有閑閑話 『長野県内のとある場所について』
タイトルはホラー作品『関西地方のとある場所について』みたいですが、ホラー要素はまるでないタダの日常です。
長野総合通信局無線通信部電波監視課。
五月の連休明け。
昼下がりの課内には、独特の空気が漂っていた。
忙しいような、 暇なような、 だが油断すると突然出動が入る――そんな官庁特有の空気である。
その中で。
「……で?」
島見杏果が、呆れた声を出した。
「結局、“ある場所”ってどこなんですか」
対面では、戸隠弘明が湯飲み片手に資料を眺めている。
「長野県内の、ある場所です」
「それは聞きました」
「以上です」
「雑!」
横で加茂依斗が首を傾げる。
「なんの話なんです?」
島見は椅子を回した。
「戸隠さんが、“長野県内には行ってはいけない場所がある”とか言い出したんですよ」
「えっ」
加茂の顔が引きつる。
「なんですかそれ」
「いや別に危険ではありません」
戸隠は淡々と言った。
「ただ、“行くと高確率で財布が軽くなる場所”です」
「観光地では?」
「もっと限定的です」
すると。
隣で書類を読んでいた名立達彦が顔を上げた。
「……あぁ」
妙に納得した顔だった。
「戸隠さん、そこ行ったんですか」
「先週」
「何買いました?」
「春ナガイモ15kg」
「やっぱり」
加茂が混乱する。
「なんなんですかそれ」
島見が腕を組む。
「長野県内で財布が死ぬ場所……」
数秒後。
「あ」
嫌そうな顔になった。
「まさか」
戸隠は静かに頷いた。
「そうです」
「どこなんです?」
加茂が聞く。
戸隠はゆっくり答えた。
「……小布施の、道の駅周辺です」
加茂は拍子抜けした。
「え?」
「いや、あそこ危険でしょう」
島見が真顔で言う。
「栗菓子買って、味噌買って、ジャム買って、地ビール買って、気づいたら一万円消えてます」
「そんなに?」
「あと地味に野沢菜が強い」
名立も頷く。
「分かる」
戸隠は静かに湯飲みを置いた。
「私はジャムだけ買うつもりだったんです」
「はい」
「なぜか栗羊羹と七味と地酒と味噌と蕎麦を積んでいました」
「長野県観光客あるあるですね」
その時。
村上隆史主任電波監視官が通りがかった。
「お前ら何の話してるんだ」
「長野県内の危険地帯についてです」
島見が即答する。
村上は少し考えた。
「……あぁ」
こちらも納得顔だった。
「戸隠、小布施行ったのか」
「はい」
「栗おこわ買った?」
「買いました」
「負けてるなぁ」
加茂が混乱する。
「なんなんですか長野県」
すると。
それまで黙っていた柏崎直也が、端末から顔を上げた。
「本当に危険なのは安曇野だぞ」
全員が反応する。
「あー……」
「分かる」
「危ないですね」
加茂だけが置いていかれている。
「なんなんですか!?」
柏崎は静かに語り始めた。
「わさび漬けを買う」
「はい」
「蕎麦を買う」
「はい」
「りんごジュースを買う」
「はい」
「気づくとガラス工芸を持って帰っている」
「怖っ」
名立が頷く。
「あと地味に家具が強い」
「木工が危険ですね」
島見が真顔になる。
「軽い気持ちで寄ると終わります」
加茂は呆然としていた。
「長野県民、観光地で散財しすぎでは?」
「違います」
戸隠は真顔で言った。
「長野県は“ちょっと良いもの”を無限に出してくるんです」
「なんですそのラスボスみたいな県」
するとさらに。
飯田美智雄主任電波監視官が会話へ入ってきた。
「危険度なら諏訪も高いぞ」
「あー」
「酒ですね」
「酒と寒天」
「あと味噌」
「あと佃煮」
「そして、ガラス工芸やオルゴールをいつの間にか買っている」
加茂が頭を抱える。
「多すぎる!」
戸隠は静かに頷いた。
「しかも、“せっかくだから”が発動します」
「観光の基本ですよね?」
「長野県でそれをやると危険です」
島見が真顔で続ける。
「あと“限定”って書いてあると終わります」
「それは全国共通では?」
「長野は物量が違うんです」
その時だった。
新津伸一課長が奥から出てきた。
「騒がしいな」
島見が即答する。
「長野県内の危険地帯について議論してました」
新津は少し考えたあと、静かに言った。
「軽井沢のアウトレットは危険だぞ」
課内が一瞬で盛り上がる。
「あーーー!」
「分かる!」
「財布死ぬ!」
加茂は天を仰いだ。
「長野県、全部危険じゃないですか……」
戸隠は湯飲みを持ちながら、静かに頷いた。
「ええ」
「認めるんだ」
「ですが」
戸隠は少しだけ笑った。
「悪い県ではありませんよ」
その瞬間。
島見のスマホが鳴った。
「あっ」
「どうした」
「母からです」
『今、貴女の官舎に行く前に須坂のイヲンに寄ったけど、どさんこ物産館なんてあるのね…。ソフトカツゲンハイをひと箱買っちゃった!』
課内が爆笑した。
「ほら来た!」
「長野県だ!」




