第160話 : 感謝の休日
迷宮から帰還した翌日。
泥のように眠り、昼過ぎに目を覚ました俺は、心地よい倦怠感の中で一つ決めていたことがあった。
「エナ、少し出かけないか? 二人だけで」
着替えて一階へ降りると、忙しそうに洗濯物を確認していたエナが、驚いたように目を丸くした。
彼女の柔らかい亜麻色の髪が、初夏の光を受けて透き通るように輝いている。
いつもは動きやすいように三つ編みにまとめられているその髪も、今日は少しだけ解けて、彼女の優しい顔立ちを際立たせていた。
「えっ……アドル様と、二人で、ですか? ですが、お怪我の具合は……」
「傷はもう塞がったよ。それに、俺がいない間ずっと領地を守ってくれていただろ? 今日はそのお礼がしたいんだ」
俺が強引に誘うと、エナは顔を赤くしながらも、嬉しそうに頷いてくれた。
街へ出ると、驚くほど活気に溢れていた。
以前よりも道が整い、すれ違う領民たちが俺たちに親しげに頭を下げていく。
エナがどれだけ丁寧に、そして誠実に領主代行を務めてくれていたかが肌で感じられた。
「あ、アドル様。あそこのお店、最近できたばかりのブティックだそうです。……あ、お花も綺麗で……」
普段は一歩下がって控えているエナが、今日ばかりは少し浮き足立っている。
俺はふと、彼女がいつも同じメイド服か、地味な色合いの普段着しか持っていないことに気づいた。
「エナ、あのお店に入ろう」
「えっ、あ、あそこは高級なお店じゃ……」
遠慮する彼女の手を引いて店に入り、俺は店内に並ぶドレスの中から、彼女の亜麻色の髪に一番似合う、淡い若草色のワンピースを選び出した。
「これ、エナに似合うと思うんだ。着てみてくれないか?」
「そ、そんな、私には勿体ないです……!」
慌てるエナを説得して着替えさせると、試着室から出てきた彼女は、まるで見違えるほど可憐な貴婦人のようだった。
白い肌によく映えるグリーンの生地と、少しだけお洒落に編み直した髪。俺が思わず見惚れていると、エナは恥ずかしそうに指先を弄んだ。
「……あ、アドル様。変、じゃないでしょうか……?」
「いや、最高に似合ってる。そのまま行こう。今日は全部俺に買わせてくれ」
俺は店主へ支払いを済ませ、エナを連れてテラス席のあるカフェへと向かった。
冷たい菓子をつまみながら、流れる雲を眺めてのんびりとした時間を過ごす。
「エナ、本当にありがとうな。俺が冒険に集中できたのは、お前がここを守ってくれていたおかげだ」
俺が真っ直ぐに目を見て伝えると、エナは困ったように微笑んだ。
「いいえ。私はただ、アドル様が帰ってきた時に、ここが一番安心できる場所であればいいなと思って……。でも、そうですね。私よりも、カミラさんのほうが大変だったかもしれません」
「カミラが?」
「はい。メイドの仕事はもちろんですが、領地の事務手続きまで手伝ってくれていて……。最近は少し、夜遅くまで明かりがついていることが多いのです」
エナは自分の労いよりも先に、同僚を思いやる言葉を口にした。
「カミラの負担か。……何か、困っていることはないか? 魔法や錬金術で解決できそうなことなら、なんでもやるぞ」
俺が聞くと、エナは少し考えてから指を折った。
「そうですね……。洗濯板での洗濯は冬場は手が荒れますし、広い屋敷の床掃除も一苦労です。もし、魔力で勝手に動くホウキや、勝手に汚れを落としてくれる桶なんてものがあったら、カミラさんもゆっくりお茶を飲む時間が作れると思うのですが……」
エナの何気ない要望に、俺の脳内で現代知識と複製回路が火花を散らした。
全自動洗濯機に、自律走行型の掃除機。
現代知識と今の俺の複製技術を組み合わせれば、それは決して夢物語ではない。
「……面白い。よし、カミラを驚かせるような新しい家電を試作してみるよ。家事の全自動化、それが俺たちの次のミッションだな」
(文明を壊さないようにだけ注意しないとな……)
屋敷への帰り道、エナが少し声を潜めて、内緒話をするように俺に顔を寄せた。
「そういえばアドル様、お金の面については全く心配いりませんよ」
「金? まあ、素材はいくつか売ったけど……」
「いえ、それだけではなくて。以前アドル様が始められたピヨちゃんの手紙事業を覚えていますか?」
ピヨちゃんを使って、安価で確実な通信サービスを試験的に導入していたことを思い出す。
「あれが今、領地を越えて王都まで爆発的にヒットしているのです。……アドル様が迷宮に潜っている間に、屋敷の金庫には、もう入り切らないほどの銀貨が貯まっておりまして」
屋敷の裏手、厳重に管理された倉庫を開けてもらうと、そこには文字通り銀色の山が築かれていた。
ピヨちゃんがせっせと運び込んだ通信料が、積もり積もって莫大な資産となっていたのだ。
「これ……全部、俺たちの取り分か?」
「はい。ですからアドル様、研究費でも、バカンスの費用でも、どれだけ使っても大丈夫ですよ」
新しいワンピースを揺らしながら、エナがいたずらっぽく笑う。
俺は銀の山を前にして、不敵に笑った。
これからはこの潤沢な資金と錬金術を使って、世界で一番贅沢で、そして楽な屋敷を作り上げてやろう。




