第147話 : 希望の雫
まぶたの裏に、淡い光がにじんでいた。
アドルがゆっくりと目を開けると、視界の端で何かが激しく揺れた。
「アドルさん……! あぁ、よかった……っ!」
枕元にいたミーシャが、堰き止めていた感情を溢れさせるように泣き崩れた。
アドルはぼんやりとした意識の中で、自分の手が温かな涙で濡れていくのを感じていた。
意識ははっきりしている。
死の淵を彷徨っていたのが嘘のように、内側から力が湧き上がってくるのを感じた。
「……ミーシャ、心配をかけたな。もう大丈夫だ」
アドルが力強く告げると、しばらく泣きじゃくっていたミーシャが顔を上げた。
だが、その瞳には安堵だけでなく、鋭い怒りの色が混じっていた。
「……大丈夫じゃないわよ! あの時、もしルルちゃんのプロテクションが間に合わなかったら、もし薬が効かなかったら……。アドルさんはいつも無茶をしすぎるの! 自分の命を何だと思っているの!?」
「……すまない。でも、あの場ではあれが最善だったんだ」
苦笑いしながら身体を起こそうとするアドルだったが、内臓の奥に鋭い痛みが走る。
「……くっ。……外傷は治っているようだが、臓器や回路にはまだ深刻なダメージが残っているな。まともに動けるようになるには、まだ時間がかかりそうだ」
そこへ、部屋の扉を開けてカミラが入ってきた。
彼女もまた、アドルの目覚めを確認して深く安堵の息を吐く。
「目が覚めたのですね、ご主人様。無理は禁物ですわ。ガリクソン様には、三十層は踏破したが被害が甚大で、当面は四十層以降の攻略は不可能だと報告しておきました。ですから、今は何も考えずにゆっくり休んでください」
「カミラ……ありがとう。でも、早く治して四十層、五十層へと進まないといけないんだ。街の防衛も……」
「アドルさん!!」
「ご主人様!!」
ミーシャとカミラの声が重なった。
二人の剣幕に、アドルは思わず口を噤む。
「今は休むのが仕事です! いいですね!」
ミーシャの勢いに押され、アドルは大人しくベッドに背を預けた。
ふと、部屋に二人の姿がないことに気づく。
「……そういえば、ルルとエナはどうしたんだ?」
カミラが少し視線を落として答えた。
「ルルちゃんは、ご主人様を治すためのハイエリクサーの素材を探しに旅立ちましたわ。そしてエナさんは、混乱している街を領主代行として治めるため、毎日奔走しておいでです。二人とも、ご主人様のために必死なのですわ」
アドルが胸を締め付けられるような思いに駆られた、その時だった。
屋敷全体を揺らすような激しい地響きと共に、庭から凄まじい着地音が響いた。
「な、何事だ!? 敵襲か!?」
ミーシャとカミラが慌てて窓際へ駆け寄るが、アドルは冷静だった。
屋敷のセキュリティ魔法が反応していない。ならば、これは外敵ではないはずだ。
直後、バタンと激しい音を立てて部屋の扉が跳ね上がった。
「素材とってきたなの!!」
息を切らし、雪の冷気を纏ったままのルルが飛び込んできた。
ベッドの上で身体を起こしているアドルの姿を見て、彼女は一瞬だけ動きを止める。
「ルル、心配をかけて済まなかったな」
「アドルさん……目を覚ましてたなの……っ!」
ルルは手に持っていた袋を握りしめたまま、アドルの胸に飛び込んだ。
しがみつき、子供のように涙を流すルルの頭を、アドルは優しく撫でる。
「……ハイエリクサーの素材、とってきたなの。これを使ってなの!」
ルルが差し出したのは、神秘的な輝きを放つ雫だった。
アドルはその輝きを見て、目を見開く。
「これは……星霜の雫か。めちゃくちゃ貴重だったはずだが……一体どこで手に入れたんだ?」
「そんなことはどうでもいいの! 今すぐ錬成して、自分に使ってほしいなの!」
「……いや、だが。こんなに貴重なものを、俺一人のために使うわけには……」
言いかけたアドルの言葉は、冷ややかな沈黙によって遮られた。
見ると、ミーシャ、カミラ、そしてルルの三人が、これまでに見たこともないような恐ろしい無表情でアドルを睨みつけていた。
「……俺をそんな顔で見ないでくれ、三人とも。……わかったよ。使うから、そんなに怒るなって」
アドルは観念して、ベッドの上で右手をかざした。
瞬きの錬金術が発動し、ルルが持ち帰った雫を核として、瞬時に黄金の液体が満ちた小瓶が形成される。
「瞬きの錬金……特級霊薬、」
完成した小瓶を手に、アドルはかつての仲間を思い出した。
「これをみるとドランさんを思い出すな。あの人は、大した怪我でもないのに俺たちにこれを使っていたっけ……」
思い出に浸る間もなかった。
カミラが横からひょいと瓶を奪い取り、アドルの口元に押し当てた。
「さあ、飲みなさい!」
「むぐっ……」
無理やり流し込まれた霊薬が、体内で爆発的な生命力へと変わる。
焼けていた内臓が、軋んでいた魔力回路が、瞬く間に本来の輝きを取り戻していく。
「あぁ……やはりこの薬の効果は凄まじいな。……みんな、心配をかけて済まなかった。もう万全だよ」
アドルはベッドから飛び起きると、その場で力広くスクワットをして見せた。
完全に回復した身体の軽さに、自然と笑みがこぼれる。
「……治っているとは思いますが、今日くらいはまだゆっくりしてください。アドルさんはいつも無理しすぎなんです。二度と、あんな心配させないでくださいね」
ミーシャが呆れたように、しかし愛おしそうに言った。
「そうなの。身が持たないなの」
ルルも同意するように、アドルの腕をぎゅっと抱きしめる。
アドルはそんな彼女たちを、そしてカミラも合わせて、愛おしそうに同時に抱きしめた。
「……いつも支えてくれてありがとう。でも、俺はもう逃げないし、折れない。何度だって立ち上がって、君たちと一緒に前に進むよ」
三人の温もりを感じながら、アドルは心からの誓いを口にした。
そして、心地よい疲労感がゆっくりと身体を包み込む。
「……よし。でも、せっかくもらった休息だ。今日一日だけは、君たちに癒やされて、もう少し寝ることにするかな」
幸せな余韻に包まれながら、アドルは再び深い、安らかな眠りへとついていった。




