第158話 : 崩壊と碧い波
ゼノアが消滅した瞬間、五十層の「星空」がガラスのように割れ、降り注いできた。
静寂は一瞬。
直後、迷宮全体が悲鳴を上げるような轟音が響き渡り、足元の床が大きく傾く。
「……石碑が、消えていくなの……!?」
ルルが絶望的な声を上げる。
これまで脱出口として機能していた転送の石碑が、ゼノアの魔力供給を失い、砂のように崩れ去っていた。
「ゼノアが迷宮そのものだったからな。主を失えば、この場所もただの土塊に戻るってわけか……っ」
俺は激痛を堪えて立ち上がろうとしたが、膝に力が入らずに崩れ落ちる。
隣では、すべての魔力を使い果たしたミーシャが、顔を真っ白にして俺の腕に縋っていた。
「アドルさん……ごめんなさい、私、指一本動かせなくて……。あと三十分は、魔力が戻らない……」
「謝るな、ミーシャ。お前が勝ったんだ。……あとは、俺たちの根性見せるところだろ」
だが、現実は残酷だ。
天井から巨大な岩盤が剥がれ落ち、逃げ場を塞いでいく。
重傷のシルヴァも槍を杖代わりに立ち上がるのが精一杯だ。
「フン、我としたことが……ここで瓦礫の下敷きか。笑えん冗談だな」
絶体絶命。
その時、ルルの全身を覆っていたエメラルド色のオーラ……「すらたん」が、かつてないほど激しく明滅した。
「マスター、周辺空間の完全崩壊まで残り百二十秒。通常手段での脱出は不可能です。……特殊プログラム・緊急脱出形態を起動します!」
「えっ、すらたん!? 何をする気なの!?」
すらたんはルルの叫びに答える暇もなく、崩落した瓦礫から漏れ出す「迷宮の残存魔力」を掃除機のように吸い込み始めた。
みるみるうちに巨大化していくエメラルドの塊。
それは、俺たち四人を丸ごと飲み込めるほどの巨大なスライムのクッションへと変貌していく。
◇
「みんな、すらたんの中に飛び込むなの!!」
ルルの号令と共に、俺はミーシャを抱き抱えるようにして、弾力のある碧い塊へと身を投げ出した。
シルヴァも苦笑いしながら飛び込んでくる。
「……龍族の王が、スライムの腹の中で逃走か。語り草だな」
全員を飲み込んだ瞬間、すらたんはその形状を「ソリ」のような流線型へと変えた。
直後、五十層の床が完全に抜け落ちる。
「いくなのー!!」
俺たちは、崩落する迷宮の瓦礫を「波」に見立て、垂直に近い角度で地上方向へと滑り出した。
すさまじい加速。
だが、すらたんの柔軟な体躯が、四方から迫る岩石の衝撃をすべて吸収してくれる。
「アドルさん、すごい……! 迷宮の壁を突き破って、どんどん外へ向かってるわ!」
ミーシャが俺の胸の中で目を見開く。
すらたんはバグった迷宮の「構造の隙間」を嗅ぎ分け、地上の光が漏れる場所へと、瓦礫の濁流をサーフィンするように突き進んでいく。
「マスター、前方に出口を検知。衝撃に備えてください!」
視界の先、暗闇を切り裂くような眩しい光。
次の瞬間、俺たちは迷宮の外壁を突き破り、空へと放り出された。
◇
「……えっ?」
庭の芝生を整えていたエナが、空を見上げて呆然と立ち尽くしていた。
屋敷の真上に現れた空間の裂け目から、エメラルド色の巨大な塊が、絶叫する四人を乗せて降ってきたのだから。
ドゴォォォォン!!
屋敷の噴水が派手に弾け、巨大な水しぶきが上がる。
すらたんがクッションとなって衝撃を殺し、俺たちはどうにか「我が家の庭」へと帰還を果たした。
「……生きてる、よな?」
俺は全身びしょ濡れのまま、仰向けに転がって空を見た。
そこには、迷宮の禍々しい空ではなく、穏やかな夕暮れ時が広がっていた。
「アドル……様? ミーシャ様!? 皆さん、一体どうされたんですか、そのお怪我は!!」
エナが血相を変えて駆け寄ってくる。
俺は彼女の顔を見て、ようやく心の底から安堵のため息を漏らした。
「……ただいま、エナ。……腹、減ったわ」
俺の言葉に、ミーシャとルル、そしてシルヴァが力なく、しかし幸せそうに笑った。




