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義兄の提案

 イングベルト様からの、突然のクレイルシルト家乗っ取りのお誘い。


「……本気ですか?」

「冗談に見える?」


 笑みを消したイングベルト様の纏う理力が張り詰める。それに引き摺られるように、部屋の温度が下がったような錯覚さえを覚える。

 本気、なのだろうか。


 既に言ったとおり、領主の仕事を全うできる自信はないので、本来であれば当然、お断りしたい。

 けれど、イングベルト様には三年間身体の面倒を見てもらっていた恩もある。名前も分からない上の義兄に気を遣う気もないし、全て任せてお飾り領主として悠々自適、というのも悪くはないかもしれない。


 とはいえ、何か問題が起これば責任云々となることを考えれば、やっぱり難しい気もする。 それに、先ほどイングベルト様に教えられたとおり、私の立場は微妙だ。実際、その気になれば当主の座を狙える位置にいるのだろう。

 私が目覚めてからしばらくの時が過ぎた。当主のオラフ様からは未だ何もないけれど、そんな私を、現当主のオラフ様が何も言わずに捨て置くものだろうか。


 ひょっとするとイングベルト様は、邸に戻る前にオラフ様の意を受け、今こうして私の意志を確認しているのかもしれない。

 案外、任務から戻るのが遅れたというのも、そういったことが関係しているのではないだろうか。

 もしそうだとすれば、この提案に私が乗ってしまった場合、とてもまずい状況になる。何しろ、いずれ乗っ取ります宣言をするようなものだ。


 そもそも、私に協力してイングベルト様に得はあるのだろうか。もちろん、影の支配者的にクレイルシルト家の実権を握れるのだろうけれど、私が当主ではあまり影感は出ないと思う。

 ほかに思いつくことと言えば……。


「……お答えする前に教えていただきたいことがあります」


 イングベルト様は何も言わず、けれど掌をこちらに向けて先を促してくれる。


「当主がオラフ様に替わってから、領地に住む人々の暮らし向きが悪くなったというようなことはありますか?」

「いや、今のところはないね。それなりに上手く回っているようだよ」


 放漫経営のせいで苦しむ人々のため、ということかと思ったけれど、そういうわけでもないらしい。

 あとは単純に、親子(兄弟)間で仲が悪くて反目し合っているとか。僕が一番領地経営をうまく出来るんだとか。

 どちらもイングベルト様の雰囲気とは合ってない。


 ……ダメだ、さっぱり分からない。

 結局のところ、正解なんて分からないのだし、自分のしたいように答えるのが一番なのだろう。

 ――よし。


「折角ですけれど、お断りしたいと思います」

「……理由を聞いても?」

「例えイングベルト様に協力いただいても、当主の交代による混乱を避けられるとは思いません。現時点で厳しい状況にあるならまだしも、平穏に過ごせている領地の人々にこちらの都合で迷惑を掛けるのは嫌ですから」


 さて、どうなることやら。私の計画に従わないのなら死んでもらおう、なんてなったらどうしよう。

 イングベルト様とは少し距離があるし執務机も挟んでいるから、頑張れば逃げられるかな。

 答えながら部屋の出口との距離を測っていると、イングベルト様が先に動く。


 と、同時。


 くきゅるぅ~、と妙な音が私のお腹から聞こえてきた。

 お腹空いていたのに、いつもの夕食の時間を過ぎても食べ物が入ってこないから、身体が催促し始めたらしい。


「……今のは?」


 それを聞くのか。こういうときは聞こえなかった振りをするのが、マナーというものだろうに。

 いや、あの無駄に真面目な顔して首を傾げているのを見るに、出鼻を挫かれたからと、わざとやっているのかもしれない。


「えー……私のお腹にいる小人さんが、お腹空いたよぅ、と……」

「そんなものをお腹に住まわせているなんて、初めて聞くけど」


 そうだろうとも、私も初耳だ。


「そうですか? なら妖精さんかもしれませんね」

 イングベルト様は、しれっと嘯く私を、大丈夫かこいつみたいな目で見ていたけれど、やがて。


 ぱちぱちぱち、と両の掌を打ち合わせた。

 ……拍手?


「いやはや、凄いねリリは。随分変わったことになっているとは聞いていたけど、これほどとは」

「今の流れで褒められても、全く嬉しくないのですけれど……」


 まあ、面倒なことにならないなら何でも良い。


「さっきの私の提案、どう答えたらどうなるか色々想像してたみたいだけど、リリの歳で普通そんなこと考えないよ?」


 なら、そんな話を振らないでほしい。


「そうですか? 子どものころは女の子の方が成長が速いと言いますし」

「それだけじゃ説明がつかない気もするけどね……本当、中身が入れ替わったんじゃないかと思うぐらいだよ」

「ふふふ、そんなことあるわけないではないですか」

「ははは、それもそうだ」


 二人で笑い合う。

 目が笑ってないような気がするけれど、きっと気のせいだろう。


「ところで、()()()様? 久しぶりにお会いしたというのに、話すこと全てが冗談というのはあんまりではありませんか?」

「おっと、確かにそうだね。なら、冗談のつもりだったけど、リリが本気で当主を狙うなら真面目に手伝っても良いよ?」


 それはもういい。


「そんなことより、私が外を出歩くことと、働くことをお許しいただいた方がよっぽど嬉しいです」


 むしろ、私の最大の関心事はそこだ。


「出歩きたいはさておき、珍しいお願いだね。お小遣いが欲しいとかではなくて?」

「自分の立場を理解するにつれ、何かあったときのために自立しておく必要性を強く感じたもので……」

「それはまた、立派な心掛けだと思うけど……身分を明かして働き口を探すのは難しいのではないかな?」

「……やっぱり、そうですか?」


 いきなり貴族の娘を名乗る子どもが現れて、働きたいと言ったって、普通騙りか悪戯としか思われない。

 かといって、身分を隠していたのではそもそも年齢的に働けない。


「まあ、大きな商会や商業ギルドみたいな半ば公的なところなら、雇ってもらえるかもしれないけどね」


 ギルドと言われて、昼間会った二人の顔が思い浮かぶ。頼めば何とかなるだろうか。

 でも、メルリアさんの部下になるのは気が引ける。無駄に苦労しそうなのが目に見えるようだもの。


「もしくは……アリシャに着いてきてもらったらどうだい? 彼女の友人ということなら雇ってくれるところもあるだろう」

「でも、それだと保護者の同意があるとは言えないのでは……」

「いや、保護者云々は、そこまで厳格なものでもないからね。要するに、それなりに信用のある人間が、身元を保証すれば良いのさ」


 そういうものなのか。何だか悪用されそうな仕組みだけれど。

 というか、アリシャは信用のある人間カテゴリに入れられているのか。まだ子どもなのに。


「……その、身分を隠して働くのは構わないのですか?」

 家名というものは、貴族的には大事なものなのではないだろうか。


「うん? 私もしょっちゅうやってるけど?」


 イングベルト様としてはこだわりはないらしい。しかも、“やってた”じゃなくて“やってる”んですね。有名人なのに。


 何にせよ、これで大手を振って街を歩ける。

 どうして自分はリリになっているのかとか、ここは本当に異世界なのかとか、異世界なら元の世界に戻れるのかとか、調べたいことはたくさんある。

 けれど、何をするにも先立つものが必要だ。

 しばらくは地盤固めに専念しよう。


「……ところで、私、いつでも外に出て良いのですか?」

「昼食が要らないなら、もったいないからエグバートに伝えておくようにね。ただ、夕食には必ず帰ってくるように」


 いや、そういう話ではなく。


「アリシャには、一人で外を出歩くことは許してもらえないのではないかと言われたのですが……」

「まあ……貴族家の、それも成人前の娘が一人で外を歩くことは、普通ないからね。だけど――」

「だけど?」

「リリは普通じゃないし。良いんじゃない、一人で出掛けても」

「……そうですか」


 普通じゃなくてすみませんね。言われなくても、自覚はしていますとも。


 まあいい。明日からは、アリシャにお願いして職探しだ!

 ……保護者同伴で就職活動、というのも何だかなぁ。

特に章分けしていませんが、序章終了です。

次回から“こんにちわ(ハロー)労働(ワーク)”編です。

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