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危機的状況、からの

 突然生まれた質量にバランスを崩し、尻餅を突いてしまう。


 あぁ、もう油断した……! まさか、あんな使い方が出来るなんて想定外だ。理術は理晶具からしか発動できないのではなかったのか。

 しかも座り込んだ拍子に、握っていたはずの理晶具が手からこぼれ落ちている。これでは反撃も覚束ない。


「ぬぬぬぬ……っ」


 両の腕ごと身体をぐるりと囲んだ拘束から、何とか抜け出せないかと藻掻いてみる。けれど、身体のラインにピッタリ沿った石環は、遊びがなく全く動かせない。


 藻掻く私の視界に、二本の脚が映る。そーっと見上げていくと、ついさっき私が吹き飛ばした不審人物が静かに佇んでいた。


 ……これは俗に言う“詰んだ”って奴ではないだろうか。


 何も言わずに私を見下ろす相手と睨み合う。といっても、薄暗い室内で、その顔は影に沈んだようによく見えない。

 やがて、その周囲を漂う理力の靄が、触手を伸ばすようにじわりじわりと近付いてくる。

 今度は何をする気だ、と思わず身構えると、何故か靄は私に触れる直前で停止した。


「まさかとは思ったが、その反応……お前も見えているのか」

「……、見えてたら悪いですか。その口振りからすると、貴方も見えるみたいですけれど」


 反応してしまった手前、見えることを誤魔化すには分が悪い。

 それなら、話に乗って少しでも情報を得る方が良い。


「……その髪と目の色は生まれ付きか?」

「は? ……そうだと思いますけれど、それが何か?」


 話の流れが見えない。どうしてここで、髪と瞳の話になるのだ。

 まさかの、黒髪黒瞳フェチ……!

 いや、ないか。ないない。……ないよね?


「お前、名前は?」

「……人に名前を尋ねるときは、まず自分からって、教わらなかったのですか?」


 私の連れない返答に、若干面食らったような雰囲気が伝わってくる。まあ、見た目幼女が、こんな状況で怯えるでもなく皮肉を吐いたら、驚きもするか。

 よくある無感情暗殺者の類いかと思いきや、そうでもなかったらしい。


 ただ、私のささやかな反抗にも、多少驚いただけで特に気分を害したというわけではない様子。


「……まあいい。連れて行けば分かることだ」


 はいはい、そうなりますよね。無駄に言葉を交わそうとする辺り、そうだろうと思いました。

 それにしても攫われた子を助けて、代わりに自分が攫われることになろうとは。まあ、この場でサックリやられて、はいお終い、とならないだけマシだろうか。


 けれど、調べれば、ならともかく、連れて行けば分かるとはどういう意味だろう。まさか、顔を見るだけで、何処の誰ちゃんと分かる人がいる訳でもあるまいし。

 内心で首を傾げていると、襟首を掴まれて無造作に持ち上げられた。

 あ、ちょっと、体重に石環の分も上乗せされているのだぞ。服が破れたらどうしてくれる。


 けれど、そうして持ち上げられたことで、ようやく相手の顔が見える。せめて、どんな顔をしているのか見てやろうと思ったのだけれど。

 艶消しをされ、のっぺりと表情のない漆黒の仮面があるだけだった。


 ……怪人黒仮面か。趣味悪いにもほどがある。不審人物感が倍増だ。


 やだ、こんなのに攫われるの? 営利誘拐とか人買いに攫われる方が、目的がはっきりしてるだけよっぽど良い、なんて考えたところで。


「――手ぇ離せや、この野郎ァァァアァっ!!」

 突然、雄叫びとともに入口から飛び込んできた何者かが、勢いそのままに黒仮面を殴りつける。不意を突いた一撃は、黒仮面の身体に突き刺さり、何かを砕くような音とともに吹き飛ばした。


 殴られた衝撃で、掴まれた手から放り出された私は、受け身も取れずに落下した。

 二度目の尻餅で痛む尻に、若干涙目になりながら、突然の乱入者に目を向ける。


「――レンさん? 何でここに……」

 拳の具合を確かめるようにひらひらと振るその人物は、紛うことなき我が同僚だった。


「話はアイツをシメてからだ」

 見れば、吹き飛んだ黒仮面は、今度は倒れることもなく平然としていた。

 金属製の手甲を着けた拳で躊躇いなく殴りつけたレンさんもレンさんだけれど、直撃を受けておいて堪えた様子もない黒仮面も、ちょっとおかしいのではないか。


「随分と器用な真似するじゃねぇか、てめぇ」


 レンさんが、足元に落ちていた、二つに割れた板状の石を蹴り飛ばす。

 さっきの砕けたような音の出所はこれらしい。どうやら、拳を受ける直前、防壁代わりに黒仮面が生み出していたようだ。

 そうか、理力の靄を直接変化させられるなら、こういう使い方も出来る訳か。

 つまり、攻撃が見えてさえいれば、どこだろうとそれに合わせて防壁を展開出来ることになる。何だその詐欺みたいな防御法。


 けれどレンさんは、それにも臆することなく一気に距離を詰めていく。いくら大部屋といっても、そこまで広い訳でもない。容易く拳で殴り合う距離まで接近する。

 恐らく、例え防がれても、手数で勝ることで圧倒出来ると考えたのだろう。

 実際、理力を練る必要があるせいで、理術が連続使用に向かないことを考えれば、その考えは理に適っている。


「ちっ、面倒臭ぇ……!」


 けれど予想に反して、黒仮面は理術に頼ることなく、レンさんの攻撃を凌いでいた。

 とはいえ、殴り合いならレンさんの方が一枚上手。防御に徹していても、数度も打ち合えばその体勢は崩れる。

 それでも、レンさんは決定打を打てずにいた。


「一体、どういう仕組みだ、こいつぁ……っ!」

 隙を見つけて踏み込もうとしたところに、突如石塊が撃ち込まれ、レンさんは危ういところで身を躱す。その間に、黒仮面は体勢を立て直してしまう。


 黒仮面は、理術を単純な防御に使わず、攻撃する瞬間に合わせたカウンターに回してきていた。

 それも、ほとんどが死角からの撃ち込みだ。むしろ、レンさんはどうしてあれを避けていられるのか。


 危うい膠着状態が続く。

 黒仮面の理力も無限ではないだろうけれど、それまでレンさんがこの状況に甘んじているとは思えない。イラついて、今にも一撃受ける覚悟で特攻しそうである。

 黒仮面がまだ何か隠している可能性もある。喰らった一撃が致命傷にならないとも限らない。


 となれば、黙って見ている場合ではない。


 周りを見渡し、少し離れたところに転がっていた理晶具へ、座り込んだまま近づいていく。

 前衛を援護するのは、後方からの魔法と相場は決まっている。一対一で埒が明かないのなら、二対一にして埒を明けてしまえば良い。


 とはいえ、ああも至近距離では直接的な援護は難しい。

 まともに動かせない腕では、ろくに狙いも定められないのだから。

 黒仮面がやったような理術を使えれば、採り得る選択肢も増えるのだけれど。

 さすがに、ぶっつけで成功出来ると断言できるほど、自分の才能を過信するつもりは……、いや待てよ?


 黒仮面は理力が見えている、ないし把握出来ている様子。そして、理力を直接媒介にして理術を行使する術を知っている。

 それなら、私が理力の糸を伸ばして理術を使う振りをするだけで、その意識をこちらに向けさせることが出来るのではないか。

 この際、私が実際に出来るかどうかはあまり問題ではない。“かもしれない”と思わせるだけで十分だ。


「――よし」

 やらないよりは全然良い、と結論付ける。

 この方法なら、理力の見えないレンさんを邪魔することもないからね。


 まずは黒仮面に気付かれないよう、床の下を通して理力をその足元まで伸ばしていく。

 次いで、服の陰に隠すようにした理晶具に意識を回し、理力を注ぎ込んでいく。イメージするのは、燃えるような赤。

 一つのところに意識を集中させながら、また別のところに意識を向けるって、結構無茶なことに思えたけれど、意外やそこまで苦労はしなかった。

 ただ、ここからが問題だ。


「――――」

 思い出すのは、ついさっき自分が拘束された時のこと。あの時自分は、導火線に火が点く様を思い浮かべた。単なる直感だったけれど、そういうものが、得てして本質を突いているものだ。

 なら、それに従えば良い。


 握った理晶具に視線を落とす。

 そこにある赤色(ほのお)理力の糸(どうかせん)を触れさせて、着色する(ひをうつす)イメージ。

 理力の糸が赤色に染まり始めると同時、黒仮面の足元に伸ばしていた理力を薄い帯状に変え、一気に巻き付ける。


「――――っ!?」


 そこで、黒仮面の意識がこちらへ向く気配がするけれど、もう遅い。

 理力の糸を辿った赤色は、黒仮面の元へ辿り着くと、その身体に巻き付いた理力を一気に染め上げ、それはすぐさま現実の炎へと変わる。

 炎は黒仮面の外套へと延焼し、その身体は瞬く間に炎に包まれた。


「――レンさんっ!」


 打ち合わせもなく、突如として、敵が火達磨と化した訳だけれど、それで動揺するレンさんではない。好機と見て、一気に勝負を決めに掛かる。


「死んどけや、オラァァァアァ――っ!!」


 大きく振りかぶったレンさんの拳が、黒仮面の胸部ど真ん中に打ち込まれた。

 さすがに、今度ばかりは理術で防御出来た様子はない。無事で済むかは別にして、これなら……って!


 黒仮面の背後には、鎧戸で塞がれた窓。

 殴り飛ばされた黒仮面の身体は、そのまま一直線に宙を飛び、そして。


 そのまま鎧戸を突き破って、窓の外へと消えていった。

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