オールチャンネルダウン 第3話 「寄生発振」
午前10時30分。
村上市北部。
日本海から吹き込む湿った風が、低い雲を町へ押し込めていた。
監視車は、国道7号沿いのコンビニ駐車場へ停車している。
エンジンはかけたまま。
ヒーターの温風が静かに足元へ流れていた。
「……何も出ませんね」
後席で島見杏果が受信ログを見つめながら言った。
登録制簡易無線。
全チャンネル正常。
申告内容にあった、
《全波抑圧》
《通信不能》
そういった現象は、一度も発生していない。
加茂依斗が、缶コーヒーを持ったまま首を傾げる。
「運送会社の人、勘違いしてるんじゃないですか?」
「断定は早い」
戸隠弘明は短く答えた。
フロントガラスの向こう。
国道を大型トラックが何台も走り抜けていく。
海沿いの物流を支える幹線。
村上市は、山形方面と新潟市方面を結ぶ中継点でもある。
だからこそ、登録制簡易無線を使う業者は多い。
「ただ、妙なんだよな」
戸隠がぼそりと言った。
「妙?」
加茂が聞き返す。
「申告内容が具体的すぎる」
島見も頷いた。
「“夕方になると全チャンネル潰れる”って断言してましたもんね」
単なる雑音なら、
『聞き取りにくい』
『時々混信する』
そういう言い方になる。
だが申告者――。
村上市内の運送会社『羽黒山通運』の配車係は、電話でこう言っていた。
『毎日、夕方四時半頃になると全部ダメになる』
『トラックと連絡が取れなくなる』
『誰か違法無線やってる』
戸隠は腕を組む。
「継続性があるなら、何か原因はある」
◇
午後三時。
三人は羽黒運輸の営業所へ来ていた。
海沿いから少し内陸へ入った場所。
広い駐車場には大型トラックが並び、
荷台には水産物や建材が積まれている。
事務所へ入ると、ストーブの匂いがした。
応対したのは、五十代後半の男。
配車係長の小坂田だった。
「いやぁ、来てもらって助かりますよ」
疲れた顔をしている。
「夕方になると本当にダメなんです」
島見が尋ねる。
「具体的には?」
「Busy表示のままになり潰れる。全チャンネル」
「毎日ですか?」
「毎日ってわけじゃないが、最近多い」
加茂がメモを取りながら聞く。
「他の会社は?」
「隣の運送屋も“おかしい”って言ってたな」
戸隠は事務所内を見回した。
古い机。
無線機。
壁に貼られた配車表。
そして――。
棚の上。
場違いなほど古い金属箱。
戸隠の視線が止まる。
「……あれは?」
小柳が振り返る。
「ああ? テレビのブースターですよ」
「まだ使ってるのか」
「昔、社長が自分で付けたんですわ。海沿いは電波弱い時代あったんで」
加茂が小声で言う。
「まだ電源入ってますね」
確かに。
小さな赤ランプが点灯している。
戸隠は静かに近づいた。
金属筐体。
昭和末期のVHF/UHFブースター。
放熱孔には埃。
だが――。
微かに熱を持っている。
戸隠の表情が変わる。
「島見」
「はい」
「スペアナとディレクショナルアンテナ。」
◇
受信アンテナをへ向ける。
その瞬間。
スペクトラムが跳ね上がった。
「うわっ!」
加茂が声を上げる。
登録制簡易無線帯に広がるノイズ。
帯域全体を覆う異常信号。
島見が即座に解析へ入る。
「広帯域スプリアス……!」
「発振してるな」
戸隠が静かに言った。
小坂田は意味が分からない顔をしている。
「え? 何が?」
戸隠はブースターを指差した。
「これです」
「……これ?」
「壊れてます」
島見が補足する。
「内部発振を起こして、無線帯域へノイズを撒いてます」
小柳は絶句した。
「テレビの機械が!?」
「古い高周波増幅器では時々あります」
戸隠はブースターへ触れる。
「かなり熱い」
島見が頷く。
「夕方に悪化するの、熱暴走ですね」
加茂が驚いた顔をした。
「じゃあ違法無線じゃなくて……」
「自爆だ」
戸隠は淡々と言った。
◇
ブースターのコンセントを抜く。
その瞬間。
ノイズが消えた。
受信機が静寂を取り戻す。
島見が確認する。
「全チャンネル正常」
小柳は頭を抱えた。
「いや……そんなことあるんか……」
「あります」
戸隠は言う。
「古い設備ほど」
加茂が苦笑した。
「まさかテレビブースターが物流止めかけてたとは……」
小坂田は深々と頭を下げた。
「すみません、わざわざ来てもらって……」
「原因が分かったなら十分です」
戸隠は責めない。
ただ事実だけを整理する。
「交換するまで電源は入れないでください」
「はい……」
◇
夕方。
監視車は国道345号へ出た。
左手には笹川流れとも言われるエメラルドグリーンの日本海。
空は薄く赤み始めている。
後席で加茂が伸びをした。
「いやー……今回は完全に騙されました」
「“違法無線っぽい何か”ほど厄介なんだ」
島見が笑う。
「本物の違法局なら、逆に分かりやすい」
加茂が窓の外を見る。
「でも、こういう古い機械って全国にまだありますよね」
「ああ」
戸隠が答える。
「だから消えない」
「何がです?」
「原因不明の電波障害」
車は夕暮れの海沿いを走る。
静かな受信音。
綺麗なスペクトラム。
だが見えない電波は、
いつも人の生活のすぐ隣にある。
古いブースター。
除雪車の無線。
山奥の遭難信号。
それらはすべて、
誰かが“必要だから使っていたもの”だ。
だからこそ難しい。
加茂がぽつりと言った。
「なんか、電波監視って……」
「地味だろ」
戸隠が先に言った。
「はい。でも」
加茂は少し考えてから言った。
「思ったより、人間の仕事ですね」
島見が笑った。
「今さら気づいた?」
監視車は、日本海に沿って南へ走っていく。
夕陽が海面へ長く伸びていた。
静かな電波の海の上を。
戸隠は言った
「さぁ…きょうは〆張鶴でも飲むか…」




