彼女の腰を強く引き寄せ、その情熱的な求めに深く応えた。
「んっ……ぁ……アドル、様……っ、もっと……」
舌先が深く絡み合い、互いの熱を確かめ合うような長いキスの後、エナは真っ赤な顔で荒い息を吐きながら、俺の胸にすっぽりと顔を埋めた。
◇
続いて、カミラと共に白い砂浜を歩いた。
彼女は波の音に耳を傾けながら、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「カミラ、いつも屋敷を守ってくれてありがとう。このバカンスで少しは羽を伸ばせたか?」
「ええ、ご主人様。これほど心穏やかで、幸せな日々を過ごせるなんて、以前の私には想像もできませんでしたわ」
カミラは立ち止まり、俺の正面に立ってその美しい瞳で真っ直ぐに見つめてきた。
だが、その瞳の奥には、ふと切実な色が揺れた。
「ですが……ここ最近のご主人様は、あまりにも無茶が過ぎます。迷宮での死闘も、未知の魔法の行使も……。お帰りを待つ私の身にもなってください」
カミラの細い指先が、俺の服の袖をきつく握りしめる。
「私は、ご主人様がお怪我をされるたびに、生きた心地がしないのです。もし……万が一、ご主人様に何かあれば、私もその場ですぐに後を追う覚悟はとうにできているのですから」
それは決して大袈裟な比喩ではなく、彼女の魂からの叫びだった。
「……悪かった。そんなに心配させていたんだな」
俺は彼女の手を優しく包み込み、引き寄せた。
「お前を悲しませるような死に方は絶対にしない。俺の帰る場所は、お前たちがいるあの屋敷だからな」
「……約束、ですよ」
カミラは少しだけ目を潤ませて微笑むと、俺の腕にそっと自分の腕を絡ませてきた。
「私は、ご主人様にお仕えできている今が何よりも幸せです。これからもずっと、あなたのお傍に置いてくださいませ」
「ああ。お前がいないと俺の生活が成り立たないよ。これからも頼りにしてる」
◇
最後はミーシャだ。
時刻はすでに夕暮れ時。西の空に沈みゆく太陽が、海面を燃えるような茜色に染め上げていた。
俺たちは並んで歩きながら、オレンジ色の波打ち際を見つめていた。
「……綺麗ね。日本の海も好きだったけど、この世界の海はもっと透き通っていて不思議な感じ」
ミーシャがふと、元の世界の思い出を口にした。
「そうだな。あの頃は毎日のように終電まで働いて、バカンスなんて夢のまた夢だった。それに比べたら、今はまるで天国みたいだ」
「ふふっ、あの時の社畜が、今じゃ立派な錬金術師で領主様だものね」
元の世界の記憶を共有できるのは、この世界で俺たち二人だけだ。その絶対的な絆が、夕暮れのムードと相まって胸の奥を熱くさせた。
俺が足を止めると、ミーシャも立ち止まり、静かにこちらを見上げた。
茜色の光に照らされた彼女の顔は、息を呑むほど美しかった。俺は自然と彼女の肩を抱き寄せ、その赤い唇に口づけを落とした。
「んっ……アドルさん……」
唇が離れると、ミーシャは熱っぽい吐息を漏らし、俺の首に腕を回してきた。
「アドルさん……私、もう待てないわ」
「ミーシャ、ここは外だぞ。誰か来るかも……」
「大丈夫よ。みんな疲れて休んでるわ。それに……外の方が、波の音で声が消えるから」
ミーシャの赤いビキニの紐が、彼女自身の指によって解き放たれた。
柔らかな双丘が夕日の中に露わになり、俺はもう理性を保つことができなかった。
俺たちは砂浜の柔らかな砂の上に倒れ込み、互いの肌を強く重ね合わせた。
寄せては返す波の音が、二人の荒い息遣いと甘い嬌声を掻き消していく。
野外という背徳感と、魂の底から通じ合う安心感が、俺たちをこれまで以上に熱く、深く結びつけていった。
茜色の空が完全に夜の闇に変わるまで、俺たちは波打ち際で何度も愛を確かめ合った。
◇
すっかり日が落ち、星空が広がる頃。
俺たちは出発の準備を整えていた。
「よし、忘れ物はないな。ミーシャ、頼む」
「ええ。異空間保存、展開!」
ミーシャが右腕をかざすと、空間が歪み、俺たちが二日間を過ごした巨大な白亜のリゾートコテージが丸ごと吸い込まれていった。
何度見ても規格外の魔法だが、これならまたいつでも好きな場所で快適なバカンスができる。
「待たせたな、シルヴァ」
「フン。我を荷馬車のように使いおって。帰ったらまたあの極上肉を用意しろよ」
銀龍の姿に戻ったシルヴァの背中に全員で乗り込むと、彼は力強く夜空へと飛び立った。
眼下に遠ざかっていくアズール海岸に別れを告げながら、俺は仲間たちの温もりを感じ、屋敷へと帰る夜風を心地よく受け止めた。




