第163話:碧い海への招待状
家電騒動の片付けも終わり、ようやく屋敷に静寂が戻ってきた。
午後の柔らかな光が差し込むリビング。
俺はソファに深く腰掛け、淹れたての紅茶を啜りながら、隣で領地の帳簿を確認しているカミラに声をかけた。
「なあ、カミラ。この世界には、いわゆる海っていうのはあるのか?」
俺の唐突な質問に、カミラは羽ペンを止め、眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。
「海……ですか? ええ、もちろんございますわ。ここから東へ数日ほど馬車を走らせれば、アズール・コーストと呼ばれる美しい海岸線が広がっております。特に今の季節は、水温も安定していて絶好の行楽日和かと」
「アズール・コーストか……。いいな。どうだ、みんなでそこへ行って、ちょっとしたバカンスをしないか?」
俺の提案に、カミラは一瞬呆然とした。
しかし、次の瞬間、彼女の瞳がかつてないほどにキラキラと輝き始めた。
「バカンス……海!! いいですね、それは素晴らしい案ですわ、ご主人様!!」
普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、食い気味に乗り出してきた。
拳を握りしめ、鼻息も少し荒い。
「ぜひ行きましょう! すぐに手配を……いえ、準備に少しお時間をください。最高に完璧なスケジュールを組んでみせますわ。日焼け止めに、パラソルの用意、それに……」
カミラがブツブツと高速でリストアップを始める。
そんな彼女の様子を見て、お茶を運んできたエナがクスクスと笑った。
「カミラさん、本当に楽しみなんですね。アドル様、それなら軍資金はたっぷりありますから、私にお任せください」
エナは一旦奥へ引っ込むと、ずっしりと重そうな革袋をいくつか持ってきた。
昨日のデートで確認した、ピヨちゃん事業の収益の一部だ。
「これ、皆さんの分です。お買い物や現地での楽しみのために、自由に使ってくださいね」
エナはリビングに集まってきたミーシャとルルにも、銀貨がぎっしり詰まった袋を手渡していく。
「わあ、お小遣いなの! これでおいしい魚をいっぱい食べるなの!」
ルルが小躍りして喜ぶ。
そこで俺は、移動手段についての懸念を口にした。
「馬車で数日か……。せっかくの休みだし、移動で疲れ果てるのは勿体ないな。ルル、シルヴァに頼んで乗せてもらうことはできないか?」
「シルヴァ君に? うーん、ちょっと不機嫌になりそうだけど、私が言えば大丈夫だと思うなの! 美味しいお肉の供物を用意すれば、きっと海までひとっ飛びなの!」
銀龍の背に乗っての空の旅。
それならアズール・コーストまでもあっという間だろう。
「そうなると、宿泊はどうするの? 日帰りじゃ勿体ない気がするわ」
ミーシャが紅茶を置きながら、少し思案げな表情で尋ねた。
「そうだな。泊まりがけにするなら宿が必要だが、この人数の急な予約は大変そうだし、何より俺たちの屋敷ほど快適な場所はなかなかないだろうな」
すると、ミーシャがいたずらっぽく微笑み、人差し指を立てた。
「それなら、アドルさん。簡易的な宿をその場で作ってしまうのはどう? 私の異空間保存と、アドルさんの複製錬金でパーツを揃えれば、砂浜に一晩で『魔法のコテージ』を出現させられるわ」
「魔法のコテージか……! それは面白そうだな。自分たちだけのプライベートビーチにするわけか」
ミーシャの提案に、全員のテンションが一気に跳ね上がった。
シルヴァをタクシー代わりに使い、砂浜に錬金術で即席のリゾートホテルを建てる。
まさに今の俺たちにしかできない、型破りなバカンスツアーだ。
「よし、決まりだ。俺はコテージの建材や、海で遊ぶための道具の複製に取り掛かるよ。シルヴァの機嫌取りはルルに任せたぞ」
「任せるなの! すらたんも海、楽しみにしてるなの!」
それぞれが自分の役割と、海でやりたいことを口々に話し始める。
シルヴァに空からの景色を見せてもらうんだというエナや、砂浜で美味しい料理を作ると意気込むカミラ。
そんな中、カミラがスッと立ち上がり、女子四人をぐるりと見渡した。
「皆さん、計画は決まりました。ですが、海へ行く前に、最も重要な『戦支度』が残っていますわ」
「戦支度……?」
ミーシャが小首をかしげると、カミラは不敵に微笑んだ。
「決まっております。水着ですわ。アドル様に、私たちの最高に美しい姿を見ていただくための、特別な装いです。……さあ、これから街で一番の仕立屋へ買い出しに行きますわよ。もちろん、エナさんが用意してくれたこの軍資金を、湯水の如く使い切る覚悟で!」
「わ、私も行くの!?」
「当たり前です、エナさん。あなたも主役の一人なのですから」
カミラに背中を押され、エナ、ミーシャ、ルルの四人は賑やかに屋敷を出て行った。
一人残された俺は、リビングで静かに紅茶の最後の一口を飲み干した。
女性陣の買い物は長くなるだろう。
その間に、俺も俺で「魔法のコテージ」の設計図を練るとしようか。
これから始まる、波乱含みのバカンス。
果たして、どんな水着で俺を驚かせてくれるのか……。
俺は少しだけ、鼻の下が伸びるのを自覚しながら、設計図を広げた。




