幽霊邸
翌日。
何故か私は、街の中央部から少し外れたところに建つ、とある商家が従業員宿舎として使用していた建物の前にいた。
何でも、数ヶ月前にその商家が雲隠れし、誰にも使用されなくなったらしい。
以来空き家となって、買い手も付かないまま放置されていたのだけれど、いつからかとある噂が聞こえるようになったという。
曰く、悲鳴のような声がする。曰く、獣の唸り声がする。曰く、湿った何かが這いずる音が聞こえる。などなど。
まあ、良くある典型的な幽霊邸の噂である。
「幽霊邸ではありませんの。幽霊なんてこの世に存在しませんの」
まるで魔王の住まう城に挑み掛かる勇者のように、私の隣で決然と邸を睨み付けていたフラムさんが、律儀にツッコミを入れてくる。
「いや、でも」
「でももしかしもけれどももありませんの! こんな街中にある家で、悲鳴だの唸り声だのあるわけないですの! それをこれから二人で証明しますの!」
そう、昨日のフラムさんのお願いというのは、幽霊邸の真相解明だったのである。
フラムさんの家は建築業を手掛ける商家で、ここ最近は、共同住宅を建てては貸出しを行う、いわゆるアパート経営に手を出しているらしい。
これが意外に、従業員をまとめて管理しやすいということで、商家から引き合いが多いとか。従業員の福利厚生を重視しているわけではない辺り、何とも世知辛い。
まあ、地方から出稼ぎに来た従業員の大半は、初め安定した住居を確保できず、犯罪に巻き込まれたり、自ら犯罪に走ったりすることもあるというから、リスク管理としてやむを得ない面もあるのだろう。
そういう訳で、商家の跡継ぎとして自覚十分なフラムさんも、家業に貢献するべく、日々、良さげな土地や物件がないか王都内に目を光らせているらしい。
そんな中で見付けたのが今回の邸である。元が従業員宿舎だったということで、多少の手直しだけで再利用できる最良物件なのだけれど、幽霊が出るという噂が付いていた。
さすがに、そんなおまけを付けたままではどうしようもないということで、“幽霊がいない”ことを証明したい、なんて無理難題を分室に持ち込んできたのである。
悪魔の証明って知っているかな?
「つべこべ言わず、私についてくるですの!」
「ついてこいと言われても……何処から入るのです? 当然鍵が掛かってますよ?」
「ふふん、抜かりはありませんの。裏手の鎧戸が壊れていることは把握済みですの」
それは不法侵入と言うのでは。
私の顔色から、何を言いたいのか察したらしいフラムさんは「御心配なく。昨日、ちゃーんとギルドに言っておきましたの」と胸を張る。
忍び込もうとしている時点で許可は貰っていないだろう、という私の疑問を聞かなかった振りして、フラムさんは足早に邸の裏手に回ってしまう。
仕方なく後を追う。
鎧戸が壊れているというけれど、よもや老朽化が激しく倒壊の危険があるとかで放置されているとかじゃないだろうか。探索中に床が抜けて落ちたりしたらたまったものじゃない。
ちなみに、フラムさんが自ら調査をするということを聞いた時点で、危険だからと反対はした。
したものの「幽霊なんていないのだから危険はありませんの!」と、にべもなく却下されたのである。
ならばと、万一を考えた時、子どもの私では荷が重いので、上の者に伝えてお付き合いできる隊員を調整します、とお役所的回答をしてみたのだけれど。
「子どもだなどと、自分を下に見たらダメですの!」と説教された。
いやでも、昨日、フラムさんは私のことを子どもと言っていたのでは、と指摘してみたところ、気にしていたようでとても素直に謝ってくれた。妙なところで律儀な子である。
だからなのか、フラムさんの中で、今回の探索行のパートナーは私が良いということになってしまったらしい。
「さ、人に見られない内に、ちゃっちゃと入るですの」
フラムさんは、そう言って私を抱え上げ、窓を越えさせようとする。
「え? 私が先に入るのですか?」
「貴女の身長では、一人で入るには苦労しますの。だから私がこうして抱えてあげるんですの。……決して、私が先に入りたくないわけではないですの!」
あ、それが本音ですか。
まあ確かに、昼間とはいえ全ての窓の鎧戸が閉まっているせいで、光が入らず室内は薄暗い。
フラムさんの言ったとおり、軽く揺らしただけで開いてしまった鎧戸を乗り越えて室内に降り立つ。
どうやらここは調理場だったらしく、竈やそこに乗った鍋、ポッドのようなものが見える。
あまり見慣れない(クレイルシルトの家では調理場に入れてもらえないのだ)物珍しさに辺りを見回していると、戸が閉まる音と共に周囲が暗闇に包まれた。
おぉ何も見えない、と思っていると、後ろの方でぼんやりとした光が生まれる。
振り返ってみると、フラムさんが背負っていた雑嚢から取り出したらしいランタン型の理晶具を起動させていた。
「……用意が良いですね」
「これくらい当然ですの。……むしろ手ぶらで来た貴女に驚きますの」
「あはは、そんなに褒めないでください」
「全く褒めてませんのっ!」
確かに探検用具は持っていないけれど、実は手ぶらという訳でもない。
胸元を服越しに確かめる。そこには装身具型の理晶具を提げてある。
昨日、家に戻ってから、イングベルト様に“外れ”のことを話したところ「何をやってるんだ君は」と呆れられた。
けれど、理晶具を使ってそれを撃退したことまで話すと、難しい顔でこれを渡されたのだ。
リリの母の形見だというそれは、驚いたことに戦闘用である。ただ、リリの母は理術が使えなかったので、どうしてそんなものを持っていたかは、はっきりしていない。
娘のために用意していたらしいのだけれど、当時はまだ、リリが理術士になれるほどの才能があるかどうか分かっていない。
それでも用意していたのは、リリちゃんならきっとできるわ、という親馬鹿精神の発露なのか、それとももっと深い意図があったのか、今となっては知る術はない。
けれど、理由はどうあれ、そのお陰で身を守れる道具が手に入ったことになる。それは素直にありがたかった。
もちろん乱用する気は全くない。というかそんな状況になるのは勘弁だ。
御守りみたいなものと考えておこう。
「全く……貴女と喋ってると調子が狂いますの……。そんなことより、調査を始めますの。まずは三階からですの」
「三階? 心当たりでもあるのですか?」
「こういうときは最上階に何かあると決まってますの。それに、何とかは高いところが好きと言いますの」
馬鹿と煙ね。
……え? 私たちは何を探しているの?
首を傾げている間に、フラムさんはランタン片手に部屋を出て行ってしまう。
真っ暗な部屋に取り残されてはたまらないので追い掛けてみると。
「わぷっ」
何故か部屋を出た直後に立ち止まっていたフラムさんの背中にぶつかった。
「――ところで、この理晶具、とっても優れものなんですの」
うん? 急に何の話だ。
「純度の高い晶石を使っているから理力の変換効率が段違いで、子どもでもお年寄りでも十分な光量が確保できるんですの! その上、従来品よりも三割軽量化されてるから、ずっと持っていても疲れませんの!」
へぇ、それは凄い。
……従来品に馴染みがないので、あまりその凄さは実感できないけれど。
「……持ってみたいですの?」
「え? いや、そこまで――」
「もっ、てっ、みたいっ、ですのっ!?」
「あっ、はい。とっても」
思い掛けない強い語調に、押されるように頷いてしまう。
すると、フラムさんは、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
「そこまで言われては仕方ありませんの。とっても高級品ですけど、お姉さんの私は快く貸してあげますの」
「あ、ありがとうございます……」
何なんだ、一体。
差し出された理晶具を持つ。お、確かに見た目よりずっと軽い。
良く見ると持ち手に模様が彫り込まれており、握ると本体へと理力が流れていくのが見えた。
ぐーぱぐーぱーと、手を開いたり閉じたりしてみると、それに合わせて灯が点いたり消えたりする。
なるほど、確かに凝った作りをしているようだ。
そんな私の様子を見て満足したのか、フラムさんは意気揚々と手を振り上げる。
「さ、それでは改めて探索に出発ですの!」
「はぁ、じゃあこれ返――」
します、と言う間もなく「いえ! しばらくの間貸してあげますの」と断られてしまう。
暗い邸を歩くには必要なものなのに、どうしてなのかと首を捻ったのだけれど、その疑問はすぐに氷解した。
「ただそうなると、灯りを持った貴女が前を歩くことになりますけど、そこは我慢して欲しいですの」
あー……うん。つまり、先頭に立って歩きたくないと。
そんな小細工をしなくても、怖いなら怖いと素直に言えば前を歩くのに。
けれど、それを指摘しても認めないのは目に見えているから、そっとしておこう。
「……私、間取りが分からないので案内してくださいね?」
「もちろんですのっ」
元気良く答えるフラムさん。
けれど、その元気さとは裏腹に、彼女の身体は私の背中にピッタリと張り付いている。
……歩きにくいなぁ、もう。




