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青年の過去  2

 オレと母親はすぐに病院へと向かった。


『あじさい病院』

 

 そこが、勇也が運び込まれた病院だった。



..................



 病院に到着すると、一人の看護婦が勇也の元へと案内してくれた。

 その看護婦は額に大量の脂汗を浮かべ、早口で勇也の容体を伝えてくる。

 そして案内されたその病室には、呼吸器を口に装着し、胴体からチューブを伸ばしている勇也が横になっていた。 


「勇也!!」

その姿を見ると同時に、母親はベッドに駆け寄り勇也へと叫ぶ。

「分かる!? お母さんよ!? 目を開けて勇也!!」

 しかし、勇也は応答せず、ただ呼吸器を息で白く染めることを繰り返すだけだ。

 ただ静かに、それを繰り返すだけ。

「勇也!! ゆう、や......勇也ぁぁ」

 母親は、やがて膝から崩れ落ちてしまった。

 その瞳からは滝のように涙が零れ落ちている。

「お母さん......少しお話よろしいですか?」

 部屋に入った時からベッド脇で勇也を診ていた医師が話し出す。

「先程、出来うる限りの処置は施したのですが、しかし、なにぶん出血量が多く......」

「助かるんですよね!? 勇也を......助けてくれるんですよね.......!? だって、だって......この子は......!!」

 医師のその先の言葉を遮り、母親は混乱しきった頭と口を動かし、医師へと確認する。

「......手は尽くしたのですが、目覚めるかどうかは本人次第かと......」

「いや! いやです! お願いします先生! どうかあの子を......!」

 母親は医師にしがみつき懇願する。

 その顔には、いつも穏やかな母親の顔は無かった。


 その風景を視界の端に、オレは部屋の入口で茫然自失と勇也を見つめていた。

 静かに、ただずっと......。


 刹那、心電図が反応を示した。

 ピピッ、ピピッと一定のリズムで勇也の鼓動を刻んでいく。


「!? 勇也!!」

 その音を耳にし、オレはようやく勇也へと駆け寄る。

「勇也! 勇也ああ!!」

 オレはベッドに両手を置き、勇也の顔の前へと詰め寄る。ただ、必死に呼び掛ける。何とか勇也を繋ぎ止めようと。


 その声に反応したのか、勇也はゆっくりと小さく目を開いた。

 細く開いた瞼から覗く眼光はひどく弱々しく、今にも瞼を閉じてしまいそうだ。

「勇也、見える!? なあ、大丈夫だよな!?」

 閉じさせるわけにはいかない。

 再び勇也が目を閉じたら、もう二度と開くことはないと直感で感じ取っていた。

 そんな必死に呼び掛けるオレの顔をボンヤリと見つめ、勇也は唇を小さく動かした。


「ごめん......ね?」


 ただ、それだけを呟いた。

 

「何を......言ってるんだよ。謝んなきゃいけないのは、僕の方だろ?」

 こんな時にまで、何も恨み言を言わないのか?


 しかし、オレのそれは勘違いだった。


「約束......守れないや」


 その言葉は、そもそもオレに向けられた言葉ではなかったのだ。


 勇也は苦しげに左腕を動かし右手首のミサンガに触れる。


「ごめん、シロちゃん。もう......会えないや」


 荒く吐き出す息と共に、掠れた声を絞り出していく。

 その瞳はとても虚ろで、やはりオレの姿を映してはいなかった。


「ごめん......ごめんね......」


 やがて、勇也は涙を流し始めた。

 天井を真っ直ぐに見上げ、ただ涙を流し枕を濡らしていく。 


 その姿を、オレも母親も黙って見つめていた。

 掛けるべき言葉が分からない。

 一体何を言えば、コイツの苦しみが和らぐのだろう......。

 

「ごめん......ごめん......」


 顔を歪めて、悲痛に満ちた顔で、勇也は涙を流し続ける。

 

 その顔を見て、オレは動いた。

 意図せず、オレは勇也の右手を乱暴に握る。


「! 駿樹!?」


 母親はオレに叫ぶが、それを無視してオレは勇也の顔をじっと見つめる。


「......? しゅん......き?」 


 やっと、オレの姿が目に留まったらしい。 

 その瞳はオレの姿を弱々しくも捉えている。


「......なあ、勇也? そのシロちゃんって、そんなに大事な人なのか?」


 オレは勇也に問い掛ける。

 既に答えは知っていながら。


「......うん。シロちゃんは、僕の大切な人だよ......すごく、大好きな人」


 勇也は細々と言葉を紡ぐ。

 しかし、その顔にはほんの少しだけ、微笑みが浮かんでいた。


「............そっか。じゃあ......」


 一つだけ見つけた。

 このお人好しを繋ぎ止める方法を。

 それは、もしかしたら勇也にとってはひどく残酷な方法かもしれないけど、でも、馬鹿なオレにはこれしか思い浮かばない。


「じゃあ、僕が......僕が代わりにその子を幸せにするよ。僕が、お前に代わって、あの子と結婚する」


「......!!」


 顔色が驚愕に染まる。

 子供心に、オレは非道いことを言っていると自覚していた。


「......そうなれば、シロちゃんは絶対に幸せにはなれないよ? 僕は、勇也じゃないからさ。きっと、あの子は悲しむと思う」


 オレはいつの間にか流れていた涙をそのままに、勇也の目をじっと見つめ続ける。


「それは......それは」


「それが嫌なら......頼むから死なないでよ!! お願いだから生きてくれよ......! もう死んじゃうようなこと言わないでよ......お願いだからぁ......」


 最後まで言い切ろうとしたのに、意に反して涙が溢れ出てきた。

 でも、オレの言いたいことは伝わったはずだ。


 こんなことを言えば、自分に再び会うために生きているシロちゃんのためとあれば、コイツは生き延びてくれるんじゃないかと、そう確信していた。


 誰よりもお人好しな勇也だからこそ、こう言われれば、シロちゃんのためにと奮起してくれるだろうと。


 だが─────


「......それは、すごく良いと思う」

「!?」


 勇也は、オレの思惑とは真逆の言葉を呟いた。


「......は? ねえ、勇也......何を言ってるの?」

 

 理解が及ばず、勇也に尋ね返す。


「僕が死んじゃっても......駿樹がシロちゃんを幸せにしてくれるなら......うん、安心だ」


「何を......言ってるんだよ。そんなこと良いわけないだろ......? あの子は、僕じゃなくて勇也を待ってるんだよ?」


 勇也は、しかし優しく微笑み続ける。


「うん、分かってる......でも、それはきっと僕じゃなくても良いと思うんだ。多分......ね」


「......?」


「それに、駿樹になら任せられるから。きっと、シロちゃんを幸せにしてくれるって、そう......信じれるから」


 オレの顔を見つめ、そう言う。

 何を言っているんだ。

 あの子を幸せにするのはお前の役割だろ?


「それじゃあダメだろ!? あの子は、お前に会うために、今も病気と闘ってるんでしよ!? それなのに、何でその勇也がいなくなるんだよ!!」


 もはや、怒りすら沸いてくる。

 もう、自分は死んでしまうと言わんばかりの勇也の態度に、オレは酷く焦っていた。


 しかし、勇也はオレの怒声には耳もくれず、右手首からミサンガをほどいた。シュルル、と軽く外れるミサンガ。

 そして、ほどいたソレをオレへと差し出す。


「......約束、だよ?」


 無理矢理口角を吊り上げ、不格好に笑う勇也。

 オレへと伸ばされたその腕は、徐々に重力に負けて下がっていく。


 勇也は、ただジッとオレを見つめている。


 その顔は、オレが大好きだった優しい勇也の顔だった。


「お願い......駿樹。じゃないと、後悔するから......」


 弱々しくも、オレに強く懇願してくる。

 今にも力尽きそうな腕を何とか伸ばしたまま、オレから目を外さない。


 その様を見て、その言葉を聞いて、オレは無意識にミサンガを受け取ってしまった。

 何も考えることができずに、ただ、勇也を安心させたくて......。


 オレが受け取ったと同時に、勇也は微笑み、ベッド外へと伸ばした腕をダランと下ろした。


 そのまま、ベッドから腕をぶら下げたまま、勇也は動かなくなった。


「勇也!? 勇也ああああ!!!!」

 母親が勇也へと詰め寄る。

 しかし、勇也はそれきり何も反応を示さなかった。



 オレは、事切れた勇也を見ることなく、ただ前の壁に目を向けていた。

 止めどなく涙を流しながら。

 目は壁に向いているはずなのに、自分が今何を見ているのか分からない。

 頭が、何を視界に入れているのか認識できないほど、空っぽに、混乱して、真っ白になっていた。



 唯一ある感覚は、異常に重くのしかかるミサンガに注がれていた。




 


 

 

 

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