第144話 : 託された希望
双子が消滅した跡地、静寂の中に重厚な音が響いた。
砕け散った黄金の天秤の破片を押し退けるように、一つの中飾りの施された宝箱がドロップする。
「……これ、魔法書なの?」
ルルが震える手でそれを拾い上げる。
表紙には、神聖な魔力を帯びた文字。
『ヒール』の魔法書。
それは市場に出回ることなどまずない、一国の歴史を動かすほどに貴重な至宝だった。
「ルルちゃん……それ、私に貸して! 今すぐ、アドルさんを……!」
「……わかったなの! ミーシャさん、お願いなの!」
ミーシャはルルから魔法書をひったくるように受け取ると、その場で儀式を完了させた。
光の粒子が彼女に吸い込まれていく。
習得した瞬間に彼女は、血塗れで倒れているアドルの胸に手を当てた。
「ヒール!! お願い、戻ってきて……アドルさん!」
温かな光がアドルを包み込む。
ミーシャは魔力が枯渇するのも構わず、震える声で何度も、何度も詠唱を繰り返した。
石碑に飛び込み、屋敷へと帰還する間も、彼女の右手はアドルの身体を離さなかった。
「ご主人様ぁぁ!!」
屋敷に辿り着いた瞬間、カミラの悲鳴が響いた。
ボロボロになり、自らの熱で身体を焼いているアドルを見て、エナも顔を覆う。
「はやく治療を! いいから、早く!!」
必死に声を荒らげるミーシャに、カミラが即座に医療キットを抱えて駆け寄った。
心音を確認し、瞳孔を見る。カミラの顔がみるみるうちに強張っていく。
「……表面の傷はミーシャ様のヒールで塞がっています。ですが、内臓と魔力回路の損傷が酷すぎるわ。これじゃ……」
「ヒール! ヒール! ヒール!!」
ミーシャはカミラの診断を遮るように魔法を撃ち続ける。
見た目の傷は消え、血も止まっている。
だが、アドルは一向に目を開けない。
眠っているというより、魂そのものが擦り切れてしまったような静けさだった。
カミラはその後、重い足取りで冒険者ギルドへと向かった。
報告を受けたガリクソンは、執務室で深く椅子に沈み込んだ。
「……三十層を踏破したか。だが、被害が甚大すぎる」
「はい。アドル様は目を覚まさず……。四十層以降の攻略は、しばらく不可能です」
ガリクソンは窓の外を見つめ、苦渋に満ちた声を出す。
「……我々は、アドル殿に頼りすぎていた。だが、アドル殿がいなければ今のこの街はないのも事実だ。魔物が一層まで攻めてくるにはまだ時間がかかる。それまでに彼が回復するのを……祈るしかないのだな」
その夜。
静まり返ったアドルの寝室で、ルルがミーシャを訪ねた。
「ミーシャさん……以前アドルさんが、カミラさんたちに渡していた『ハイエリクサー』……。あれの素材、教えて欲しいなの」
「素材? ええ、でも……一番重要な『星霜の雫』は、どこにあるかも分からない伝説の素材なのよ。探すのは不可能に近いわ……」
「……わかったなの。アドルさんをお願いなの。ちょっと屋敷をあけるなの」
ルルはそう言い残し、夜の帳の中へ飛び出した。
庭には、既にシルヴァとすらたんが待っていた。
「シルヴァ、すらたん! 『星霜の雫』がどこにあるか、知らないなの!?」
「……フン、その名か」
シルヴァが銀の瞳を細めた。
「永久凍土の最深部……我がかつて棲んでいた地の近くに、星の欠片が落ちる祭壇がある。そこにあるかもしれん」
「マスター、私も聞いたことあります。 砂漠の果ての蜃気楼の中に、月の光が固まった石があると。」
「どっちも遠いの……。でも、時間は無いの!」
ルルの瞳に、激しい炎が宿る。
「シルヴァ、お願いなの。あたしを、そこまで連れてってなの!」
「……アドルを救うためだ。よかろう。久々に、この真の姿を晒すとしよう」
シルヴァの身体がまばゆい光に包まれ、膨れ上がる。
人型を脱ぎ捨て、現れたのは巨大な白銀のドラゴン。
その背に、すらたんを纏ったルルが飛び乗った。
「待っててなの、アドルさん。絶対、治してみせるなの!」
銀龍の咆哮と共に、ルルは夜空の彼方へと消えていった。




