全力全開
……え、人?
いやいや、あんな赤くてぶよぶよした質感を持った人間なんて居てたまるか。
腕は、何かを探すように地面をべたべたと叩き回り。
やがて。
「う、わぁ……」
人の形をしたナニカが、ずるりと川縁に這い上がってきた。
頭部……頭部? を地面に擦り付けながら、腕の力だけでこちらへと這いずってくる。
顔面があるであろう場所はずっと地面を向いていて、一度もこちらを向いていないけれど、ひょっとして私を目指しているのだろうか。
頭の中に“モンスター”という単語が浮かんでくる。いや、これも魔獣の一種なのかもしれない。獣というには、非生命体っぽ過ぎる気がするけれど。
考えてみれば、明らかに危うい状況なのだけれど、不思議と恐ろしさや危機感を感じない。動きが遅く、簡単に逃げられそうに思えるからだろうか。
ぐりん、と頭部がこちらを向く。
本来目鼻があるはずの場所にそれらはなく、けれどそれらを模したような窪みだけがある。
正直言って、気持ちが悪い。
生理的な嫌悪感ももちろんある。でもそれ以上に、その存在自体が許せないような、認めたくないような不可思議な気分の悪さがある。
ひょっとして、リリが眠りに就く原因となった事件と関係があるのかもしれない。
気にはなるけれど、いい加減距離を取ろうとしたところで、相手は顔をこちらに向けてから、その動きを止めていることに気が付いた。
「――ナ、――」
口を模した窪みがもごもごと動き、ざらついた音が聞こえてくる。
まさか、言葉を発しているのだろうか。
耳を澄まし、少し顔を近付けようとしたところで、
「――下がってろっ!」
声が聞こえ、次いで首が絞められたことを認識した次の瞬間、視界が青一色に染まった。
……空?
一瞬遅れて浮遊感を覚えたところで、自分が宙を飛んでいることを認識する。
首を巡らせてみれば、今まで自分のいた場所には、入れ替わるようにレンさんの姿が見える。
どうやら、レンさんに首根っこを引っ掴まれて放り投げられたようだ。
子ども一人を、片手だけで自分の身長の倍を超える高さまで放るとは。
いくら私が小さいとはいえ、レンさんってば力持ち。
って、いやいや。落ちる落ちる……!
重力に従って頭から落ちようとする身体を、わたわたと立て直していると、ぼふり、と予想外のタイミングと軟らかさで着地する。
「よっ、と……。もう、緊急とはいえレンは乱暴なんだから……。大丈夫? 怪我ない?」
いつの間にか私の墜落地点に先回りしていたミーネさんが、ぎりぎりのところで受け止めてくれたらしい。
元男の身で、女の子にお姫様抱っこされるというのも、何とも言えない気分。まあ、今さらの話か。
「大丈夫です……ありがとうございます」
「でもいくらなんでも、“外れ”にあんな無防備に近づいたらダメだよ」
私のことを地面に下ろしながら、ミーネさんが窘めてくる。
“外れ”。そういえばさっきも言葉だけは出ていたっけ。
「“外れ”って、あの赤い生き物……です? 危険なものなのですか?」
「へ? “外れ”は“外れ”だよ。……まさか、知らないの?」
「えーと……はい。……おかしいですか?」
「おかしいとまでは言わないけど……。まさか、王都に住んでいる人で知らない人がいるとは思わなかったよ」
あれ、そんな誰もが知っているようなメジャー存在なのか。
「あとで時間のあるときにでも教えてあげる。でも、今はあれを何とかしないとね」
「何とかって……何とかできるものなのですか?」
“外れ”に目を向けてみると、対峙したレンさんにのし掛かろうとしては躱されて、蹴られ殴られしている。
けれど堪えた様子はない。見るからに打撃に強そうな見た目だから仕方ないのかもしれない。
「そこが面倒なんだよ。見てのとおり、殴るのも切るのもダメで……」
「放っておく訳には? すぐに離れれば追い付かれないと思いますけれど……」
改めて観察してみると、人型をしているのは上半身だけで、下半身は軟体動物のような不定形をしている。
動きも鈍いし、私の足でも逃げられそうである。
「残念ながらそういう訳にもいかないの。見てのとおり人に襲い掛かるから、近くを通る商人とかが襲われないとも限らないからね。放っておくと際限なく増えるし」
今レンさんがやっているのは、数を増やさないための囮であるらしい。
近場に襲える相手がいるのなら、何よりそちら、という単純な思考をしているようだ。
「それに、“外れ”は魔獣を呼ぶ……というか、魔獣が寄ってくるんだよ。いくら定期的に間引いているといっても、近隣の魔獣を全滅させられてるわけじゃないから、ここまで街に近いとさすがに捨て置けない」
「ならこうしている間も……」
「そ。もし近くに魔獣がいたら、こっちに向かってきてるかもしれないってこと」
むむ……確かに、それは守護隊としては放っておけない。
けれど殴るのも切るのもダメだとすると……あとは理術か。
思い至ったところで、腰に提げていた理晶具を思い出す。おあつらえ向きに、一番効果の高そうな火の属性である。
……ひょっとして、レンさんはこれを見越して貸してくれたのだろうか。
いずれにせよ、どうにか出来るならどうにかするのも吝かではない。
スタンダードなワンド型の理晶具を手に、“外れ”に向かおうとしたところで、
「――ぅぐ!」
またも首が締まる。
振り返ってみれば、慌てた様子のミーネさんが襟首を引っ張って引き留めている。服が伸びるではないですか。
「ちょっと待って、何するつもり?」
「いや、私の出番なのかと……」
「いやいやいや、そんな訳ないでしょ。ここはレンに任せて、街まで戻って理術士を呼びに行くんだよ」
「でもそれじゃ時間掛かりますし、もし戻ってる間に魔獣が寄ってきたら、レンさんが危ないです。理術なら倒せるのですよね?」
「それは、そうだけど……」
「なら、決まりです!」
一瞬逡巡したのか、手が弛んだのを幸いに振り解いて駆け出す。
理術を使うとして、レンさんを巻き込む訳にはいかない。
レンさんが射線から外れるよう、反時計回りに回り込んでいく。
「レンさん、手伝います!」
突然の私の登場に、“外れ”の胴体に蹴りを打ち込んでいたレンさんが振り返る。
「おまっ……、何で戻ってきやがった!?」
「話は聞きました! あとは私に任せてください!」
「はぁっ!? 馬鹿言ってんな、下がってろっ!」
「下がりませんっ! むしろレンさんが下がってください、巻き込みますよ!?」
“外れ”から近過ぎず遠過ぎずの距離で、改めて理晶具を構える。
ワンドの先に付いた赤い晶石を向け、意識を集中していく。
晶石の赤い輝きが増すに連れ、身体から理力が抜ける感覚を覚える。
けれど、リピネル草によって一時的に嵩が増していることもあってか気になるほどでもない。これなら、思い切り撃っても動けなくなるなんてことなさそうだ。
襲いやすいと思われたのか、はたまた理力に反応したのか、“外れ”は距離の近いレンさんではなく、私の方に方向転換して這い寄ってくる。
遠距離砲撃に無策で突っ込んでくるなんて、むしろ好都合というもの。“外れ”の手が届く距離に近付かれるよりも、こちらの術が発動する方が間違いなく速い。
これなら、と思ったのだけれど。
それまで、何とかの一つ覚えのように這いずっていた“外れ”の挙動が急に変わる。
ぐねり、と身体を半身に捩じったかと思うと、自身の腕を鞭のようにしならせて打ち出してきた。
「――っ!?」
目にも止まらぬ、という訳でもないその速さには、身を伏せて避ける程度の行動をするだけの猶予はあった。
けれど、回避行動を執ってしまえば、発動直前の理術は解除されてしまう。それはつまり、込めた理力が霧散してしまうということだ。
果たして、もう一回同じ量の理力を込められるだろうか。もし出来なければ、退くしかなくなり、この場での敗北を意味する。
そんな迷いが、結局、行動を起こすための時間を奪う。
どこかゆっくりになったような視界の中、こちらに迫ってくる腕。
こうなったらもう、相打つ覚悟で理術を発動しようと腹を括った瞬間。
「――っはぁっ!」
横合いから割り込んだ何かに弾かれ、腕がその勢いを失った。
鞘に納めたままの剣を振り抜いたミーネさんの姿が視界に映る。
その体勢のままミーネさんが声を挙げる。
「リリっ! 今っ!」
「――っ!」
声に押される形で、頭の中で引鉄を引くように溜めた理力を解放する。
「わぉ……」
漏れた呟きは自分のものだったのか、ミーネさんのものだったのか。
ごばぁっ、と火竜のブレスもかくやとばかりの火炎の奔流が、晶石から溢れ出す。
地を舐め、空気を灼き、やがて向かう先にいた“外れ”を一呑みする。
やがて、込められた理力が尽きて火炎が消え失せた後には、土と草の焼ける匂いだけが残されていた。




