謎の電波障害 第1話『オーディオマニアからの申告』
七月中旬。
梅雨明けを目前に控えた長野市朝日町。
長野あさひ町合同庁舎A棟四階、長野総合通信局無線通信部電波監視課では、昼休み明けの穏やかな時間が流れていた。
戸隠弘明は湯飲みの日本茶をすすりながら、不法無線局探査の復命書に目を通している。
その時、島見杏果の電話が鳴った。
「はい、長野総合通信局電波監視課です。」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた年配男性の声だった。
「新潟市西区青山の黒鳥と申します。電波障害の相談をお願いしたいのですが……。」
「はい。どのような症状でしょうか。」
「オーディオから知らない人の声が聞こえるんです。」
島見は思わず聞き返した。
「ラジオではなく、オーディオですか?」
「ええ。真空管アンプで音楽を聴いていると、突然『CQ、CQ』とか、『こちらJAゼロ……』とか、男性の声が割り込んでくるんですよ。」
戸隠が顔を上げる。
島見はメモを取りながら続けた。
「テレビやラジオではなく、オーディオだけですか?」
「はい。最初はアンプが壊れたのかと思ったんですが、どうもアマチュア無線の交信のようなんです。」
「録音されていますか?」
「あります。スマートフォンで何度か録りました。」
島見は戸隠へ目配せする。
戸隠は小さく頷いた。
「もし差し支えなければ、その録音データをメールで送っていただけますか。こちらで解析してみます。」
「分かりました。」
黒鳥は快く了承し、島見はメールアドレスを伝えた。
◇
三十分ほどして、島見のパソコンに新着メールが届いた。
件名は、
『オーディオへの混信について』
本文には、次のように書かれていた。
長野総合通信局 電波監視課 御中
本日お電話しました黒鳥です。
ご依頼いただきました録音データ三件を添付いたします。
なお、ファイルの作成日時は、いずれも混信が発生した時刻そのものです。録音後に編集や加工は一切行っておりません。
調査の参考になれば幸いです。
よろしくお願いいたします。
黒鳥
「ちゃんとタイムスタンプの説明まで付けてくださってます。」
島見が感心したように言う。
戸隠は頷いた。
「ありがたいですね。発生時間も重要な情報です。」
「時間帯に偏りがあるかもしれませんし。」
名立と加茂も席を立ってやって来た。
「じゃあ、聞いてみましょう。」
◇
一つ目の音声ファイル。
再生すると、クラシック音楽が静かに流れ始めた。
二十秒ほど経ったところで、
ザッ……
『……CQ、CQ、こちらJA0――』
突然、男性の声が混じる。
ノイズはあるが、確かにアマチュア無線の交信だった。
「本当だ。」
名立が呟く。
二つ目。
『……こちらJA0……』
三つ目。
『……了解。また夕方に。』
いずれも数秒程度だが、同じ男性の声だった。
島見が再生を止める。
「コールサインが惜しいですね。」
「最後まで聞き取れない。」
名立も腕を組む。
戸隠は黙ってヘッドホンを装着した。
「少し貸してください。」
◇
それから一時間。
戸隠は速度を落としたり、繰り返し再生したりしながら、一音ずつ確認していく。
島見が苦笑した。
「そこまでやるんですか。」
「コールサインは無線局の戸籍みたいなものです。」
戸隠は画面から目を離さない。
「ここが分かれば、送信局は特定できます。」
さらに十分。
戸隠はヘッドホンを外した。
「取れました。」
紙へ書き出す。
「JA0QSY。」
島見はすぐ免許情報検索システムを開く。
「検索します。」
エンターキーを押す。
数秒後、検索結果が表示された。
「あっ……。」
「どうしました?」
島見は画面を見つめたまま言った。
「亀田宗一。」
名立が反応する。
「カメダコミュニケーションの社長ですか?」
「はい。」
画面には、
免許人 亀田宗一
住所 新潟市東区下山
と表示されている。
名立は思わず口笛を吹いた。
「よりによって、業界じゃ有名人ですね。」
カメダコミュニケーション。
新潟県内では業務用無線機やアマチュア無線機の販売・保守を手掛ける老舗ディーラーである。
長年にわたり、県内の無線家から厚い信頼を集めてきた。
一方で、老舗販売店『白根電波工房』とは、古くからライバルとして知られている。
戸隠は検索結果を見つめたまま言った。
「適法運用で知られている方ですね。」
「はい。」
島見も頷く。
「無線界では名前を知らない人はいないくらいです。」
◇
戸隠は地図ソフトを開いた。
「申告者は青山。」
印を付ける。
「亀田さんは下山。」
もう一つ印を付ける。
画面には二点を結ぶ直線が表示された。
島見が距離を測る。
「直線で約十・八キロ。」
「結構ありますね。」
名立が言う。
「1kWで、ここまで強くオーディオへ混信しますか?」
戸隠はしばらく黙っていた。
「あまり考えられない話ですね」
「ですが……。」
「黒鳥さんの録音を聞く限り、少々強すぎる印象です。」
島見も同意した。
「ボリュームを絞っても聞こえるくらいだと電話で仰っていましたし。」
名立が静かに言う。
「もしかして……。」
戸隠が言葉を引き継ぐ。
「資格外のオーバーパワー。」
部屋が静まり返った。
「もちろん、現時点では可能性の一つです。が…決めつけるつもりはありません。何故なら、10km以上離れた地点から障害を与えるなら、わずか2kmしか離れていない新潟空港に影響が出ているはずですから…」
◇
午後。
新津伸一課長と飯田美智雄主任電波監視官も加わり、簡単な打合せが行われた。
島見が録音を再生する。
新津は最後まで黙って聞き終えると、地図へ目を落とした。
「十キロ以上か。」
「はい。」
飯田も腕を組む。
「亀田さんほどのベテランが法令違反をするとは考えたくありません。」
「ですが、考えたくないというだけで除外もできませんね。」
戸隠が静かに答える。
「私たちの仕事は、疑うことではなく、事実を確認することです。」
新津は頷いた。
「まずは音声データをもう少し解析しよう。」
「タイムスタンプもある。交信時間帯や相手局の傾向が分かるかもしれん。」
「その結果を踏まえて、現地調査を判断する。」
「分かりました。」
会議は短時間で終わった。
戸隠は再び音声ファイルを再生する。
スピーカーから流れる、落ち着いた男性の声。
その声の主は、本当に法令を破っているのか。
それとも、まったく別の原因が潜んでいるのか。
まだ誰にも分からなかった。




