第152話 : 崩壊する理
「アドルさんは下がっててなの! ここはあたしたちが食い止めるなの!」
ルルが叫び、俺の前に滑り込むように立ちはだかった。
その背中は、小さいはずなのに――やけに大きく見えた。
俺は、足を一歩も動かせなかった。
複製錬金は使える。だが――
素材を引き出す異空間保存は、ミーシャの領域だ。
リンクは、切れている。
つまり今の俺は――ただの、無力な人間だ。
「……っ、すまない。二人とも、頼む。……でも、ミーシャを傷つけるようなことだけはしないでくれ!」
喉が焼けるような声だった。
「そんなこと言われても、このままじゃ一方的にやられちゃうだけなの! あたしたちに死ねって言うの!?」
ルルが振り返る。
その瞳には、怒りと恐怖と――ほんの僅かな涙が滲んでいた。
その瞬間、空気が裂けた。
――轟ッ!!
ミーシャの放った火炎が、唸りを上げて空間を焼き払う。
ただの炎じゃない。
風を巻き込み、捻じれ、圧縮され――
爆縮。
爆発ではない。
内側へと潰れるような、異様な破壊。
「くっ……!」
ルルの展開したプロテクションが軋む。
黄金の膜が、まるで悲鳴を上げるように歪んでいた。
ミーシャは、止まらない。
片手で杖を振りながら、もう片方で魔法陣を編む。
二重螺旋詠唱、連続構築。
その精度、その速度、その威力――
俺の知っているミーシャを、完全に超えていた。
「くそっ……俺が……俺がもっとしっかりしていれば……!」
短剣を握る手が震える。
何の意味もない鉄の塊にしか感じられない。
守るための力が――
今は、仲間を殺す刃になっている。
その事実が、胸の奥を抉った。
◇
戦いは、戦いですらなかった。
ルルとシルヴァは、“勝つこと”を捨てている。
ただひたすら、受ける。耐える。逸らす。
殺さないための戦い。
それが、どれだけ残酷か。
「……っ!」
そのときだった。
ミーシャの動きが、ぴたりと止まる。
右腕が、ゆっくりと天へ掲げられる。
――嫌な気配がした。
空気が重くなる。
いや、“押し潰される”。
「……あれは。ずっと溜めていた魔力……!」
理解した瞬間、背筋が凍りついた。
右腕の回路に蓄積され続けていた魔力。
逃がし場のなかったそれが――
今、凝縮されている。
黒く。
重く。
世界を焼き潰すための塊として。
「滅びなさい……」
感情のない声。
直後――
世界が、沈んだ。
黒い炎が放たれた瞬間、音が消えた。
次の瞬間、遅れて――
――ドォォォンッ!!
衝撃が爆ぜる。
「プロテクション、起動なの!!」
ルルが叫ぶ。
魔力を、限界まで絞り出す。
黄金の盾が展開される。
だが。
触れた。
その瞬間。
――砕けた。
ガラスのように、ではない。
もっと重く、もっと絶望的に。
空間ごと、押し潰されるように。
「が……っ!」
ルルの体が弾き飛ばされる。
床に叩きつけられ、赤が広がる。
血だ。
「ルル!!」
駆け寄る。
だが、遅い。
呼吸は浅く、意識は朦朧としている。
立つことすらできない。
「おい、アドル! どうするのだ、このままではジリ貧だぞ!」
シルヴァの声。
だが、それも遠く聞こえる。
どうする。
どうする。
どうする――
思考が焦げる。
視界が揺れる。
それでも――
止まるな。
考えろ。
「……エリアギミック。……エリアギミック……」
ぽつりと零れた言葉。
視線が、壁へ向く。
魔法障壁はない。
だが――この空間自体が、ルールなら。
「……一か八かだ。シルヴァ!」
「なんだ!?」
「龍の姿に戻ってくれ!」
「何を馬鹿なことを! こんな狭い部屋で龍化などしてみろ、部屋ごとぶち壊れるぞ!」
「それでいいんだ!!」
叫んでいた。
自分でも驚くほどの声で。
「エリアギミックなら、このエリア自体を壊せば終わるはずだ! もうこれしかないんだ……頼む、シルヴァ!」
一瞬の沈黙。
「……仕方ない。どうなっても知らんぞ!」
息を吸う音。
そして――
「龍化!!」
光が爆ぜる。
骨が軋む音。
肉が膨張する音。
空間が悲鳴を上げる。
白銀の巨龍が、無理やりこの空間に“押し込まれた。
壁が裂ける。
天井が持ち上がる。
構造が、耐えきれない。
「――っ!」
俺はルルを抱き、覆いかぶさる。
次の瞬間。
崩壊。
轟音。衝撃。粉塵。瓦礫。
すべてが降り注ぐ。
だが――
それと同時に。
あの、どす黒い魔力の霧が――消えた。
「……あれ? ……きゃぁぁっ!? 上から瓦礫が落ちてくる!?」
その愛しい声を聞いた瞬間。
胸が、跳ねた。
「ミーシャ……!」
見上げる。
そこにいたのは――
困惑した顔の、いつもの彼女だった。
戻った。
戻ってきた。
シルヴァが翼を広げ、俺たちを守る。
瓦礫が弾かれる。
「ミーシャ! 正気に戻ったか!」
「アドルさん!? なんでシルヴァが龍に……というか、ここどこなの!?」
「説明は後だ! ここはもう崩れる!」
俺は叫ぶ。
「下の階層へ進めるぞ! シルヴァ、人型に戻ってミーシャを誘導してくれ! 俺はルルを抱えて降りる!」
「承知した!」
動け。
迷うな。
ルルの体は軽い。
軽すぎて――怖い。
俺はそのまま、崩れた床の先へと踏み出した。
第四十一層へ。
背後で、世界が崩れ落ちる音がする。
それでも俺は――
腕の中の命だけは、絶対に離さなかった。




