鉄路の上の正義と悪意 第1話「開業日の異常放送」
開業日の新潟は、朝から人で溢れていた。
新潟駅地下ホームから東大通り、新潟市立図書館前、沼垂東までの区間を国道7号線の地下を走り、旧JR貨物沼垂駅付近に新設された新沼垂駅から地上へ出る。
そこから通船川沿いを高架で進み、王瀬新町付近から旧JR貨物東新潟港線跡を利用した高架区間へ。
越後大山台、山の下、新潟旅客船ターミナル。
そして地上へ降り、船江町を経由して新潟空港ターミナルへ。
東新潟高速鉄道。
新潟市東区内をとおり、新潟空港までを結ぶ新潟市50年の悲願とも言える鉄道。
この日、待望の全線開業を迎えた。
山の下駅は本社の設置された有人駅であり、交換設備を備え、駅前にはバスターミナルも設けられている。
一方、約五百メートル南側の越後大山台駅は無人駅。
駅の案内放送などは、山の下駅側から制御される。
開業記念式典が終わった直後も、山の下駅は大勢の乗客で賑わっていた。
駅員たちは式典関係者の対応を終え、通常業務へ戻り始めていた。
午前十一時過ぎ。
『まもなく、○番線に――』
自動放送が流れる。
その直後だった。
突然、スピーカーから別の音声が流れた。
「――――」
駅員が振り返った。
最初は何が起きたのか分からなかった。
だが、内容を理解した瞬間、顔色が変わった。
駅という公共の場所では到底流してはいけない、わいせつな内容だった。
「ちょっと待て!」
駅員が制御卓へ駆け寄る。
「誰が放送を操作した!」
「誰も触ってません!」
「じゃあ何だこれは!」
数秒どころではなかった。
音声はしばらくの間、構内に流れ続けた。
乗客たちがざわめく。
子供を連れた親が慌ててその場を離れる。
スマートフォンを取り出す者もいる。
駅員は必死に放送を止めようとした。
そして、突然音声が途切れた。
沈黙。
続いて、何事もなかったかのように通常の自動放送が始まった。
『列車が到着します――』
「……戻った?」
「はい」
「設備は?」
「異常表示、ありません」
駅員たちは顔を見合わせた。
そして、ほぼ同じ頃。
約五百メートル離れた越後大山台駅でも、同じ異常な放送が流れていた。
無人駅であるため、現場に駅員はいない。
ただ、ホームにいた乗客たちが異常に気づいた。
その後、駅への問い合わせが相次ぐことになる。
◇
越後大山台駅の近くには、新しく造成された建売分譲地がある。
その一角。
一軒の住宅で、男が窓を閉めた。
「……なんだ、これ」
男の名前は桜木悠一。
ポメリー銀行の社長だった。
ポメリー銀行の前身となる越後中央銀行時代から、この地域とは縁がある。
銀行の仕事柄、東新潟高速鉄道の開業も当然知っていた。
最初は、開に反対する過激派か何かだと思った。
しかし。
音声は止まらない。
駅の方向から、明らかに通常の駅構内放送ではない声が聞こえてくる。
「……長いな」
桜木は時計を見る。
そして、ふと考えた。
これは後から、
「そんな放送は流れていません」
と言われる可能性もある。
ならば。
桜木はスマートフォンを取り出した。
録音を開始する。
駅から聞こえてくる音声を、そのまま記録した。
しばらくすると、ようやく音声が止まった。
「……これは、証拠として残しておいたほうがいいな」
桜木は録音データを確認した。
そして、もう一つ思い出した。
越後中央銀行時代から付き合いのある、新潟の無線機器販売会社。
白根電波工房。
「無線のことなら……あそこか」
桜木は電話を掛けた。
◇
「はい、白根電波工房です」
「桜木です。以前、越後中央銀行にいた頃からお世話になっています」
「ああ、桜木さん」
電話の向こうから声が返る。
「どうしました?」
「実は、今、越後大山台駅の近くにある自宅にいるんですが……」
桜木は状況を説明した。
「駅の放送から、かなり長時間、異常な音声が流れまして」
「異常な音声?」
「ええ。内容も問題があります」
「録音は?」
「あります」
「でしたら、それを保存しておいてください。編集しないほうがいいです」
「分かりました」
「それと、発生した時間も記録しておいてください」
「はい」
桜木は時計を見た。
「午前十一時十七分頃からです」
「ありがとうございます」
白根電波工房の担当者は、少し考えた。
「桜木さん。今回の件、鉄道会社には連絡しましたか?」
「まだです」
「念のため、鉄道会社にも知らせたほうがいいでしょう」
「そうですね」
「それから……」
電話の向こうで、声が少し低くなった。
「もし『外部から無線で放送を乗っ取った』という話になっているなら、こちらでも少し気になります」
「無線なんですか?」
「まだ何とも言えません。ただ、あの路線にはバックアップ用の無線通信があるはずです」
「バックアップ?」
「通常は光ファイバーです。何かあった時に無線へ切り替える構成だったと思います」
「周波数は?」
「そこまでは分かりません」
桜木は録音したスマートフォンを見る。
「分かりました。とりあえず、この録音はそのまま保存しておきます」
「お願いします」
電話を切る。
桜木は窓の外を見た。
約五百メートル先。
開業したばかりの東新潟高速鉄道の高架が見える。
「……開業初日に、随分なことをやるな」
桜木は呟いた。
◇
午後。
白根電波工房から、鉄道会社を通じて関係機関へ情報が伝わっていく。
その中には、長野総合通信局へ相談するという判断も含まれていた。
ただし、この時点ではまだ、電波監視課が事件の全容を把握していたわけではない。
分かっているのは、
山の下駅で異常な放送が長時間流れたこと。
約五百メートル離れた越後大山台駅でも同様の放送が流れたこと。
そして、
近隣住民がその音声を録音していること。
さらに、通常の通信は光ファイバーだが、バックアップとして415MHz帯の無線通信設備が存在すること。
ただし――。
この段階では、415MHz帯が事件に使われたという証拠はない。
そしてDEURASにも、過去の電波状況を遡って確認する機能はない。
つまり、事件が起きた時刻にどんな電波が飛んでいたのか。
今となっては、DEURASの画面を見ても分からない。
戸隠弘明たちが事件の存在を知るのは、もう少し後のことになる。
だが、この日、桜木悠一が何気なく残した一つの録音データが、後に事件の重要な手掛かりとなっていく。
開業初日。
新しい鉄道の華やかな門出を祝うはずだった日。
その裏側で、誰かが駅の放送へ異常な音声を送り込んでいた。
そして、その手段が何なのかは――まだ誰にも分からなかった。




