第148話 : 嵐の前の安らぎ
柔らかな陽光がカーテンの隙間から差し込み、アドルの頬を撫でた。
ハイエリクサーの劇的な効果により、昨日と比べると嘘のように身体が軽い。
アドルはゆっくりと上体を起こし、深く息を吐いた。
「おはよう、アドルさん。よく眠れた?」
枕元では、ミーシャが甲斐甲斐しく朝食の準備を整えていた。
彼女の目はまだ少し赤いが、その表情にはいつもの穏やかさが戻っている。
「ああ、最高にいい目覚めだ。……みんな、庭にいるのか?」
「ええ。カミラさんが朝食を運んでくれたわ。エナちゃんは早朝から領主館へ向かったけれど、ルルちゃんとシルヴァはアドルさんが起きるのを今か今かと待っているわよ」
アドルは着替えて庭へと出た。
そこには、先日の激戦が幻だったかのように平和な光景が広がっていた。
カミラが淹れた茶の香りが漂い、ルルがすらたんと戯れ、シルヴァは人型の姿で優雅に椅子に腰掛けている。
「おはようございます、ご主人様。お顔の色もよろしいようで安心いたしましたわ」
カミラが礼儀正しく一礼する。
アドルは「ああ、カミラ、心配かけたな」と短く返し、用意された席に着いた。
朝食を摂りながら、アドルの脳裏にはこれまでの戦いが走馬灯のように駆け巡っていた。
特に第二十層から三十層までの道程は、これまでの攻略とは比較にならないほど過酷だった。
「なあ、みんな。少し相談があるんだ」
アドルの真剣な声に、場が静まり返る。
「三十層は突破したが、正直言ってギリギリだった。特にあのエリアギミック……天秤の理屈に気付けなきゃ、俺たちは全滅していただろう。四十層、五十層となれば、さらに理不尽で強力な仕掛けが来るはずだ。今の俺たちの力では、次は運良く生き残れる保証がない。何か補強できる案がないか聞きたいんだ」
アドルは自分の右拳を見つめた。
すると、ミーシャが少し申し訳なさそうに口を開く。
「アドルさん、補強になるかはわからないけれど……昨日のドロップ品、あの『ヒール』の魔導書についてカミラさんから説明を受けたの。これ、すごく特殊みたいで」
カミラが言葉を引き継ぐ。
「ええ。そもそも魔法とは、レベルアップの際に天啓のように閃くものであり、個人の適性に左右されます。ですがその魔導書は、適性を完全に無視して術式を魂に刻み込む、理を無視した遺物ですわ。……もっとも、複製を試みるにしても、星霜の雫クラスの超希少素材が不可欠になるでしょう。現実的な量産は不可能に近いですわね」
「……そうか。一個作るのにルルが命懸けで取ってきた素材が必要なら、それは手札には入れられないな」
アドルはすぐに魔導書の量産案を捨てた。
代わりの策を模索して視線を巡らせると、シルヴァが銀の瞳を細めて口を開いた。
「ならば、我がかつて聞き及んだ古の知恵を貸そう。理そのものを一時的に歪め、因果を逸らす……そんな魔道具の伝承がある。迷宮が押し付けてくるルールそのものを、強引に中和する媒体だ」
「因果を逸らす魔道具……。そうか、そっちの方が俺の錬金術には向いているかもしれない。特定の属性魔法を増強するより、ギミックそのものを無効化、あるいは遅延させる専用の魔道具を作るんだ」
アドルの脳内で、新たなレシピの構想が猛烈な勢いで組み上がっていく。
物量で攻めるのではなく、敵の土俵そのものを壊すための「対ギミック用装備」だ。
「マスター、その方向性は極めて合理的です。物理的な破壊が通用しないエリアギミックに対し、魔力波長を逆転させて相殺するデバイスの開発を提案します」
すらたんの声に、ルルも「あたしも、それを装備してもっと速く動けるようになりたいなの!」と身を乗り出した。
「マスター、それはまた別の話です。」
すらたんの鋭いツッコミがはいる。
「カミラ、ギルドの資料や古い文献を当たって、二十層以降のギミックの共通項を調べてくれ。敵のルールを解析できれば、それに対抗する『鍵』を俺が作る」
「承知いたしました、ご主人様。あらゆる記録を掘り起こしてみせますわ」
アドルは仲間たちの顔を一人ずつ見渡した。
不安はある。
だが、この絆と知恵、そして複製錬金の可能性を信じれば、次なる深層も必ず攻略できる。
「よし。今日は一日、徹底的に骨休めだ。明日からは、四十層への対策と新装備の開発に入るぞ」
アドルの宣言に、一同が力強く頷く。
嵐のような激闘の合間に訪れた、束の間の、しかし最も重要な休息の時間が過ぎていった。




