第四話 配信中、魔物たちがFランク少女に跪いた
朝、目を覚ますと、俺は知らない男と結婚することになっていた。
『無職ニキ×筋肉系イケメン探索者! ダンジョンで芽生えた禁断の愛!』
「誰だよ、こいつ」
ベッドに寝転んだまま、スマートフォンの画面を見る。
昨日、俺が獄炎龍を踏み潰した映像。
その直後に別の男が驚いている場面をつなぎ合わせ、なぜか俺たちが見つめ合っているように編集されていた。
再生回数は二百七十万回。
コメント欄も盛況だ。
『身長差がいい』
『無職ニキ、女好きはカモフラージュだったのか』
『初めて本気で守りたい男を見つけたんだね』
『末永くお幸せに』
「人の人生で遊びやがって」
動画を閉じる。
次に表示されたのは、俺が獄炎龍の黒炎を《返天》で押し返す場面だった。
『謎のFランク《無職ニキ》、Sランク相当の獄炎龍をワンパン!』
正確にはワンパンではない。
押し返して、踏んだだけだ。
その次は、
『Fランク美少女《黒姫》を守る謎の男! 二人は恋人?』
さらに、
『無職ニキのジムを特定してみた』
存在しないジムへ入会希望者が殺到し、公式サイトがサーバーダウンしている。
「嘘を嘘で固めて、ついには存在まで作り出したか」
現代人の想像力も侮れない。
枕元では、通知音が鳴り続けている。
昨日まで数件しかなかった連絡が、一晩で千件を超えていた。
テレビ局。
芸能事務所。
探索者向け装備メーカー。
スポーツジム。
怪しげな宗教団体。
そして、女性と思われるアカウントからの個人的なメッセージ。
『顔がタイプです。会えませんか?』
『踏んでください』
『養います』
「世の中には親切な人が多いな」
最後の相手に返信しようとしたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。
無視する。
もう一度鳴った。
さらに連打される。
「宅配便にしては情熱的だな」
仕方なくベッドから起き上がる。
昨夜着ていたシャツを拾い、適当に羽織った。
玄関の扉を開ける。
「遅いです」
そこに立っていたのは澪だった。
学校の制服姿。
紺色のブレザーに膝丈のスカート。長い黒髪は下ろされ、昨日の探索者装備とは随分印象が違う。
「おはよう、澪。朝からかわいいな」
「おはようございます。朝から最低ですね」
「褒めただけだろ」
「目線が上から下まで動いていました」
「装備以外の服を見るのは初めてだから」
「制服姿なら配信映像にも映っていません。これ以上、個人情報を漏らしたくないんです」
「だったら、どうして制服で来た?」
「このあと学校だからです!」
時刻を見る。
午前七時。
「若者は大変だな」
「あなたも二十歳でしょう」
「精神年齢は二十五だ」
「言動は十五歳以下です」
澪が俺の横を抜け、部屋へ入ってくる。
許可した覚えはないが、今さら止めるのも妙だった。
彼女は室内を見渡し、眉をひそめる。
「意外ですね」
「何が?」
「もっと散らかっていると思いました」
「物がないだけだ」
帰還して三か月。
部屋にあるのは、ベッドと小さな机、冷蔵庫くらい。
段ボール箱も、荷物を出さないまま壁際へ積んである。
「冷蔵庫を見ても?」
「どうぞ」
澪が扉を開ける。
中には水と酒しか入っていない。
しばらく無言で見つめたあと、静かに扉を閉めた。
「人間の冷蔵庫ではありませんね」
「人間だよ」
「食事は?」
「外で食う」
「毎日?」
「料理できないからな」
「それで将来はどうするんです? 海の見える家で、畑でも耕すつもりですか?」
心臓が止まりかけた。
「……何で、その話を」
「はい?」
澪が振り返る。
彼女の表情に、特別な意味はない。
だが、すぐに本人も不思議そうに眉を寄せた。
「……どうしてでしょう。今、なぜかそんな光景が浮かびました」
「そう、か」
ただの偶然。
そう思おうとしたのに、一瞬だけミレアがそこにいるような気がした。
「何でもない」
「顔色が悪いですよ」
「寝起きだから」
「昨日は何時に寝たんです?」
「覚えてない」
「女性と一緒だったんですか?」
「一人だよ」
「……そうですか」
なぜか少しだけ機嫌が良くなった。
「それで、何の用だ?」
「探索者協会から連絡が来ているでしょう」
「来てたかもしれない」
「どうして出ないんです?」
「通知が多すぎて埋もれた」
澪が俺のスマートフォンを手に取る。
画面を確認し、動きを止めた。
「……養います?」
「今、返信しようとしてた」
「削除します」
「待て。俺の将来が懸かってる!」
「見知らぬ女性に飼育される未来を将来と呼ばないでください!」
「本人がいいと言ってる」
「顔も名前も分からないでしょう!」
「愛に顔や名前は関係ない」
「先ほど私の顔を上から下まで見ていた人が言いますか?」
メッセージが削除された。
「あっ!」
「ほかにも女性から大量に来ていますね」
「俺の努力の成果だ」
「何を努力したんです?」
「生まれてから二十年間、顔を維持してきた」
「すべて削除します」
「人の交友関係に介入するな!」
「パーティーメンバーの安全管理です。こんな怪しい相手と会って事件に巻き込まれたら困ります」
「もしかして、嫉妬?」
「違います」
「回答が早いな」
「一切の迷いがありませんから」
澪はすべてのメッセージを削除し、俺のスマートフォンを鞄へしまった。
「何で持っていく?」
「協会へ着くまで預かります」
「横暴だ!」
「着替えてください。今日の午後、昨日の隠し階層を調査します」
「学校は?」
「早退します」
「真面目な高校生が、無職の男とダンジョンへ行くために早退か」
「言い方を変えてください!」
◇
午後一時。
探索者協会の前には、報道陣と野次馬が集まっていた。
澪が制服の上から帽子とマスクを身につける。
「本当に、私だと分かりませんよね?」
「美少女の気配が隠せてない」
「真面目に答えてください」
「平気だ。胸元まで映ったら分かるかもしれないけど」
「やはり見ていたんですね」
「何を?」
「もういいです」
俺たちは裏口へ回ろうとした。
だが、その前に一人の女が飛び出してくる。
「澪ちー!」
ハニーブロンドのポニーテール。
赤いインナーカラー。
健康的に焼けた肌。
火神朱音だった。
彼女は勢いのまま、澪へ抱きつく。
「会いたかったー!」
「どうして抱きつくんですか!?」
「昨日、連絡先交換する前に救助隊に連れてかれたじゃん!」
「それと抱きつくことに、何の関係が?」
「友情?」
「まだ出会って一日です」
「一日あれば友達になれるっしょ」
「なれません」
「じゃ、今なろ! うち朱音、よろしく!」
「名前は知っています!」
澪が朱音を引き剥がす。
「トーヤっちもおはよ」
「もう昼だけどな」
「細かいこと気にしない。今日も顔だけはいいじゃん」
「朱音もかわいいな。今夜空いてる?」
「空いてるけど、澪ちも一緒ね」
「何で?」
「二人きりとか普通に危険だし」
「昨日、命を助けたよな?」
「命の恩人と安全な男は、別ジャンルじゃね?」
正論のような、そうでもないような理屈だった。
「それより二人とも、もうアカウント作った?」
「作りません」
澪が即答する。
「十万人以上が待ってるよ?」
「待たせておいてください」
「初配信、何する? 質問回答? 装備紹介? 二人の馴れ初め?」
「謝罪会見です」
「何を謝るの?」
「このクズを公共の電波へ出してしまったことです」
「俺は事故映像か?」
「放送事故ではあるっしょ」
朱音が笑う。
「動画、今朝の時点で八百万再生いってるよ。海外の反応まとめも出てた」
「海外まで……」
「澪ち、《黒姫》って呼ばれてんじゃん。よかったね」
「よくありません」
「トーヤっちは《無職ニキ》」
「気に入ってる」
「どこを気に入る要素があるんですか?」
「親しみやすいだろ」
「社会的信用がゼロです」
「実際に無職だから仕方ない」
「開き直らないでください!」
三人で裏口へ向かおうとしたところで、男たちが立ちはだかった。
先頭にいる顔には見覚えがある。
東京第三ダンジョンで、澪を置いて逃げてきた男。
たしか、《蒼狼の牙》というパーティーのリーダーだったはずだ。
「夜凪」
男――真壁蓮司が、澪の名を呼んだ。
澪の表情が固くなる。
「何の用ですか、真壁さん」
「話がある」
「私にはありません」
「待ってくれ。一昨日のことは、俺も悪かったと思っている」
「一昨日?」
「お前を残して撤退したことだ」
「置き去りにした、の間違いでは?」
朱音の声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
真壁が顔をしかめる。
「部外者は黙っていてくれ」
「目の前で友達の話されてんだから、もう部外者じゃなくね?」
「いつ友達になったんですか?」
「今でしょ」
「古いです」
「澪ち、意外と知ってんじゃん」
緊張感が妙な方向へ流れかけた。
真壁が咳払いする。
「俺たちも、生き残るために仕方がなかった。夜凪自身が残ると言ったんだ」
「はい。言いました」
「なら、分かるだろ?」
「何がです?」
「俺たちだけが責められるのは、おかしい」
澪は、しばらく真壁を見つめていた。
「私は、責めていません」
「なら――」
「ただ、もう一緒に戦えないだけです」
静かな声だった。
怒鳴ることも、罵ることもしない。
「私は、自分から残りました。それは事実です。ですが、あなたたちは一度も振り返らなかった」
「振り返って何になる! 全滅するだけだ!」
「そうかもしれません」
「だったら!」
「だから、恨んではいません。ただ、背中を預けられない人とは、もう一緒に戦えません」
真壁の顔が歪む。
「その男なら信用できるのか?」
俺を指差している。
「登録したばかりのFランクだぞ。経歴も不明。明らかに力を隠している。お前を利用しているだけかもしれない」
「否定できないな」
「クズは黙っていてください」
「はい」
澪の返事に迷いはなかった。
「この人は無職です」
「そこから?」
「女好きで、軽薄で、金銭感覚も壊れています」
「澪、俺を庇ってるんだよな?」
「いま確認しています」
「何を?」
「褒められるところがあるかどうかです」
「早めに見つけてくれ」
「女性を見ると、とりあえず口説きます」
「悪口が続いてるぞ」
「ですが」
澪が俺を見る。
「この人は、私を囮にはしません」
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「それに、私が役立たずだと言われていたとき、私の力を信じてくれました」
「澪……」
「クズですが」
「付け足す必要あった?」
「重要なので」
「褒められてるのか、貶されてるのか分からないな」
「両方です」
真壁が一歩踏み出す。
「お前は騙されている! そいつがお前に近づいたのは、動画で注目を集めるためだ!」
「俺が澪と会ったのは、動画の前だけど」
「なら、身体が目当てだ!」
「それも完全には否定しにくい」
「否定してください!」
澪の拳が脇腹へ入った。
「ぐっ!?」
「ほら見ろ! やっぱり――」
「ですが、真壁さん」
澪が冷たい目を向ける。
「私を所有物のように扱うのはやめてください。誰とパーティーを組むかは、私が決めます」
「俺は、お前のためを思って……」
「では、私が一番弱かったときに、その言葉を聞きたかったです」
真壁は何も返せなかった。
澪が俺の袖を掴む。
「行きましょう、クズ」
「ああ」
「澪ち、かっこよ!」
朱音が反対側から澪の腕へ抱きつく。
「うちらも行こ!」
「勝手に腕を組まないでください!」
「いいじゃん、友達っしょ?」
「まだ認めていません!」
「俺も腕組む?」
「クズは離れて歩いてください」
「差別だ」
三人で協会の建物へ入る。
後ろを振り返ると、真壁はその場に立ち尽くしていた。
◇
協会の会議室では、高嶺静香が俺たちを待っていた。
「遅刻です」
「外で青春の一幕があった」
「具体的に」
「元彼と今彼の修羅場」
「違います!」
澪が叫ぶ。
「元パーティーの真壁さんと話していただけです!」
「今彼の部分は否定しないのか?」
「どちらも否定しています!」
「昼から元気だねー」
朱音だけが楽しそうだった。
静香は俺たちを席へ座らせ、資料を配る。
「まず、昨日の功績を受け、夜凪さんをEランクへ昇格させます」
「本当ですか?」
「獄炎龍戦における救助活動、《黒鎧》による防御、Fランク区画での戦闘記録。能力値も昇格基準を満たしています」
澪が新しい資格証を受け取る。
大切そうに、両手で握り締めた。
一年間、どれだけ努力しても上がれなかったランク。
役立たずと呼ばれていた少女が、ようやく前へ進んだ。
「おめでとう、澪」
「……ありがとうございます」
「俺のおかげだな」
「感動を返してください」
「師匠と呼んでもいいぞ」
「クズで充分です」
それでも澪は、嬉しそうに笑っていた。
「じゃあ、俺は?」
「Fランクのままです」
静香が即答する。
「どうして?」
「正式な試験記録がありません」
「獄炎龍を倒した」
「討伐映像は確認しました。しかし、魔力量も固有スキルも測定不能。身体能力測定では機械を壊しかけました」
「強い証明になってるだろ」
「機材に対する危険性しか証明されていません」
「Sランクの龍を踏み潰したのに?」
「審査委員会が、映像の現実を受け入れられていません」
「そこから?」
「合成映像ではないかと三回確認されました」
「うちの配信、疑われてんの?」
朱音が頬を膨らませる。
「映像の真正性は証明済みです。それでも、FランクがSランク相当の魔物を踏みつけて討伐したという事実を、制度上どのように扱うか決まっていません」
「じゃあ、仕方ないな」
「怒らないんですか?」
澪が尋ねる。
「ランクなんてどうでもいい」
「無職ニキは肩書きに興味なさそうだもんね」
「無職は立派な肩書きだ」
「違います」
静香と澪の声が重なった。
気が合いすぎではないだろうか。
「本題に入ります」
静香が端末を操作する。
卓上へ、渋谷迷宮十五階の立体映像が表示された。
「昨日発生した異常転移と、獄炎龍の出現について調査を行います」
「配信するんだよね?」
朱音が尋ねる。
「はい。昨日の事件によって、渋谷迷宮を利用する探索者の間に不安が広がっています。十五階までは安全が確認されたことを示すため、調査の一部を公式配信します」
「おっけ。危険情報が出たら、すぐ切るから」
「お願いします」
朱音は軽い口調だが、仕事の話になると真面目だった。
「同行者は、私と協会の調査隊。火神さん。そして異常転移の当事者である葛城さんと夜凪さんです」
「質問」
俺は手を挙げた。
「何でしょう」
「調査が終わったら、高嶺さんも食事に――」
「資格証を返してください」
「まだ最後まで言ってない」
「言わせる必要がありません」
「クズ。学習してください」
「トーヤっち、昼から元気すぎ」
静香が、無言で俺の資格証へ手を伸ばす。
俺は慌てて胸元を押さえた。
◇
渋谷迷宮、十五階。
昨日の大空洞には、獄炎龍の死体が残されていた。
巨体の周囲には規制線が張られ、協会の調査員たちが検査を進めている。
朱音の撮影用ドローンが、俺たちの頭上を旋回していた。
「みんな、こんちはー! 昨日はマジで心配かけてごめん!」
配信が始まる。
『朱音ちゃん無事でよかった!』
『待ってた!』
『無職ニキいるじゃん』
『黒姫もいる!』
『澪ち昇格おめでとう!』
「澪ち、挨拶して」
「わ、私ですか?」
「十万人以上見てるよ」
「聞いていません!」
「さっき言ったじゃん」
「数字までは聞いていません!」
撮影用ドローンが澪へ近づく。
澪は数秒間固まったあと、ぎこちなく頭を下げた。
「夜凪澪です。本日付でEランクへ昇格しました。よろしくお願いします」
『かわいい』
『真面目』
『黒姫おめでとう!』
『無職ニキとの関係を教えて』
「関係……」
澪が俺を見る。
「指導者と弟子」
「一か月限定のパーティーメンバーです」
「将来を誓い合った仲」
「虚偽の情報を流さないでください!」
『付き合ってるじゃん』
『夫婦漫才』
『澪ち顔赤い』
『無職ニキ爆発しろ』
「好意的なコメントが多いな」
「どこがですか!」
調査員たちまで笑っている。
静香が咳払いした。
「遊びではありません。調査を開始します」
「高嶺さんも映る?」
「私は必要ありません」
『眼鏡のお姉さん美人』
『無職ニキ口説きそう』
『もう口説いてるに一票』
「視聴者はよく分かってるな」
「葛城さん」
「まだ何もしてない」
「予防です」
調査は順調に進んだ。
大空洞の魔力濃度は、昨日より大幅に低下している。
新たな魔物も確認されない。
やがて、獄炎龍の胸部から巨大な魔石が取り出された。
人間の頭ほどもある、黒と赤の結晶。
「すご……獄炎龍の魔石、初めて見た」
朱音がドローンを近づける。
「市場価格はいくらくらいです?」
澪が尋ねた。
「最低でも、八千万円以上です」
静香の答えを聞き、澪が三歩後退した。
「どうした?」
「近づいただけで弁償させられそうです」
「吸ってみる?」
「絶対に嫌です!」
「強くなれるぞ」
「八千万円ですよ!」
「また倒せばいい」
「獄炎龍はコンビニ商品ではありません!」
「澪ち、二百四十万の魔石も吸ったんだよね?」
「思い出させないでください。夜、眠れなくなります」
「その割には《黒鎧》使いまくってたじゃん」
「元を取らないといけませんから」
「たくましー」
調査員が、魔石を専用ケースへ入れようとした。
その瞬間。
魔石が脈打った。
大空洞に、低い音が響く。
「全員、離れてください!」
静香が叫ぶ。
魔石から黒い霧が噴き出す。
霧は地面へ落ち、巨大な影となって広がった。
調査隊が武器を構える。
「配信切る!」
朱音が端末を操作する。
だが、画面が反応しない。
「嘘、切れない!」
「通信制御が奪われています!」
黒い影の中から、何かが立ち上がる。
人型。
全身を覆う漆黒の甲冑。
身長は二メートルを超えている。
右手には、黒い大剣。
その胸元に刻まれていたのは、翼と月を組み合わせた紋章だった。
「……魔王軍」
口から言葉が漏れた。
忘れるはずがない。
アルミレアが率いていた軍の紋章。
俺が十年間、戦い続けた相手。
けれど、目の前の騎士に見覚えはなかった。
《警告》
《未確認Sランク反応》
《仮称――冥黒騎士》
探索端末が警報を発する。
『またSランク!?』
『配信切れ!』
『全員逃げろ!』
『無職ニキ頼む!』
冥黒騎士が、ゆっくりと顔を上げた。
兜の奥で、紫色の光が灯る。
「澪、俺の後ろへ」
「はい」
俺は澪の前に立つ。
右手の黒い指輪が震えていた。
聖剣が、何かに反応している。
「何者だ」
問いかける。
冥黒騎士の兜が、こちらを向いた。
「……その声」
「俺を知ってるのか?」
「否」
低い声。
人間のものとは思えない、底冷えする響き。
「貴様ではない」
冥黒騎士の視線が、俺の横へ動く。
澪を捉えた。
紫色の光が、大きく揺れる。
「見つけた」
騎士が歩き出す。
調査隊が一斉に攻撃を放った。
剣撃。
銃弾。
複数の魔術。
すべてが冥黒騎士の直前で停止し、黒い霧へ呑み込まれる。
「攻撃が消えた!?」
「後退してください!」
静香が指示を飛ばす。
俺は拳を構えた。
「止まれ」
冥黒騎士は止まらない。
「それ以上、澪へ近づくな」
体内で気を練る。
あと一歩。
そこで動かなければ、頭ごと吹き飛ばす。
だが。
冥黒騎士は俺たちの数メートル手前で立ち止まった。
右手の大剣を床へ置く。
そして、澪の前で片膝をついた。
「……え?」
澪の声が漏れる。
冥黒騎士が、深く頭を垂れた。
それと同時に、大空洞の亀裂から何十体もの魔物が姿を現す。
調査隊が再び武器を構える。
しかし、魔物たちは誰にも襲いかからなかった。
一体。
また一体。
すべての魔物が澪の方を向き、その場へ伏していく。
まるで、女王を迎える臣下のように。
『何が起きてる?』
『魔物が跪いてる』
『澪ちに?』
『どういうこと?』
『演出じゃないよな?』
配信コメントが猛烈な速度で流れる。
澪は怯えたように、自分へ向けられた無数の魔物の頭を見渡した。
「私を……知っているんですか?」
「無論にございます」
「私は、夜凪澪です。あなたたちの知っている人では――」
「その器。その魂。その常闇の権能」
冥黒騎士が顔を上げる。
「たとえ御身が、すべてをお忘れになろうとも。我らがあなた様を見誤ることなどありませぬ」
「何を、言って……」
「お待ちしておりました」
騎士が再び頭を垂れる。
「我らが主」
やめろ。
「万魔を統べる、常闇の女王」
それ以上、言うな。
「アルミレア・ノクティス陛下」
世界から音が消えた。
澪が、ゆっくりと俺を見る。
「アルミレア……」
「違う」
反射的に否定していた。
「私は、その名前を知りません」
「澪、聞くな」
「ですが、この人は私を――」
「澪、そいつから離れろ!」
冥黒騎士の身体から、膨大な魔力が噴き上がる。
黒い霧が澪へ伸びた。
俺は彼女の腕を掴み、自分の方へ引き寄せる。
「ミレア、下がれ!」
その名を口にした瞬間。
澪の身体が硬直した。
「……いま」
濃紫の瞳が、大きく見開かれる。
「私を、何と呼びました?」
「澪?」
「ミレアと……呼びましたよね?」
澪が胸元を押さえる。
その瞳が、濃紫から鮮烈な紅紫色へ変わった。
「あ……」
澪の脳裏に、何かが流れ込んでいる。
彼女の唇から、苦痛の声が漏れた。
「いや……」
「澪!」
「剣……」
少女の手が震える。
「白い、剣が……胸に……」
俺の右手にはめた黒い指輪が、赤い光を放ち始める。
澪の視線が、その指輪へ落ちた。
「あなたが……泣いている」
「見るな!」
「私を、抱いて……」
「澪、やめろ!」
「あなたは……誰?」
澪の身体から力が抜ける。
倒れる寸前、その身体を抱き止めた。
紅紫の瞳が、俺を見上げる。
そこに浮かんでいたのは、初めて会った少女の戸惑いではなかった。
愛した男に殺された女の、深い悲しみ。
「トー……ヤ……?」
かすかな声で、その名を呼び。
澪は俺の腕の中で意識を失った。
大空洞には、今も朱音の配信が流れ続けている。
無数の魔物が澪へ跪いている。
冥黒騎士は彼女を魔王と呼んだ。
俺の指輪は、聖剣と同じ赤い光を放っている。
そのすべてが、何十万人もの視聴者へ届けられていた。
止まっていたコメントが、一斉に動き出す。
『魔王?』
『アルミレアって誰?』
『澪ちが魔王?』
『無職ニキ、何か知ってるだろ』
『トーヤって呼んだ?』
『説明しろ』
『こいつら一体、何者なんだよ』
答えられるはずがなかった。
俺は澪の身体を抱き締める。
三か月前。
世界を救うために、愛した魔王を殺した。
そして今。
俺は彼女から、すべてを奪った聖剣を持っている。
もし澪が、アルミレアの記憶をすべて取り戻したなら。
俺を見て、何を思うのだろう。
俺が彼女を殺したのだと知って。
それでも、今と同じように――俺の手を取ってくれるのだろうか。
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