第145話 : 凍てつく地の番人
視界の全てを白銀が埋め尽くしていた。
標高数千メートル、生物の存在を完全に拒絶する極寒の空を、白銀の巨龍へと変貌したシルヴァが猛然と突き進んだ。
その背に必死に食らいつくルルの全身は、淡いエメラルド色の光に包まれていた。
「マスター、外気温はマイナス六十度を突破。体力の消耗を抑えるため、魔力膜の出力をさらに五十パーセント引き上げます」
首元から響いたのは、ルルの全身をオーラのように纏い、防護膜と化したすらたんの声だ。
スライムとしての柔軟性を活かし、ルルの体温を維持しながら周囲の魔力を感知するナビゲーターとして機能していた。
「ありがとなの、すらたん! シルヴァ、祭壇はまだなの!?」
「フン、焦るな。あの氷壁の向こうだ。貴様の火力が足りねば、この我が祭壇ごと焼き払ってやるがな」
シルヴァの咆哮が荒れ狂う吹雪を切り裂いた。
巨大な氷の門をくぐり抜けた先、ついにその場所が現れた。
天空から降り注ぐ月光を吸い込み、青白く脈動するクリスタルの円柱群。
その中央に、世界で最も純度の高い水が凍りついたと言われる星降る祭壇が鎮座していた。
だが、目的地に降り立とうとした瞬間、祭壇の周囲に積もった万年雪が爆発するように舞い上がった。
「警告。マスター、前方に高エネルギー反応を確認。物理および魔力耐性が極めて高い大型個体です」
すらたんの警告と同時に、巨大な氷の塊が意思を持ったように組み上がり、二足歩行のゴーレムの姿を成した。
凍土の番人・グラキエス。
その体躯はシルヴァの龍形態にも匹敵し、どす黒い冷気の魔力が渦巻いていた。
「立ち去れ、熱を持つ者よ。ここは星の記憶が眠る地。不浄な炎を灯す者は、永遠の眠りを与えるのみ」
番人の放つ言葉は、大気を凍らせる振動となってルルの鼓膜を震わせた。
「不浄じゃないなの! あたしの炎は、大事な仲間を助けるための灯火なの! どいてくれないなら、その氷、全部溶かして水にしてやるなの!」
ルルはシルヴァの背から勢いよく飛び降りると、着地と同時に両拳を強く打ち合わせた。
炎の剣晶を最大出力で解放する。
極寒の地でありながら、ルルの周囲だけが陽炎のように揺らめき、積もった雪が蒸気となって吹き上がった。
「マスター、敵の装甲厚を解析。通常の物理衝撃では再生速度を上回れません。一箇所に熱量を集中させ、核を直接叩くのが最短ルートです」
「わかったなの! すらたん、照準お願いなの!」
「了解しました、マスター。敵の魔力核、左胸後方に捕捉。誤差、零コンマ零二。いつでもいけます」
番人が咆哮し、周囲の氷柱が鋭利なミサイルのようにルルを襲った。
シルヴァが地を這うような吹雪のブレスを放ち、迫りくる氷柱を相殺する。
その一瞬の隙間を、炎を纏ったルルが最短距離で駆け抜けた。
「シルヴァが道を作ってくれたなの! はああぁぁぁ!!」
ルルは空中で身体を捻り、爆発的な推進力で番人の懐へと潜り込んだ。
迎撃のために振り下ろされる巨腕。
ルルは迷わず、その一撃を真っ向から受け止めるためのスキルを叫んだ。
「プロテクション、起動なの!!」
黄金の輝きが極寒の地に炸裂した。
番人グラキエスの巨大な氷の拳が、ルルの頭上から容赦なく振り下ろされる。
凄まじい衝撃波が周囲の氷柱を粉砕したが、ルルは一歩も引かずにその一撃を受け止めていた。
「五……四……。マスター、プロテクションの持続時間は残り四秒。このままでは障壁消滅と同時に直撃を受けます」
すらたんの冷静なカウントダウンが響いた。
ルルは黄金の膜の向こう側で、怒りに震える番人の瞳を見つめ返した。
「待ってなの! あたしはあなたを倒しに来たんじゃないなの! お願い、話を聞いてほしいなの!」
「黙れ、熱を持つ者よ。奪うための力など聞き入れぬ」
番人の巨躯からさらなる冷気が溢れ出し、ルルの足元を凍りつかせていく。
だがルルは、握りしめた拳をあえて解き、両手を広げて見せた。
「三……二。マスター、敵の殺気がわずかに揺らぎました。今です」
「奪うんじゃないなの! あたしは、大事な人を助けたいだけなの! この祭壇、すごく悲鳴を上げてる気がするなの。冷たすぎて、自分を凍らせようとしてるのを感じるなの!」
その言葉に、番人の動きが止まった。
振り下ろされていた拳が、ルルの鼻先数センチのところで静止した。
「……祭壇の悲鳴だと? 貴様に何がわかる」
「一……零。プロテクション、終了しました。マスター、敵の攻撃意志は減退。対話フェーズに移行可能です」
黄金の光が消え、無防備なルルの姿が雪原に晒された。
シルヴァもブレスを吐くのを止め、鋭い視線を番人に向けたまま低く唸った。
「マスター、祭壇の観測データを共有します。この地の冷気が強まりすぎた結果、魔力の循環が滞り、星霜の雫を生成するための核が凍結しかけています。番人はそれを見守ることしかできず、焦燥しているようです」
すらたんのナビゲートを受け、ルルは祭壇の四方に立つ石柱を指差した。
「ここが冷えすぎて、雫が生まれなくなってるんじゃないなの? 守ろうとして、逆に祭壇を苦しめてるのなら……あたしの炎を使ってほしいなの!」
「我が守護を否定するか。不浄な火などで、この聖域が救えるはずもない」
「不浄じゃないなの! あたしの火は、誰かを温めるための火なの! この四つの柱に、あたしが火を灯すなの。そうすれば、祭壇もきっと元気になるなの!」
番人はルルの瞳をじっと見つめた。
そこには嘘も、私欲もなかった。
ただ、遠い屋敷で眠る「アドル」を救いたいという、一途な想いだけが燃えていた。
「……よいだろう。ならば試すがいい。だが、この祭壇の冷気は星の息吹そのもの。小賢しい火など、瞬く間に凍りつくぞ。もし貴様の火が祭壇を傷つければ、その時は貴様の命を対価として貰い受ける」
番人がゆっくりと道を開けた。
ルルは深く息を吐き、最初の一柱へと歩み寄った。
「マスター、石柱内部の魔力伝導率を解析しました。出力を最大値の八パーセントに固定してください。それ以上の熱は祭壇の構造を破壊します」
「わかったなの、すらたん。……いくなの。アドルさん、見ててなの!」
ルルが石柱にそっと手を触れる。
彼女の指先から、優しく、しかし確かな熱を持った小さな灯火が、青白い氷の柱の中へと吸い込まれていった。
だが次の瞬間、祭壇そのものが拒絶するかのように、ルルの炎を飲み込むほどの猛烈な絶対零度の吹雪が彼女の小さな身体に襲いかかった。




