第三話 Fランク少女を育てていたら、なぜか配信に映り込んだ
「見ません」
「まだ何も言ってませんけど」
「絶対に見ません」
探索者用装備店の試着室。
閉ざされたカーテンの向こうから、澪の警戒心に満ちた声が聞こえてくる。
俺は待合用の椅子へ腰を下ろし、店内に並んだ武器を眺めていた。
「装備が合うか確認するだけだろ」
「店員さんを呼びます」
「俺が選んだんだから、俺が見た方が早い」
「その理屈で女性の着替えを覗けると思わないでください」
「覗くなんて言ってない」
「では、どうやって確認するんです?」
「着替え終わってから見る」
「……普通ですね」
「俺を何だと思ってるんだ」
「無職で女好きのクズ」
「俺の情報が昨日から更新されてないな」
「昨日会ったばかりなので当然です」
一か月限定のパーティーを結成した翌日。
俺たちは東京第五ダンジョン――通称《渋谷迷宮》へ挑むため、装備を揃えに来ていた。
澪が持っていた剣と軽装鎧は、昨日の戦闘で完全に壊れている。
本人は「修理すれば使える」と言い張ったが、半分から折れた剣を修理するくらいなら、金属の棒を拾った方が早い。
そこで俺が新しい装備を買うことになった。
本人は最後まで拒否していたが、
『俺の指導中に壊れた装備で怪我をされたら寝覚めが悪い』
と説得した。
実際には、もう二度と彼女が傷つくところを見たくないだけだ。
「着替えました」
「開けていいか?」
「少し待ってください」
「着替えたんじゃないのか?」
「着替えましたが、問題が発生しました」
「どんな?」
「…………」
「澪?」
「胸が、きついです」
「…………」
「なぜ黙るんです?」
「俺の口からは、何を言っても正解にならない気がして」
「珍しく賢明な判断ですね」
スレンダーな体格だから、細身の装備を選んだ。
どうやら一部の寸法だけ、俺の想定を上回っていたらしい。
「一つ大きいサイズにするか?」
「そうすると腰回りが余ります」
「調整用のベルトを使えばいい」
「分かりました。店員さんへ交換を頼んできてください」
「そのまま見せてくれた方が――」
「クズ」
「はい」
反射的に返事をしてしまった。
ついこの前まで《曙光の勇者》と呼ばれていたはずなのに、随分と身体へ馴染んだ呼び名である。
女性店員を呼び、新しい装備を渡す。
数分後、カーテンが開いた。
黒を基調とした戦闘用インナー。
その上から、胸元と腰、両腕を守る軽装鎧。
下半身は動きやすさを重視したショートパンツと、膝まで届くブーツ。
長い黒髪は高い位置で一つに結ばれている。
ミレアが身にまとっていた黒いドレスとは、まるで違う。
それでも、よく似合っていた。
「どうでしょう」
「似合ってる」
「……それだけですか?」
「他にも言っていいのか?」
「やはり結構です」
「何で聞いたんだよ」
「サイズが合っているか確認しただけです」
「胸元は?」
澪の右手が動いた。
飛んできた値札を、指で挟んで受け止める。
「サイズの話だろ?」
「今の間が気持ち悪かったので」
「理不尽だ」
「普段の行いです」
澪は近くに置かれた姿見の前で身体を動かす。
腕を回し、腰をひねり、しゃがみ込む。
動きを邪魔する箇所がないか、真剣に確認していた。
「悪くありません」
「だろ?」
「ですが、高すぎます」
澪が値札を見る。
顔が引きつった。
「一式で七十八万円……?」
「命を守るものだからな」
「昨日、二百四十万円の魔石を消費したばかりですよ!」
「俺の金だから気にするな」
「あなたは無職でしょう!」
「金はある」
「その考え方だと、すぐになくなります!」
「そのときは澪に養ってもらう」
「どうして私が!?」
「世界最強の探索者になれば稼げるだろ?」
「最初からそれが目的だったんですか!」
「美人に養ってもらうのが夢だって言ったはずだ」
「最低です! 今すぐ全部脱ぎます!」
「店の真ん中で?」
「試着室でです!」
澪がカーテンの奥へ戻ろうとする。
その肩を掴んで止めた。
「冗談だ」
「あなたの場合、どこまでが冗談か分かりません」
「装備は俺からの貸与ということにしよう」
「貸与?」
「一か月後、パーティーを解消するなら返してくれ。それまでは指導に必要だから使う」
「……それなら」
「ただし、汗の染み込んだ使用済み装備を返されても困るな」
「やはり脱ぎます」
「悪かった! 冗談だ!」
再び試着室へ向かう澪を、今度は両肩を掴んで止める。
近くにいた女性店員が、口元を押さえて笑っていた。
会計の際、その店員から連絡先の書かれた紙を渡された。
ありがたく受け取ろうとしたところで、横から澪に没収された。
「何するんだ」
「落とし物です」
「まだ落としてない」
「私が落とします」
「どこに?」
「ゴミ箱へ」
「人の好意を捨てるな!」
店員が腹を抱えて笑い始めた。
◇
東京第五ダンジョン、通称《渋谷迷宮》。
全三十階層まで攻略されている、国内最大級の常設ダンジョンだ。
階層ごとに推奨ランクが定められ、地下一階から三階まではFランク探索者にも開放されている。
入口で資格証を提示する。
係員が俺の顔と端末を交互に見た。
「葛城燈矢さん。Fランク、昨日登録……」
「新人です。優しくしてね」
「昨日、東京第三ダンジョンへ無資格侵入した方ですよね?」
「もう情報が回ってるのか」
「測定器を壊しかけた件も記録されています」
「壊してはいない」
「接近禁止指定を受けたと書かれていますが」
「あれは高嶺さんの横暴だ」
「澪さん。この人の監督をお願いします」
「任せてください」
「立場が逆じゃないか?」
俺が澪を指導するはずだった。
なぜか保護観察対象になっている。
係員から探索用端末を受け取り、迷宮へ入る。
内部は巨大な地下遺跡のようになっていた。
石造りの通路が複雑に入り組み、天井には青白い結晶が埋め込まれている。
周囲には初心者探索者の姿も多い。
撮影用ドローンを連れている者もいた。
「配信してる奴が多いな」
「渋谷迷宮は電波環境が整備されていますから。初心者向けの配信場所として人気なんです」
「澪もやる?」
「やりません」
「美少女探索者として売れると思うけど」
「戦闘中に視聴者を楽しませる余裕などありません」
「俺が守るから平気だ」
「そういう問題では――」
「あ、今ちょっと顔が赤くなった」
「《黒鎧》」
澪の右拳が黒い外殻に覆われた。
「ダンジョン内でパーティーメンバーへ攻撃するな!」
「私はまだ何もしていません」
「拳を構えてるだろ!」
「新しい能力の確認です」
「俺の顔面を狙って?」
「偶然です」
昨日より《黒鎧》の発動が滑らかになっている。
黒鎧鬼から得た力が、澪の身体へ馴染み始めていた。
魔王としての記憶がなくても、能力を扱う感覚は魂に残っているのかもしれない。
「前方、来ます」
澪の表情が変わる。
通路の奥から、青い毛並みを持つ狼型の魔物が三体現れた。
《風走狼》。
Fランク区画に出現する魔物だが、素早い動きで新人を翻弄する。
「三体か」
「私がやります」
「無理なら助けを呼べ」
「誰に?」
「愛と正義の勇者様」
「そんな人、どこにいるんです?」
「目の前」
「私には無職のクズしか見えません」
澪が地面を蹴った。
先頭の風走狼が飛びかかる。
澪は左へ身をかわし、折れていない新しい短剣を振るった。
刃が魔物の脇腹を浅く切る。
だが、残る二体が左右から迫っていた。
「《黒鎧》!」
黒い外殻が、澪の両腕を覆う。
風走狼の牙を腕で受け止める。
もう一体の爪が、澪の背中へ迫った。
「右後方」
「分かっています!」
身体を沈め、爪を回避。
そのまま黒鎧に覆われた拳を、風走狼の顎へ叩き込んだ。
一体が宙へ浮く。
しかし、最初に斬られた個体が立ち上がっていた。
「仕留めきれてないぞ」
「見れば分かります!」
「なら、どうする?」
「もう一度斬ります!」
「遅い」
「だったら、どうすれば――」
風走狼が澪の死角へ回り込む。
俺は動かない。
澪が自分で対処できる範囲だ。
「目で追うな。気配を感じろ」
「簡単に言わないでください!」
「目を閉じろ」
「戦闘中ですよ!?」
「視界に頼るから遅れる」
「噛まれたらどうするんです!」
「俺がいる」
澪が一瞬だけ俺を見る。
やがて覚悟を決め、目を閉じた。
「呼吸を整えろ。音だけを聞くな。足音が空気を押す感覚を探せ」
風走狼が走る。
爪が床を擦る。
空気の揺れ。
澪が、ほんのわずかに身体を動かした。
風走狼が背後から跳躍する。
「そこ!」
振り返ることなく、澪が短剣を突き出した。
刃が風走狼の喉を貫く。
魔物が地面へ落ちた。
澪はすぐに目を開き、残る二体と向き合う。
今度は動きを正確に読み、攻撃を回避。
黒鎧で爪を受け、短剣で急所を貫いた。
三体目が倒れる。
澪は荒い呼吸を繰り返しながら、しばらく動かなかった。
「……終わりました」
「ああ」
「一人で、三体」
「よくできたな」
頭を撫でようとして、手を止める。
昨日は許されたが、毎回許されるとは限らない。
その手を見た澪が、少しだけ眉を寄せた。
「何です?」
「いや。嫌かと思って」
「昨日は勝手に抱きついた人が、今さら何を遠慮しているんですか?」
「あれは感極まっただけだ」
「それで許されるなら警察は必要ありません」
「高嶺さんと同じこと言うなよ」
「どうぞ」
澪が少しだけ頭を下げる。
「いいのか?」
「今だけです」
「昨日も聞いたな、それ」
黒髪へ触れ、軽く撫でる。
「本当によくやった」
「……当然です」
言葉とは反対に、耳が赤い。
ミレアも褒められたときは、よく同じ顔をしていた。
「では、魔石を吸収します」
澪が風走狼の魔石を拾い上げる。
「全部は必要ない。一番大きなものを選べ」
「どうしてです?」
「魔石が大きい個体ほど、多くの力を蓄えてる。ただし、同じ種類の能力を何度も奪っても効果は薄い」
「相変わらず、妙に詳しいですね」
「人生経験が豊富だからな」
「女性関係の話ではありません」
「そっちも豊富だぞ」
「聞いていません」
澪が魔石を両手で握る。
「受け入れるな。奪え」
「分かっています」
目を閉じ、魔力を流し込む。
青い結晶に亀裂が走った。
風のような光が澪の腕を伝い、身体へ吸収される。
《追加能力を獲得しました》
《疾風脚》
端末に表示された文字を見て、澪の瞳が輝く。
「新しい能力……」
「使ってみろ」
「ここでですか?」
「善は急げ」
「では――《疾風脚》」
澪の脚を、青い風が包む。
次の瞬間。
彼女の姿が視界から消えた。
「きゃああああっ!?」
悲鳴が通路へ響く。
数十メートル先の壁へ激突する寸前、俺は澪の背後へ回り込み、その身体を受け止めた。
「速いな」
「止まり方も教えてください!」
「聞かなかっただろ」
「普通は一緒に教えます!」
「俺の胸へ飛び込むために、わざとかと」
「今すぐ離してください!」
澪が暴れる。
慌てて解放した。
「他の女には平気で触るのに、私にはすぐ離れるんですね」
「離せって言ったのは澪だろ?」
「……そうですが」
「何か不満?」
「ありません!」
勢いよく顔を背けられた。
扱いが難しい。
◇
地下三階まで進んだ時点で、澪は《疾風脚》をかなり使いこなせるようになっていた。
出現した魔物は、すべて澪が倒している。
俺がしたのは、助言と魔石の選別だけ。
「右から二体」
「はい!」
《疾風脚》で一体目の懐へ潜り込む。
短剣で急所を貫き、背後から来た攻撃を《黒鎧》で防ぐ。
二つの能力は同時に使えない。
移動の直後に《疾風脚》を解除し、《黒鎧》へ切り替える必要がある。
最初は切り替えに数秒かかっていたが、今は一秒を切っている。
「クズ、次は?」
「左奥の奴が指揮役だ」
「分かりました!」
澪が再び走り出す。
初めて会ったときとは、別人のような動きだった。
一年間もFランクに留まっていたのは、才能がなかったからではない。
自分の才能に合わない戦い方を押しつけられていただけだ。
最後の魔物を倒し、澪が振り返る。
「どうでした?」
「七十五点」
「低くありませんか?」
「能力の切り替えは悪くない。ただ、速度に振り回されてる。あと、二度目の攻撃で右肩が上がった」
「見ていたんですか?」
「ずっと見てた」
「……そうですか」
なぜか澪が髪を整え始めた。
「どうした?」
「何でもありません」
「顔赤いけど」
「運動したからです!」
「まだ何も言ってない」
「言おうとしていました!」
分かりやすい。
「でも、成長は予想より早い」
「当然です。誰に教わっていると思っているんですか?」
「俺」
「そこは否定しません」
澪が、少しだけ誇らしそうに笑った。
「この調子なら、一か月でCランクも夢ではありませんね」
「だから一週間で充分だって言っただろ」
「それは調子に乗りすぎです」
「賭ける?」
「何をです?」
「一週間以内にCランクになれたら、俺の言うことを一つ聞く」
「嫌です」
「まだ内容を言ってない」
「あなたが提示する条件に、安全なものが含まれているとは思えません」
「焼肉を奢ってほしいだけかもしれない」
「自分で払ってください」
「膝枕とか」
「却下です」
「添い寝」
「ダンジョンへ置いて帰りますよ」
「じゃあ、デート」
「三つの中では一番まともですね」
「なら決まり」
「了承していません!」
澪が俺を睨みつける。
「逆に、一週間でCランクになれなかったら?」
「澪の言うことを一つ聞く」
「では、女性関係を――」
「その条件は禁止」
「どうしてですか!」
「俺の存在意義がなくなる」
「他の存在意義を探してください!」
そのとき。
通路の奥で、空間が揺れた。
石壁に黒い亀裂が走る。
周囲の魔力が、急激に濃くなっていく。
「下がれ、澪」
俺は彼女の前へ出た。
黒い亀裂が広がり、扉の形へ変わっていく。
地下一階から三階までの構造は、管理局によって完全に調査されているはずだ。
こんな扉が出現するという情報はなかった。
「これは……隠し部屋でしょうか?」
「違う」
扉の向こうから、強い魔力を感じる。
そして、どこか懐かしい気配。
「転移門だ」
「どうして分かるんです?」
「似たものを見たことがある」
「入るんですか?」
「危険だからやめておこう」
「意外ですね」
「俺を何だと思ってるんだ」
「危険と女性には、とりあえず近づく人」
「否定しにくい」
扉から距離を取ろうとする。
その瞬間、黒い光が俺たちの足元へ伸びた。
「澪!」
手を伸ばし、澪の腕を掴む。
周囲の景色が歪んだ。
「クズ、これは!?」
「転移が始まった!」
「止められないんですか!」
「無理だ!」
「役立たず!」
「俺に言うな!」
黒い光が、二人の身体を呑み込んだ。
◇
次に視界が開けたとき。
俺たちは、灼熱の大空洞へ投げ出されていた。
「クズ!」
「掴まれ!」
空中で澪の身体を抱き寄せる。
地面まで、約三十メートル。
俺は身体を回転させ、自分が下になる。
気を背中へ集中。
地面へ激突すると同時に衝撃を散らした。
轟音とともに、岩盤が陥没する。
「怪我は?」
「ありません」
「よかった」
「ですが、いつまで抱き締めているんです?」
「安全確認」
「手が腰より下へ移動しています」
「重力のせいだ」
「離してください!」
黒鎧に覆われた拳が腹へ入る。
「ぐっ!?」
「黒鎧鬼は倒せるのに、どうして私の拳では痛がるんですか?」
「精神的な問題だ」
立ち上がり、周囲を見渡す。
見覚えのない階層だった。
壁から赤い結晶が生え、地面の亀裂から炎が噴き出している。
探索端末は位置情報を取得できず、地図にも何も表示されていない。
「少なくとも、三階ではないな」
「先頭を歩いていたのはクズです」
「澪が変な扉を呼び出したんじゃないか?」
「言いがかりです!」
「君と会ってから異常ばかり起きてる」
「それを言うなら、私もあなたと会ってから異常ばかりです!」
否定できない。
遠くから爆発音が響いた。
続いて、女の声。
「みんな、ごめん! これ、マジでヤバいやつかも!」
「誰かいる」
「行きましょう!」
澪が走り出す。
「待て。罠かもしれない」
「助けを求める声を無視するんですか?」
「……本当に、そういうところまで似てるな」
「何か言いました?」
「何でもない。俺が前を行く」
声の方向へ駆ける。
岩壁を抜けた先に、巨大な空間が広がっていた。
中央で、一頭の龍が暴れている。
黒と赤の鱗。
大きく広げられた翼。
口元から漏れ出す漆黒の炎。
周囲には三人の探索者が倒れていた。
その前に、一人の女が立っている。
ハニーブロンドの髪を高い位置で結び、内側には鮮やかな赤色が入っている。健康的に焼けた肌。赤と黒を基調とした軽装。
女の周囲を、複数の撮影用ドローンが飛んでいた。
『朱音ちゃん逃げて!』
『救助要請は!?』
『十五階にこんな奴出ないだろ!』
『獄炎龍ってSランク相当じゃなかった!?』
『配信切って逃げろ!』
ドローンから、無数のコメントが立体映像として流れている。
「逃げたいのは山々なんだけどさ!」
女――火神朱音が、両拳へ炎をまとわせる。
「後ろに仲間がいるんで、そういうわけにもいかないっしょ!」
地面を蹴り、獄炎龍へ飛びかかる。
「《炎天舞踏》!」
回し蹴りから、巨大な炎の鳥が放たれた。
「《鳳凰翔》!」
炎の鳥が獄炎龍へ直撃。
爆発が巻き起こる。
しかし、獄炎龍は無傷だった。
「だよねー! 炎効かないよねー!」
朱音の顔が引きつる。
獄炎龍が口を開いた。
漆黒の炎が凝縮される。
「朱音、伏せろ!」
「え?」
俺は朱音の前へ割り込んだ。
獄炎龍から、黒炎の奔流が放たれる。
両手を前へ出す。
炎と掌が接触した。
『誰!?』
『男が入ってきた!』
『死ぬ死ぬ死ぬ!』
『素手で受けるな!』
『装備してないじゃん!』
黒炎の流れに沿って、両腕を円状に動かす。
受け止める必要はない。
正面から力をぶつける必要もない。
敵の力を受け流し、循環させ、元の場所へ返す。
仙闘術――《返天》。
「返すぞ」
黒炎を押し返す。
漆黒の奔流が反転し、獄炎龍自身を呑み込んだ。
轟音。
巨体が炎に包まれ、大きく後退する。
『は?』
『今、炎を押し返した?』
『魔術?』
『いやスキルの発動光なかったぞ』
『ていうか、こいつ誰だよ』
朱音も目を丸くしていた。
「え、ちょ、待って。お兄さん、ガチで誰?」
「通りすがりのFランク」
「それ信じる奴いると思う?」
俺の首から下げた探索者証を確認し、朱音の表情が固まる。
「……本当にFって書いてある」
「昨日なった」
「新人じゃん!」
「優しくしてくれ」
「FランクがSランク相当の攻撃を素手で返すな!」
「日頃の運動が大切なんだ」
「どんなジム通ってんの!? うちも入会したいんだけど!」
「月謝はデート一回で」
「顔は百点。言動がマイナス二百点」
「合計マイナス百点か」
「計算できて偉いじゃん」
「クズ!」
澪の声が響く。
「戦闘中に何を口説いているんですか!」
「挨拶だ」
「あなたの挨拶は社会に害を与えます!」
澪は倒れている探索者たちへ駆け寄っていた。
獄炎龍の身体から、黒炎が膨れ上がる。
「澪、そいつらを守れるか?」
「やります!」
澪が負傷者たちの前へ立つ。
「《黒鎧》!」
黒い外殻が両腕から肩、胸元まで広がった。
黒炎の余波が襲いかかる。
澪は両腕を交差させ、負傷者たちを庇った。
「ぐっ……!」
「澪ち、無茶!」
朱音が叫ぶ。
「澪ち?」
「細かいことはあと! うちも手伝う!」
朱音が澪の横へ並び、炎の壁を展開する。
黒炎と赤炎がぶつかり合った。
「お兄さん!」
「燈矢でいい」
「じゃあトーヤっち! こっちは任せて!」
「クズでいいです!」
「澪、勝手に俺の呼び方を広めるな!」
「どちらでもいいから早くしてください!」
仕方ない。
獄炎龍へ向き直る。
黒炎を返された程度では、大した損傷になっていない。
現代の基準ではSランク相当。
異世界なら、魔王軍の将軍に少し届かない程度か。
聖剣を使うまでもない。
魔術も必要ない。
俺は膝を曲げ、地面を蹴った。
岩盤が砕ける。
一瞬で獄炎龍の頭上へ到達する。
龍の赤い目が俺を捉えた。
巨大な尾が迫る。
空中で尾を踏み台にし、さらに高く跳ぶ。
『飛んだ!?』
『何今の!?』
『人間の動きじゃない!』
『Fランクとは』
『ランク制度壊れる』
「悪いな」
獄炎龍の頭へ、右足を載せる。
「少しだけ、下へ行ってくれ」
気を足裏から放った。
獄炎龍の巨体が、頭から地面へ叩き落とされる。
大空洞全体が揺れた。
岩盤が蜘蛛の巣状に割れ、巨大な龍の身体が半分近く地面へ埋まる。
獄炎龍が起き上がろうとした。
頭から血を流しながら、それでも俺を睨みつける。
「まだ動けるか」
俺は拳を握る。
「なら、もう一度――」
獄炎龍が目を閉じた。
抵抗をやめ、力なく地面へ頭を落とす。
死んだ。
「賢い奴だな」
大空洞が静まり返る。
撮影用ドローンだけが、俺の姿を映し続けていた。
『…………』
『…………』
『え?』
『終わり?』
『Sランク相当だよね?』
『踏んだだけなんだけど』
『さっきFランクって言ってなかった?』
『昨日、黒鎧鬼を倒した奴じゃない?』
『東京第三の監視映像に似てる』
『特定班はよ』
『横にいる黒髪の子かわいくね?』
『澪ちって呼ばれてた』
『新人コンビ?』
『推せる』
コメントが猛烈な速度で流れ始める。
同時視聴者数が、目に見えて増えていった。
三万人。
五万人。
十万人。
「トーヤっち」
朱音が俺の隣へやってくる。
「あんた、何者?」
「無職」
「それは聞いた」
「今日からFランク探索者」
「Fランクが龍を踏み潰すな!」
朱音の叫びが、大空洞に響き渡る。
澪が負傷者の無事を確認し、こちらへ歩いてきた。
「クズ」
「今度は何だ?」
「配信に、顔が映っています」
「別にいいだろ」
「同時視聴者、二十万人です」
「随分増えたな」
「それだけではありません」
澪が自分の端末を見せる。
通知が、滝のように流れていた。
《あなたが映った動画が切り抜かれました》
《“謎のFランク少女”が急上昇ワードに入りました》
《探索映像が急上昇ランキング一位になりました》
《フォロワーが一万人を突破しました》
《フォロワーが三万人を突破しました》
《フォロワーが五万人を突破しました》
「私、配信を始めた覚えはないのですが」
「人気者だな」
「クズのせいです」
「俺、君を助けただけだぞ?」
「その結果、世界中に顔が知られました」
「美人だから仕方ない」
「容姿について発言しないでください!」
「ねえねえ」
朱音が、にやにやしながら俺たちを見ている。
「二人って、付き合ってんの?」
「違います!」
澪が即答した。
「答え、はやっ」
「一か月限定のパーティーメンバーです」
「へえ。じゃあ一か月後には彼氏になる感じ?」
「なりません!」
「でも澪ち、めっちゃ顔赤いよ?」
「これは戦闘後だからです!」
「戦ってたの、ほとんどトーヤっちじゃん」
「私も戦いました!」
「そっかそっか。青春じゃん」
「話を聞いてください!」
「ところで朱音。今夜、空いてる?」
「クズ!」
「切り替え早っ!」
朱音が腹を抱えて笑う。
「いいよー。澪ちも一緒なら」
「二人きりがいい」
「それは無理。初対面の男と二人とか、普通に怖くね?」
「俺、信用なさそう?」
「顔は百点。言動がマイナス二百点」
「それ、さっきも聞いた」
「大事なことだから二回言った」
「クズ。今すぐ獄炎龍と一緒に埋まってください」
「もう倒しただろ」
「掘り起こします」
「そこまでして?」
朱音の笑い声と、澪の怒声。
そして、流れ続ける無数のコメント。
こうして俺と澪の初めての正式なダンジョン攻略は、始まったその日のうちに世界中へ配信された。
もっとも、このときの俺はまだ知らなかった。
無名のFランク探索者だった夜凪澪が、この映像をきっかけに世界中から注目されることも。
彼女を追放した者たちが、手のひらを返して近づいてくることも。
そして。
獄炎龍が死の間際まで見つめていたのは、俺ではなく澪だったことも。
その瞳に宿っていたものが、敵意ではなく――紛れもない恐怖だったことも。




