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第七話 愛した魔王に胸を貫かれても、勇者はまだ立ち上がる


「なぜ、わたくしは――あなたに殺された今も、あなたを愛しているのですか?」


 答えられなかった。


 俺の胸を貫いた黒い大鎌が、紅紫色の光となって消えていく。


 傷口から溢れた血が、石床へ落ちた。


 一滴。


 また一滴。


 静まり返った玉座の間に、その音だけが響く。


「トーヤ」


 ミレアが俺の身体を抱き締める。


 黒いドレスが血で汚れていく。


 震える両手で傷口を押さえているが、流血は止まらない。


「どうして避けなかったのです」


「避けたら、後ろにいる君へ当たってただろ」


「わたくしの放った攻撃です!」


「そうだな」


「あなたを殺したかもしれないのですよ!」


「心臓からは外れてる」


「そういう問題ではありません!」


 聞き慣れた怒声だった。


 口調も、瞳の色も違う。


 それでも、泣きながら怒る顔は澪とよく似ていた。


「大丈夫だ」


「何が大丈夫なのです!」


「俺は丈夫だから」


「あなたは昔から、いつもそうでした」


 傷口へ触れる指先に、さらに力が込められる。


「自分の傷など、どうでもいいような顔をする」


「そんなことは――」


「あります」


 ミレアが顔を上げた。


 紅紫色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「わたくしを殺したときも、そうでした」


 胸の奥に、聖剣とは違う痛みが走った。


「世界のためだから仕方がないと。わたくしが望んだことだから、自分が苦しめばよいと」


「ミレア」


「そして今も、また一人で傷つこうとする」


 反論できなかった。


「わたくしには、最期の記憶がありません」


 ミレアの手が、俺の胸元から黒い指輪へ移る。


「あなたに剣を向けられたこと。胸を貫かれたこと。抱き締められながら死んだこと。それだけです」


 黒い指輪が赤く明滅する。


「ですから、教えてください」


 ミレアが俺の右手を両手で包み込んだ。


「あなたが、わたくしを殺した理由を」


 今度は逃げられない。


 いや。


 もう、逃げてはいけない。


「分かった」


 俺は指輪へ意識を集中させる。


 赤い光が膨れ上がり、白銀の柄が姿を現した。


 刀身までは出さない。


 柄だけを握り、ミレアへ差し出す。


「この剣には、斬った相手の魔力と記憶が残る」


「では、この中に……」


「あの日の君がいる」


 ミレアが手を伸ばす。


 だが、触れる寸前で指先が止まった。


「やめてもいい」


「また、あなたが決めるのですか?」


 その言葉に、口を閉じる。


 ミレアは涙を拭い、聖剣の柄を握った。


「これは、わたくしの記憶です。見るかどうかは、わたくしが決めます」


「そうだな」


「ただし」


 彼女が俺を見上げる。


「あなたも一緒です」


「俺も?」


「わたくし一人に背負わせないと、先ほど仰ったでしょう」


 痛いところを突かれた。


「……分かった」


 俺はミレアの手へ、自分の手を重ねた。


「一緒に見よう」


 聖剣の赤い光が、俺たちを包み込む。


 玉座の間が消えた。


     ◇


 空が、黒く染まっていた。


 三か月前。


 異世界アルヴェリア。


 魔族領と人間領の境界に位置する、灰燼平原。


 空を覆う暗雲から、無数の黒い根が大地へ伸びている。


 根に触れた人間も、魔族も、魔物も。


 肉体から黒い枝を生やし、互いを喰らい合っていた。


「これは……」


 隣に立つ澪が呟いた。


 黒いドレスも、角も、翼も消えている。


 今の姿では、夜凪澪として存在するらしい。


 平原の中央。


 人間の軍勢と魔王軍が、共に異形の怪物と戦っている。


 その最前線に、過去の俺とミレアがいた。


『右から来るぞ!』


『分かっています! 《万象簒奪》!』


 怪物たちを覆っていた魔力が、ミレアへ吸収される。


 その頬に、黒い亀裂が走った。


『ミレア! それ以上吸うな!』


『放置すれば、兵たちへ広がります』


『君まで汚染されるぞ!』


『わたくしなら耐えられます』


『根拠は!?』


『魔王だからです』


『答えになってない!』


『あなたも、勇者だからという理由で無茶をするでしょう?』


『今は俺の話をしてない!』


『わたくしも、あなたの話を聞いていません』


「似たような会話を、最近もした気がします」


 澪が呟く。


「気のせいじゃないか?」


「そうでしょうか」


 平原を埋め尽くす根が、一斉に脈打った。


 空に、巨大な瞳が開く。


『観測対象を確認』


 人間でも、魔族でもない声が降り注ぐ。


『勇者因子――成熟』


『魔王因子――成熟』


『相克による世界淘汰を開始』


 人間軍の後方で、白い法衣をまとった魔術師たちが杖を掲げた。


『禁呪を発動しろ!』


『ですが、味方も巻き込まれます!』


『構わん! 魔族ごと焼き払え!』


 魔族の魔力を毒へ変え、連鎖的に汚染する禁呪。


 だが、黒い根が術式へ絡みついた。


 白い光が漆黒へ染まる。


 禁呪は制御を離れ、魔族だけでなく人間も、大地も、この世界に存在するすべての魔力を喰らい始めた。


『淘汰術式――《天理侵蝕》』


『実行』


 黒い光が弾ける。


 世界を覆う、その直前。


 ミレアが空へ舞い上がった。


『《万象簒奪》』


 漆黒の奔流が、一人の魔王へ集中した。


『やめろ、ミレア!』


 過去の俺が叫ぶ。


 ミレアは止まらない。


 世界を喰らおうとしていた力を、すべて一人で奪い取っていく。


 空を覆っていた根が枯れた。


 異形と化した兵たちが倒れる。


 世界は救われた。


 ただ一人を犠牲にして。


 空から落ちてきたミレアを、過去の俺が抱き止める。


『今すぐ吐き出せ!』


『できません』


『君の能力なら――』


『これは、力ではありません』


 ミレアが胸へ手を当てる。


『種子です』


『種子?』


『あの瞳を持つ何者かが、わたくしの魂へ埋め込んだもの。わたくしが奪ったのではありません。初めから、わたくしに喰わせることが目的だったのです』


 隣の澪が、自分の胸元を押さえた。


「知っています」


「澪?」


「この感覚を、私は知っている」


 紅紫色へ変わった瞳が震える。


「ずっと、内側から声が聞こえていました」


 景色が変わる。


 魔王城の寝室。


 眠るミレアの身体から、黒い根が伸びている。


 過去の俺が、聖剣で一本ずつ切り落としていた。


 切っても。


 焼いても。


 封印しても。


 根は何度でも生えてくる。


『トーヤ』


 ミレアが目を開く。


『起こしたか』


『毎晩、わたくしが眠ったあとに治療をしているのでしょう?』


『寝たふりしてたのか』


『あなたの寝顔を見るためです』


『趣味が悪いな』


『ええ。ですから、あなたのような男を好きになったのでしょうね』


 ミレアが微笑む。


 けれど、その右目は既に黒く染まっていた。


『今日、三人殺しかけました』


 過去の俺の手が止まる。


『覚えていないのです。気がついたときには、部屋が血で汚れていました』


『誰も死んでない』


『今日は、です』


『必ず治す』


『治りません』


『治す』


『トーヤ』


『俺は諦めない』


『知っています』


 ミレアの手が、過去の俺の頬へ触れる。


『あなたは、何度倒されても立ち上がる人ですから』


 再び、景色が変わった。


 青い海を望む、小さな丘。


 風に揺れる草原の中に、一軒の古びた家が建っている。


『戦いが終わったら、ここに住みましょう』


 ミレアが言った。


『魔王を辞めるのか?』


『あなたが養ってくださるなら』


『俺、金ないぞ』


『では、畑を作りましょう』


『農業の経験は?』


『ありません』


『俺もない』


『二人で学べばよいでしょう』


『魚も食べたいな』


『あなたが釣ってください』


『ミレアは?』


『応援します』


『働け』


 過去の二人が笑う。


 澪の瞳から、涙が零れた。


「海の見える家で、畑を……」


「ああ」


「私が、あなたの部屋で言ったのは……」


「君が覚えてたからだ」


 本人が忘れていても。


 魂には、約束が残っていた。


 景色が崩れる。


 前方に、魔王城の玉座の間が現れた。


 扉の隙間から、黒い魔力が溢れ出している。


「見たくありません」


 澪の足が止まった。


「ここから先へ行けば、私は……」


「やめるか?」


「また、それですか」


「聞いただけだ」


「逃げたいです」


 澪の手が俺の袖を掴む。


「ですが、逃げたくありません」


「どっちだよ」


「私にも分かりません!」


 涙で濡れた顔が、俺を睨む。


 俺は、その手を握った。


「なら、一緒に行こう」


「……はい」


 二人で、玉座の間へ入る。


 中では、ミレアが一人で戦っていた。


 敵はいない。


 自分の身体から生えた無数の黒い根を、自らの魔力で押さえ込んでいる。


 両腕は黒く変色し。


 片方の角は砕け。


 背中の翼は、自分で切り落とされていた。


『来ないでください!』


 駆け寄ろうとした過去の俺を、ミレアが制止する。


『まだ意識はあるのか!』


『辛うじて』


『今、助ける』


『できません』


『やってみないと――』


『トーヤ』


 ミレアの背後から、巨大な黒い影が起き上がる。


 何千、何万という口を持つ異形。


 その中心で、空に浮かんでいたものと同じ瞳が開いた。


『魔王因子の支配率――九十八パーセント』


『完全侵食後、世界の捕食を開始』


 ミレアが苦しげに笑う。


『もう、時間がありません』


『黙れ』


 過去の俺が聖剣を床へ投げ捨てる。


『ほかの方法を探す』


『ありません』


『ある!』


『ありません』


『俺があると言ってる!』


『あなたは、嘘が下手ですね』


 黒い根が、ミレアの胸元まで這い上がる。


『お願いがあります』


『聞かない』


『まだ何も言っていません』


『分かってるからだ!』


『ならば、聞いてください』


『嫌だ』


『トーヤ』


『嫌だ!』


 過去の俺が、泣いていた。


 子供のように首を振り、聖剣から離れていく。


『俺にはできない』


『あなたにしか、できません』


『世界なんてどうでもいい!』


『わたくしもです』


 過去の俺が顔を上げる。


『世界など、本当はどうでもよいのです。魔王失格でしょう?』


『なら、一緒に逃げよう』


『ですが、あなたの生きる世界は守りたい』


 ミレアが、過去の俺へ歩み寄る。


 一歩ごとに、黒い血が落ちる。


『あなたが救った人々も』


 聖剣を拾い上げる。


『いつか二人で暮らすはずだった、あの海も』


 白銀の切っ先を、自分の胸へ当てる。


『あなたが愛したすべてを、わたくしの手で壊したくありません』


『やめろ……』


『ですから』


 ミレアが、過去の俺の手を取った。


 聖剣の柄を握らせる。


『わたくしが、わたくしであるうちに』


『やめてくれ』


『あなたに殺されるのなら、わたくしは最後まで、わたくしでいられます』


『頼むから……』


『愛しています、トーヤ』


 ミレアが一歩踏み込んだ。


 白銀の刀身が、その胸を貫く。


 過去の俺は聖剣から手を離し、崩れ落ちる身体を抱き締めた。


『ごめん』


『謝らないでください』


『俺が、君を……』


『あなたは、わたくしの願いを叶えてくださっただけです』


 ミレアの手が、過去の俺の頬へ触れる。


『次に会えたなら』


 声が、少しずつ弱くなる。


『今度は、魔王ではなく』


 紅紫色の瞳から、涙が零れる。


『普通の女として、あなたを好きになりたい』


『ミレア』


『そのときは、きちんと口説いてくださいね』


『何度でも口説く』


『ほかの女性は、口説いてはいけません』


『それはちょっと――』


『最後くらい、即答してください』


 ミレアが小さく笑った。


『海の見える家を……忘れないで』


 腕が落ちる。


 瞳から光が消える。


 過去の俺の絶叫が、玉座の間を満たした。


     ◇


 記憶が砕けた。


 俺は再び、澪の腕の中にいた。


 角も翼も残っている。


 黒いドレスをまとい、魔王の力を宿している。


 それでも、その泣き方は夜凪澪のものだった。


「どうして、言わなかったんですか」


「君が、そんな顔をすると思ったから」


「どんな顔です?」


「自分を責める顔」


「実際、私が頼んだのでしょう!」


「頼まれても、断ればよかった」


「そうすれば、私は世界中の人を殺していました!」


「別の方法を見つけられたかもしれない」


「見つけられなかったから、ああなったのでしょう!」


「それでも――」


「あなたは、本当に大馬鹿です!」


 怒鳴られた。


「私が自分で選んだのに、どうしてあなたがすべて背負うんですか!」


「君を殺したのは俺だ」


「私が頼んだんです!」


「剣を握ったのは俺だ!」


「胸へ押し込んだのは私です!」


 互いの声が、玉座の間へ響く。


 澪は荒い呼吸を繰り返し、俺を睨みつけていた。


 やがて、少しだけ声を落とす。


「私を殺したことは、恨みません」


「澪……」


「ですが、真実を隠して、また一人で決めたことは許しません」


「ああ」


「二度としないでください」


「努力する」


「約束してください!」


「分かった。約束する」


「返事が軽いです」


「胸から血が出てるから、大声を出せない」


「誰のせいだと思っているんですか!」


「澪?」


「……私です」


 澪の顔が青ざめた。


「また自分を責めてるぞ」


「あなたは今、私に刺されたんですよ!」


「前回と逆になったな」


「笑い事ではありません!」


「陛下」


 低い声が響いた。


 冥黒騎士が、俺たちを見ている。


 兜の奥の紫光が、激しく揺れていた。


「今の記憶は……真実なのですか」


「ええ」


 澪が答える。


「わたくしは、自らの意思でトーヤへ頼みました」


「では、我らは……」


「あなたたちには伝えませんでした。止められると分かっていましたから」


「我らは三か月もの間、陛下を殺した勇者への復讐だけを……」


「申し訳ありません」


 澪が頭を下げようとする。


「なりません!」


 冥黒騎士が叫んだ。


「陛下が臣下へ頭を下げてはなりません!」


「ならば、命令します」


 澪の声音が変わる。


 夜凪澪と、アルミレア・ノクティス。


 二人の意志が一つになる。


「復讐を終えなさい」


 冥黒騎士の大剣が、床へ落ちた。


「……御意」


 巨体が、その場へ跪く。


 これで終わった。


 そう思った瞬間。


 俺の右手に握られていた聖剣が脈打った。


 刀身の奥。


 赤い光の中に、小さな黒い点が浮かんでいる。


「何だ……?」


 点から、細い根が伸びた。


 記憶と共に封じられていたもの。


 ミレアの魂を喰らい、世界を滅ぼそうとした災厄。


「離れろ!」


 聖剣から黒い種子が飛び出した。


 掴もうとした瞬間、胸の傷が開く。


 右腕が止まった。


 種子は宙を横切り、冥黒騎士の胸元へ突き刺さる。


「ぐ……おおおおおおっ!」


 騎士が絶叫した。


 漆黒の甲冑から、何本もの黒い根が突き出す。


「冥黒騎士!」


「来てはなりません、陛下!」


 兜の奥で、紫と赤の光が激しく明滅する。


「わ、我が身から……お逃げ、ください……!」


『憎いか』


 騎士とは異なる声が響く。


『女王を奪った男が』


「黙れ……!」


『憎いか』


「黙れ!」


『貴様ではなく、その男を選んだ女王が』


「黙れええええええっ!」


 冥黒騎士の身体から、黒い魔力が爆発した。


 玉座の間の柱が吹き飛ぶ。


 俺は澪を抱き寄せ、背中で破片を受け止めた。


「トーヤ!」


「平気だ」


「平気ではありません!」


 冥黒騎士が立ち上がる。


 既に、騎士と呼べる姿ではなかった。


 甲冑の隙間から黒い根が絡み合い、巨大な肉体を作り出している。


 右腕と大剣が融合。


 背中には、枯れ木のような六枚の翼。


 兜の中央に亀裂が入り、その奥で巨大な赤い瞳が開く。


《個体情報を更新》


 離れた場所へ転がっていた探索端末が起動する。


《測定不能》


《既存ランクへの分類不能》


《周辺空間の侵食を確認》


《緊急退避を推奨します》


「便利な端末だな。退路も教えてほしい」


「冗談を言っている場合ですか!」


「怖いときほど笑った方がいい」


「あなたは怖くないでしょう!」


「怖いよ」


 俺は澪を離し、聖剣を構えた。


「君を、また失うかもしれない」


 赤い瞳が俺たちを捉える。


『勇者因子』


『魔王因子』


『再取得』


『不要な人格を削除し、相克を再開する』


「断る」


 澪が俺の隣へ立つ。


「私は夜凪澪です」


 黒い翼が大きく広がる。


「アルミレアの過去も、力も、気持ちも、すべて私のものです」


 紅紫色の瞳が、侵食された騎士を睨む。


「あなたに不要と決められるものなど、一つもありません」


『拒絶を確認』


『両個体を初期化する』


 冥黒騎士が消えた。


「澪、伏せろ!」


 聖剣を横へ構える。


 黒い大剣が激突した。


 衝撃で両腕の骨が軋む。


 足元の石床が砕け、俺の身体が後方へ吹き飛ばされた。


 壁を三枚突き破り、瓦礫へ叩きつけられる。


「がっ……!」


 胸の傷が完全に開く。


 視界が赤く染まった。


「トーヤ!」


「来るな!」


 瓦礫を押し退け、立ち上がる。


 冥黒騎士は既に目の前にいた。


 大剣が振り下ろされる。


 刃へ手を添え、その力を逸らす。


「《返天》!」


 大剣が床へ突き刺さった。


 そのまま掌底を、騎士の胸へ叩き込む。


 仙闘術――《震天》。


 流し込んだ気が、甲冑を内側から破壊する。


 冥黒騎士の上半身が吹き飛んだ。


 だが。


『攻撃情報を取得』


 飛び散った黒い根が、空中で絡み合う。


 瞬く間に肉体が再生した。


『仙闘術への適応を開始』


「何でもありかよ」


 冥黒騎士の拳が腹へ入る。


 今度は流せない。


 俺の気の動きを先読みし、逃げ道ごと力を叩き込まれる。


 身体が浮いた。


 黒い大剣が横薙ぎに振るわれる。


「《黒鎧》!」


 割り込んだ澪が、両腕で大剣を受け止めた。


 黒い外殻と刃が激突。


 一瞬だけ拮抗する。


「《万象簒奪》!」


 紅紫色の光が、冥黒騎士を包む。


 黒い魔力が澪へ吸い寄せられた。


『魔王権能を確認』


『逆流』


 吸収されかけた魔力が、逆向きに弾けた。


「きゃあっ!」


 澪が床へ叩きつけられる。


 黒い根が手足へ絡みつき、権能を封じた。


「澪!」


 駆け寄ろうとした俺の背中へ、大剣が叩き込まれる。


 聖剣が手から離れた。


 床を跳ね、遠くへ転がっていく。


 続けて、足が振り下ろされた。


 背骨が砕けたかと思った。


「トー……ヤ……」


『勇者因子の抵抗値低下』


『先に廃棄する』


 大剣の切っ先が、俺の首へ向けられる。


「やめなさい!」


 澪が黒い根を引き千切ろうともがく。


「その人を殺してはなりません!」


『命令を棄却』


「わたくしは、あなたの主です!」


『アルミレア・ノクティスは不完全』


『夜凪澪を削除後、再構築する』


「違う……」


 澪の声が震えた。


「私は、どちらも私だと言ったでしょう!」


 大剣が振り上げられる。


 身体が動かない。


 手足の感覚も消えかけている。


 血を失いすぎた。


 もう充分だと。


 どこかで、声がした。


 十年間も戦った。


 世界を救った。


 一番愛した女を、この手で殺した。


 ここまでやったのだから、もう休んでもいいだろうと。


「トーヤ!」


 澪の声が聞こえた。


 目を開く。


 彼女が泣いている。


 また、同じ顔をさせている。


 十五歳のとき。


 俺は世界を救う勇者になった。


 数え切れないほどの敵を倒した。


 国を救った。


 人々を救った。


 最後には、世界まで救った。


 それなのに。


 一番守りたかった女だけは、救えなかった。


 だったら。


 まだ、終われない。


「……まだだ」


 右手を床へつく。


 身体を起こす。


 折れた骨が悲鳴を上げた。


『行動継続を確認』


 冥黒騎士の大剣が振り下ろされる。


 紙一重で身を捻る。


 刃が肩を抉った。


 左腕から力が抜ける。


 それでも、立ち上がる。


「まだだ」


『理解不能』


 拳が顔面へ入った。


 身体が床を転がり、壁へ激突する。


 意識が途切れる。


 ほんの一瞬。


 それでも、また目を開いた。


「まだ……だ」


「もうやめてください!」


 澪が叫ぶ。


「それ以上戦えば、死んでしまいます!」


「大丈夫だ」


「何が大丈夫なのですか!」


「好きな女に見られてる」


 血を吐き出す。


「格好つけるには、充分な理由だろ」


「そんな理由で死なないでください!」


『無意味な抵抗』


 冥黒騎士が歩いてくる。


『肉体の九十二パーセントが損傷』


『勝利可能性――ゼロ』


「勝手に決めるな」


『演算結果は絶対』


「知らないのか?」


 震える膝を、拳で叩く。


「勇者っていうのはな」


 もう一度、立ち上がる。


「勝てるから戦うんじゃない」


 身体の奥で、何かが燃えた。


 小さな光。


 何度倒れても、消えなかった炎。


「誰かが泣いてるから、立ち上がるんだ」


 黄金の光が、胸から溢れ出す。


 傷は治らない。


 折れた骨も戻らない。


 失った血も、そのまま。


 だが。


 痛みが、力へ変わる。


 後悔が、力へ変わる。


 守れなかった過去のすべてが、今度こそ守るための光へ変わっていく。


《未登録能力を検出》


《個体名――葛城燈矢》


《勇者因子の覚醒を確認》


《固有権能――暁光不滅》


 黄金の光が、玉座の間を照らし出した。


『解析不能』


『出力上昇』


『さらに上昇』


『上限を確認できません』


 冥黒騎士が、初めて後退した。


「トーヤ……」


「悪いな、澪」


 俺は拳を握る。


「今度は、君より先に諦めるつもりはない」


 床を蹴る。


「まだだッ!!」


 世界が、黄金に染まった。


     ◇


 冥黒騎士の大剣と、俺の拳が衝突する。


 黒と金の光が弾けた。


 今度は、俺の身体は動かなかった。


 代わりに。


 大剣へ亀裂が走る。


『出力を再計算』


 もう一発。


 拳を叩き込む。


 大剣が砕け散った。


 懐へ潜り込み、肘、掌底、蹴りを連続で打ち込む。


 甲冑が内側から破裂した。


『仙闘術へ適応』


 再生した冥黒騎士が、俺の拳を受け止める。


 黒い根が腕を侵食し、気の流れを封じた。


「なら、次だ」


 右手を伸ばす。


 床に転がっていた聖剣が、光となって飛来した。


 白銀の刃が、黒い腕を切断する。


 返す刃で胸を斬り裂いた。


『剣撃へ適応』


 傷口から黒い甲殻が生まれ、次の斬撃を弾いた。


 冥黒騎士の拳が俺の頬を捉える。


 身体を回転させ、衝撃を逃がす。


 その勢いのまま、左手を向けた。


「灰燼より来たれ――《獄炎葬》」


 紅蓮の炎が、騎士を呑み込む。


 異世界の炎術。


 魔王軍の炎将から奪い取るように学んだ、魂まで焼く炎。


『炎熱魔術へ適応』


 黒い根が炎を喰らい、赤く変色した。


「まだあるぞ」


 聖剣を床へ突き立てる。


「天を巡る雷よ――《九天雷衝》!」


 九本の雷槍が落ちた。


 紅蓮の根が焼け焦げ、冥黒騎士が膝をつく。


『雷撃魔術へ適応』


 焦げた根が白く変化する。


 雷を受け流し、再び立ち上がった。


 拳へ適応すれば、剣で斬る。


 剣へ適応すれば、魔術で焼く。


 炎に適応すれば、雷で穿つ。


 それにも適応するのなら。


「全部まとめて受けてみろ」


 右手で聖剣を握り。


 左手へ炎と雷を宿し。


 全身へ仙闘術の気を巡らせる。


 剣。


 魔術。


 仙闘術。


 十年間で身につけた力のすべてを、一つへ重ねる。


 冥黒騎士が六枚の翼を広げた。


 周囲の空間が侵食され、無数の黒い兵士が生み出される。


 その数、千を超える。


『戦力を再構築』


『勇者因子を圧殺する』


「千体か」


 一歩、踏み出す。


「一人を守るには、少なすぎるな」


 黄金の光が爆発した。


 一閃。


 最前列の百体が消滅する。


 二閃。


 黒い兵士の群れが、炎に呑まれる。


 三閃。


 天井を覆った根を、雷が焼き払う。


 前へ進む。


 一歩ごとに、敵が消える。


 冥黒騎士は新たな兵を生み出す。


 それ以上の速度で斬り伏せる。


『適応処理が追いつきません』


『出力が継続上昇』


『勇者因子の限界値を確認不能』


「俺も、この力の上限は知らない」


 剣を振るう。


「でも、一つだけ分かってる」


 最後の黒い兵士が、黄金の粒子となって消えた。


「こいつを守りたいと思ってる限り、俺は倒れない」


『危険度を更新』


『最優先排除対象――勇者』


「今さら気づいたか」


 冥黒騎士の全身が開く。


 無数の赤い瞳が現れ、黒い光を収束させた。


 玉座の間どころか、この空間そのものを消滅させるつもりだ。


『淘汰執行』


 漆黒の奔流が放たれる。


 聖剣を両手で握る。


 かつて、この剣でミレアを殺した。


 だから、もう握る資格はないと思っていた。


 けれど。


 この剣には、罪だけが残っているわけではない。


 一緒に戦った日々も。


 笑い合った時間も。


 交わした約束も。


 すべてが、この中にある。


「行くぞ、アストラペ」


 白銀の刀身から、曙光が迸る。


「《暁天一閃》!」


 黄金の斬撃が、黒い奔流を真っ二つに切り裂いた。


 そのまま冥黒騎士の胸を貫く。


 巨体が大きく仰け反った。


 黒い甲冑が崩れていく。


『器の維持不能』


 騎士の胸から、黒い種子が飛び出した。


 空間に亀裂を作り、逃げようとする。


「澪!」


 呼ぶより早く。


 黒い根を引き千切った澪が、右手を伸ばしていた。


「逃がしません」


 紅紫色の魔力が、種子を捕らえる。


『魔王因子による干渉』


『権能を逆流――』


「同じ手が、何度も通用すると思わないでください」


 澪の瞳が輝く。


「あなたは、この人を傷つけました」


 種子が、彼女の掌へ引き寄せられていく。


「その代金は――高くつきますよ」


『侵食開始』


 黒い根が、澪の右腕へ絡みつく。


「受け入れるな!」


 俺は叫ぶ。


「奪え!」


 澪が俺を見る。


 初めて魔石の力を吸収したときと、同じ言葉。


 彼女は涙を拭い、強く頷いた。


「分かっています!」


 五本の指を握り締める。


「《万象簒奪》!」


 黒い種子を覆う力が、一気に剥ぎ取られる。


 種子の動きが止まった。


「今です、クズ!」


「ああ!」


 聖剣を振り下ろす。


 白銀の刃が、黒い種子を両断した。


 甲高い悲鳴が、世界を揺らす。


『観測個体による反逆を確認』


『当該世界の座標を記録』


『天理機構へ――』


「二度と来るな」


 黄金の炎が、種子を焼き尽くした。


 黒い根が灰となる。


 侵食されていた空間が崩れ始めた。


 赤い空が割れ、その向こうからダンジョンの白い天井が見える。


 冥黒騎士の身体が、力なく倒れた。


「冥黒騎士!」


 澪が駆け寄る。


 兜は砕れ、その下から青白い男の顔が露出していた。


 呼吸は弱い。


 それでも、生きている。


「トーヤ。助けられますか」


「俺を殺しかけた奴だぞ?」


「わたくしの臣下です」


「俺のことは心配しないのか?」


「心配しているから、あなたに頼んでいるのです」


「分かりにくいな」


「誰かさんほどではありません」


 俺は騎士の胸へ手を当てた。


 残った気を流し込み、崩壊しかけた心臓を動かす。


 冥黒騎士の呼吸が、わずかに安定した。


「応急処置だけだ。早く外へ運ばないと――」


 立ち上がろうとして、足から力が抜けた。


「クズ!」


 澪に抱き止められる。


「……今、いいところだったのに」


「当然です! 何箇所骨が折れていると思っているんですか!」


「数えてない」


「胸にも穴が開いています!」


「それは澪が――」


「言わないでください!」


 拳が飛んでくる。


 そう思ったが。


 澪は俺を強く抱き締めた。


「ごめんなさい」


 胸元から、小さな声が聞こえる。


「俺も、ごめん」


「あなたは、何について謝っているんです?」


「全部」


「多すぎます」


「じゃあ、隠してたこと」


「それだけでは足りません」


「勝手に決めたこと」


「まだあります」


「女性を口説いたこと?」


 澪の腕へ力が込められた。


「それは今後、別途協議します」


「今後?」


 尋ねようとしたとき。


 崩壊する空間の向こうから、弱々しい声が聞こえた。


「……澪ち」


「朱音!」


 澪が俺から離れ、駆け出す。


 黒い霧に包まれていた朱音の身体が、現実のダンジョンへ戻っていく。


 肩から胸元にかけて深い傷がある。


 折れた右腕も、そのまま。


「朱音! 分かりますか!」


「ん……」


 朱音が薄く目を開いた。


 焦点の合わない瞳が、澪を捉える。


「友達って……認めた?」


 澪の顔が歪む。


「認めます」


「聞こえない……」


 澪が、その手を両手で握った。


「認めます! あなたは、私の大切な友達です!」


 朱音が、満足そうに笑う。


「そっか……」


 小さく息を吐き。


 そのまま、目を閉じた。


「朱音?」


 返事がない。


「朱音!」


「脈はある!」


 俺は叫んだ。


「気を失っただけだ。早く外へ運ぶぞ!」


「……はい!」


 崩壊する魔王城を、黄金の光が包み込む。


 異世界の玉座が消え。


 俺たちは、東京第七ダンジョンの石床へ戻ってきた。


「夜凪さん!」


 高嶺さんと調査員たちが駆け寄ってくる。


「火神さんを最優先で搬送! 救命班を呼んでください!」


 朱音が担架へ載せられる。


 続いて、冥黒騎士。


 そして俺の前にも担架が置かれた。


「俺は歩ける」


「胸に穴が開いた状態を、歩けるとは言いません!」


 高嶺さんに怒鳴られた。


「けれど、本当に戻ってくるとは思いませんでした」


「約束したからな」


「約束?」


「澪に、助けが必要か聞きに行くって」


 高嶺さんが澪を見る。


「答えは?」


 澪は、少しだけ迷った。


 それから、俺へ視線を向ける。


「必要でした」


「そうか」


「ですが」


 澪が立ち上がる。


 角も翼も、黒いドレスも、紅紫色の光となって消えていく。


 長い黒髪。


 探索者装備。


 濃紫色の瞳。


 夜凪澪の姿へ戻る。


「次からは、一人で勝手に助けないでください」


「難しい注文だな」


「三つ、約束してください」


 澪が指を三本立てる。


「秘密にしない」


 一本。


「勝手に犠牲にならない」


 二本。


「大切なことは、二人で決める」


 三本。


「守れますか?」


「努力する」


「約束してください」


「約束する」


「今度、破ったら?」


「澪の言うことを一つ聞く」


「では、女性関係を――」


「その条件は禁止」


「反省していませんね!?」


「そこは俺の存在意義だから」


「先ほど格好よく戦っていた人と、本当に同一人物ですか!?」


「落差が魅力なんだ」


「ただのクズです!」


 拳が飛んでくる。


 けれど、俺の胸元で止まった。


 澪は拳を開き、血に濡れた服を掴む。


「もう、いなくならないでください」


 消え入りそうな声だった。


「澪?」


「一度目は、仕方がなかったのかもしれません」


 俯いたまま、澪が続ける。


「でも、二度目は許しません」


「ああ」


「三度目は、絶対に許しません」


「ああ」


「ですから……」


 震える指が、俺の手を探す。


 俺は、自分からその手を握った。


 一度目。


 俺は世界を守るために、彼女の手を離した。


 二度目。


 自分の罪から逃げるために、また手を離した。


 だから三度目は。


 もう、離さない。


「何ですか?」


「俺が迷子にならないように」


「子供ですか」


「五年ぶりの東京だからな」


「帰還して三か月も経っているでしょう」


「その三か月のほとんどは無職だった」


「自慢しないでください」


 澪は呆れたように息を吐く。


 それでも。


 その手を、握り返してくれた。


 パーティーを解消した俺たちは、まだ何の関係でもない。


 過去の恋人でも。


 今の仲間でも。


 指導者と弟子ですらない。


 これから何になるのかは、まだ決まっていない。


 なら。


 今度こそ、二人で決めればいい。


「帰ったら、話があります」


 澪が言った。


「告白?」


「違います」


「結婚?」


「違います!」


「同棲?」


「どうして段階を飛ばすんですか!」


 怒鳴る澪の頬は、少しだけ赤かった。


 何の話なのかは、教えてくれない。


 それでも。


 繋いだ手だけは、離れなかった。


 俺は、何度でも立ち上がる。


 何度間違えても、そのたびに手を伸ばす。


 それが。


 愛した魔王から、もう一度未来を与えられた勇者にできる、唯一のことなのだから。

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