有閑閑話 『昼行灯電波監視官と大豆島甚句』
大豆島に一区、二区というのはないんですけどね。(中区、東区とからしい…)
七月下旬、土曜日。
夕方五時過ぎ。
大豆島の戸隠弘明宅では、縁側のニガウリの緑のカーテンが西日を和らげていた。
セミの声が響く。
戸隠は無糖ストレートティーを飲みながら、録りためた深夜アニメを見ていた。
そこへ、玄関が勢いよく開く。
「戸隠さん!」
風間市子だった。
今日は長野市役所職員ではなく、町内会役員の法被姿である。
「お願いがあります!」
「どうしました。」
「助けてください!」
戸隠はリモコンを置いた。
「何かありましたか。」
「今日、大豆島甚句まつりなんです。」
戸隠は首を傾げる。
「……大豆島甚句?」
「知りませんか?」
「初めて聞きました。」
市子は少し驚いた。
「去年は引っ越してきたばかりでしたし……。」
「ええ。」
「その頃は仕事も立て込んでいました。」
市子は頷いた。
「大豆島甚句まつりは、大豆島公園を中心に、公園の外周道路を歩行者天国にして、地区ごとに踊るお祭りなんです。今年も夕方から交通規制をして開催するんです。」
「なるほど。」
「それでお願いなんですが……。」
市子は申し訳なさそうに頭を下げた。
「私たち大豆島二区の人数が足りないんです。」
「踊る人?」
「いえ!」
ぶんぶん首を振る。
「踊らなくていいです!」
「列の一番後ろで、飲み物を入れた大型クーラーボックスを載せた台車を押していただければ十分なんです!」
「それだけで?」
「はい!」
「お願いします!」
深々と頭を下げる市子。
戸隠はしばらく考えた。
「……台車を押すだけなら。」
「ありがとうございます!」
◇
午後六時半。
大豆島公園。
公園の周囲の道路は車両通行止めとなり、提灯が並び、屋台が軒を連ねていた。
太鼓の音が響く。
各区の踊り手たちが整列している。
戸隠は大型クーラーボックスを載せた台車を見て、思わず呟いた。
「思ったより大きいですね。」
「今日は暑いですから。」
市子が蓋を開ける。
中には氷、お茶、スポーツドリンク、祭りが終わった後に配る缶ビールがぎっしり詰まっていた。
「重いですよ。」
「了解しました。」
その時だった。
「おーい!」
聞き慣れた声が飛ぶ。
綿内庄吉だった。
法被にねじり鉢巻きという、いかにも祭り慣れした格好である。
「戸隠さんも二区で出るだか!」
「頼まれまして。」
「踊るんか?」
「いいえ。」
戸隠は真顔で答えた。
「補給担当です。」
庄吉は腹を抱えて笑った。
「補給担当!」
「それは大事だ!」
「踊り手は喉が渇くからな!」
周囲の住民たちも笑う。
「戸隠さん、ようこそ二区へ!」
「よろしくお願いします。」
いつの間にか、初対面の人たちからも声を掛けられていた。
◇
午後七時。
太鼓が鳴り響く。
笛が加わる。
大豆島甚句が始まった。
踊りの列は、大豆島公園の外周道路をゆっくりと進んでいく。
その最後尾。
戸隠は黙々と台車を押していた。
踊りが一区切りするたび、
「お茶どうぞ!」
「スポーツドリンクあります!」
市子が配り、戸隠がクーラーボックスを開ける。
「ありがとう。」
「助かるよ。」
何人もの住民が笑顔で受け取っていく。
庄吉は踊りながら振り返った。
「戸隠!」
「氷、まだあるか!」
「十分あります。」
「よし!」
「さすが総務省!」
「そういう仕事じゃありませんが。」
真顔で返す戸隠に、周囲から笑いが起きた。
◇
祭りも終盤。
空はすっかり藍色になっていた。
最後の一周を終え、踊りの列が大豆島公園へ戻る。
拍手が起こる。
戸隠もようやく台車を止めた。
「終わりましたね。」
「助かりました。」
市子が頭を下げる。
庄吉も汗をぬぐいながら笑う。
「戸隠さん、来年も頼むぞ!」
「台車でしたら。」
「だから違う!」
その時だった。
ドーン。
低い音が夜空に響く。
「始まった。」
市子が千曲川の方角を見る。
戸隠も振り返った。
大豆島小学校の校舎の屋上越し、そのさらに向こう。
千曲川の対岸にあたる若穂地区から大輪の花火が開いた。
赤。
青。
金色。
夜空いっぱいに広がる花火が、小学校のガラスにも映り込む。
「きれいですね。」
戸隠がぽつりと言う。
「同じ日に対岸の若穂もお祭りやっていて、その花火なんですよ。」
市子が教える。
「毎年、大豆島からもよく見えるんですよ。」
庄吉がビールを一本取り出した。
「さあ、終わった終わった!」
「今日は飲むぞ!」
戸隠も一本受け取る。
「ありがとうございます。」
三人で乾杯する。
花火がもう一発、大きく夜空を染めた。
戸隠はその光景を眺めながら静かに言う。
「親も含めて転勤が多かったので、地域のお祭りというものには縁がありませんでした。」
「でも……。」
もう一発、金色の花火が咲く。
「こういう夏も、悪くありませんね。」
市子が微笑み、庄吉が大きく頷いた。
「戸隠さん。」
「もう、あんたも大豆島二区の一員だ。」
戸隠は少し照れたように笑い、ビールを一口飲んだ。
夜風が吹き抜け、若穂の花火は静かな田園の夜を、最後まで美しく照らし続けていた。
あとで見に行ったら大豆島公園近くに水田はないじゃん!
と、色々修正




