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新人はだいたい面倒くさい

「はだいたい面倒くさい」

 四月一日。

 長野総合通信局。

 庁舎前の桜は、まだ硬い蕾のままだった。

 だが中身は――春である。

「えー、本日付けの人事異動を発表する」

 電波監視課の朝礼。

 課長・新津の声は、いつも通り淡々としているが、職員たちの空気はわずかにざわついていた。

「名立達彦」

「はい」

「電波監視課運用監査係・係長に昇格」

 小さな拍手。

 名立は軽く頭を下げるが、表情はいつも通りだ。

「いやあ……監査側かあ」

 小声でぼやく。

「お前が一番向いてるだろ」

 後ろから戸隠がぼそりと刺す。

「現場で好き勝手やってた奴が、今度は他人のやり方に文句言うんだからな」

「言い方」

 島見が思わず突っ込む。

 だがその口元は少し笑っていた。

 ――名立が現場を離れる。

 それは少しだけ、寂しい。

 

「続いて」

 新津が紙をめくる。

「電波監視課 不法無線係に新人配属」

 空気が変わる。

「加茂依斗」

 ドアの前に立っていた男が、一歩前に出た。

 すらりとした体格。

 整ったスーツ。

 そして――ほんの少し、態度が“上”だ。

「本日付で配属となりました、加茂依斗です」

 一礼。

「出身は早稲谷大学理工学部。専攻は情報通信工学です」

 ――言ったな、という空気。

 ほんの一瞬、課内の温度が下がる。

「以上です」

 短い。

 だが、妙に余韻がある。

 

 新津は表情を変えない。

「島見」

「はい」

「指導係だ」

「……はい」

 ほんのコンマ数秒、間があった。

 それを戸隠は見逃さない。

 

 朝礼が終わり、各自が散る。

 島見の机の前に、加茂が立った。

「本日からお世話になります」

「こちらこそ。島見です」

 にこやかに返す。

 ――大人の対応。

 

「早稲谷、ご出身なんですね」

「ええ」

 間髪入れず。

「この分野だと、国内ではトップクラスですから」

 来た。

 

「……そうなんですね」

「はい。基礎理論から実装まで一通りやってきましたので、現場でも即戦力にはなると思います」

 言い切る。

 すごい。

 すごいが――

(ちょっと面倒くさいタイプだ……)

 島見は心の中でそっとため息をついた。

 

 その様子を、少し離れた席で戸隠が眺めている。

「どう思います?」

 名立が横に来る。

「春だな」

「雑すぎません?」

「新人はだいたい面倒くさい」

 コーヒーをすすりながら言う。

「昔のお前もな」

「え、俺もですか?」

「自覚ないのが一番厄介だ」

 

 一方――

「ではまず、業務内容の説明を」

 島見は端末を立ち上げる。

「うちは主に不法無線の探査と――」

「理論は理解しています」

 即答。

「電波の到来方向推定、スペクトラム解析、スプリアス検出。大学で一通りやりましたので」

 かぶせてきた。

 

「……そうですか」

 島見は笑顔を崩さない。

「じゃあ、これは分かります?」

 さらっと画面を切り替える。

 そこに表示されるのは――

 実際の現場ログ。

 ノイズだらけのスペクトラム。

 山間反射、マルチパス、断続的なバースト信号。

 

 加茂の眉が、わずかに動く。

 

「理論通りにいかないのが現場です」

 島見は静かに言った。

「これは十日町でのログ。原因、何だと思います?」

 数秒。

 加茂は画面を見つめる。

 

「……移動体による隣接帯域干渉、ですか」

「惜しいです」

「え?」

「正解は“除雪車の違法無線”でした」

 

 一瞬、沈黙。

 

「……そんなことが」

「起きるんです」

 島見は少しだけ柔らかく笑った。

「現場って、そういうところです」

 

 加茂は、ほんの少しだけ視線を落とした。

 

「……勉強になります」

 トーンが、わずかに変わる。

 

 そこへ――

「島見」

 戸隠が声をかける。

「午後、一本入る」

「案件ですか?」

「軽いのだ。市内でアマチュアの混信」

 そして、ちらりと加茂を見る。

 

「新人、連れて行け」

 

 島見が一瞬固まる。

「え、いきなりですか?」

「早い方がいい」

 

 名立が横から笑う。

「優しいなあ、係長」

「面倒は先に片付ける主義だ」

 

 戸隠は立ち上がる。

「理論は現場で使って初めて意味がある」

 加茂に視線を向ける。

 

「――来るか?」

 

 加茂は一瞬だけ間を置き、

「はい」

 と答えた。

 

 その声には、

 ほんのわずかに――

 さっきまでとは違う色が混じっていた。

 

 春。

 近所の公園のサクラ並木にチラホラ淡く花が付き、

 確実に何かが動き出している。


 午後一時過ぎ。

 長野市郊外。

 電波監視車は、住宅地の細い道路をゆっくりと進んでいた。

 空は薄曇り。

 春先特有の、どこか中途半端な光。

「今回の案件は軽い」

 助手席の戸隠が言う。

「アマチュア無線帯の混信。通報は一件」

 後部座席。

 島見杏果が端末を操作しながら答える。

「発生時間は断続的。固定局っぽいです」

 その隣で、加茂依斗が画面を覗き込む。

「周波数は?」

「この辺り」

 島見が指す。

 加茂はすぐに言った。

「スプリアスですね」

「……早いな」

「この帯域での混信なら、送信機の非線形歪みによる高調波か、ミキシング生成物が原因です。理論的には」

 自信満々。

 

 島見は少しだけ眉を上げた。

「理論的には、ね」

 

 戸隠は前を見たまま口を挟まない。

 

「じゃあ聞くけど」

 島見が続ける。

「なんで“断続的”に出るの?」

「それは――」

 加茂が一瞬詰まる。

「送信機の使用タイミングに依存しているからです」

「つまり?」

「……人が使っている時だけ出る」

「そう」

 島見は頷く。

「じゃあ“どの機器”?」

「それは……現地で特定を」

「そういうこと」

 

 ほんの少しだけ、主導権が動く。

 

 車が止まる。

 小さな住宅街。

 庭にアンテナが一本、二本――いや、三本。

 

「いかにもだな」

 名立がいない分、戸隠が珍しく軽口を言う。

 

 ――現場。

 

 携帯型受信機を手に、三人は歩く。

 ピッ、ピッ、と弱い信号。

 

「出てる」

 島見。

 

 加茂がすぐに方向を確認する。

「方位、あの家です」

 指差す先。

 二階建ての一軒家。

 ベランダに無線アンテナ。

 

「素直だな」

 戸隠。

 

 インターホンを押す。

 

 出てきたのは、六十代の男性。

「はい?」

 

 戸隠が身分証を見せる。

「総務省長野総合通信局です。無線の件で少し確認を」

 

 男は「ああ」と頷いた。

「最近ちょっと調子悪くてねえ」

 

 ――ビンゴ。

 

 室内。

 無線機の前。

 

「送信すると、別の周波数に変な信号が出てるみたいで」

 男が言う。

 

 加茂が即座に機器を見る。

「この機種……古いですね」

「もう十年以上かな」

 

 加茂は裏蓋を軽く確認しながら言う。

「終段の劣化かもしれません。歪みでスプリアスが――」

 

「ちょっと待って」

 島見が遮る。

 

「電源入れてもらえます?」

 

 送信。

 ピッ――

 

 受信機にノイズ。

 

 島見は周波数をずらす。

「……あれ?」

 

 さらにずらす。

 

「思ったより広がってる」

 

 加茂の表情が変わる。

「そんなはずは――」

 

 戸隠がぽつり。

「“そんなはず”は、よくある」

 

 

 数分後。

 

 原因は別にあった。

 

 同じ机の上。

 古いスイッチング電源。

 

「こっちだな」

 島見が言う。

 

 電源を切る。

 

 ――ノイズ消失。

 

 加茂が目を見開く。

「……電源?」

「そう」

 

「無線機じゃないんですか」

 

「“だけ”じゃない」

 島見は少し笑う。

「現場は複合要因」

 

 戸隠が補足する。

「理論は間違ってない」

 

 加茂が顔を上げる。

 

「だが、足りない」

 

 短い言葉。

 

 

 屋外。

 

 対応を終え、三人は戻る。

 

「……すみません」

 加茂がぽつりと呟く。

 

「何が?」

 島見。

 

「早合点しました」

 

 島見は少し考えてから言う。

「別にいいよ」

 

「え?」

 

「最初はみんなそうだから」

 

 少しだけ、先輩の顔。

 

 

 車に戻る。

 

 エンジンがかかる。

 

「どうだ」

 戸隠がバックミラー越しに言う。

 

「現場は」

 

 加茂は少し考えてから答えた。

 

「……思っていたより、汚いです」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして――

 

「いい表現だ」

 戸隠が笑った。

 

「綺麗な電波なんて、俺らが取り扱うものにはあまりない」

 

 車はゆっくりと走り出す。

 

 後部座席。

 

 島見がふと横を見る。

 

 加茂はさっきまでより、少しだけ静かだった。

 

 だが――

 目は、さっきよりよく動いている。

 

(……悪くないかも)

 

 そう思った自分に、

 少しだけ驚いた。

 

 

 春。

 

 理論と現場。

 

 そして、そのあいだ。

 

 電波監視課には今日も、

 目に見えない“ズレ”が飛び交っている。


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