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第三話 Fランク少女を育てていたら、なぜか配信に映り込んだ


「見ません」


「まだ何も言ってませんけど」


「絶対に見ません」


 探索者用装備店の試着室。


 閉ざされたカーテンの向こうから、澪の警戒心に満ちた声が聞こえてくる。


 俺は待合用の椅子へ腰を下ろし、店内に並んだ武器を眺めていた。


「装備が合うか確認するだけだろ」


「店員さんを呼びます」


「俺が選んだんだから、俺が見た方が早い」


「その理屈で女性の着替えを覗けると思わないでください」


「覗くなんて言ってない」


「では、どうやって確認するんです?」


「着替え終わってから見る」


「……普通ですね」


「俺を何だと思ってるんだ」


「無職で女好きのクズ」


「俺の情報が昨日から更新されてないな」


「昨日会ったばかりなので当然です」


 一か月限定のパーティーを結成した翌日。


 俺たちは東京第五ダンジョン――通称《渋谷迷宮》へ挑むため、装備を揃えに来ていた。


 澪が持っていた剣と軽装鎧は、昨日の戦闘で完全に壊れている。


 本人は「修理すれば使える」と言い張ったが、半分から折れた剣を修理するくらいなら、金属の棒を拾った方が早い。


 そこで俺が新しい装備を買うことになった。


 本人は最後まで拒否していたが、


『俺の指導中に壊れた装備で怪我をされたら寝覚めが悪い』


 と説得した。


 実際には、もう二度と彼女が傷つくところを見たくないだけだ。


「着替えました」


「開けていいか?」


「少し待ってください」


「着替えたんじゃないのか?」


「着替えましたが、問題が発生しました」


「どんな?」


「…………」


「澪?」


「胸が、きついです」


「…………」


「なぜ黙るんです?」


「俺の口からは、何を言っても正解にならない気がして」


「珍しく賢明な判断ですね」


 スレンダーな体格だから、細身の装備を選んだ。


 どうやら一部の寸法だけ、俺の想定を上回っていたらしい。


「一つ大きいサイズにするか?」


「そうすると腰回りが余ります」


「調整用のベルトを使えばいい」


「分かりました。店員さんへ交換を頼んできてください」


「そのまま見せてくれた方が――」


「クズ」


「はい」


 反射的に返事をしてしまった。


 ついこの前まで《曙光の勇者》と呼ばれていたはずなのに、随分と身体へ馴染んだ呼び名である。


 女性店員を呼び、新しい装備を渡す。


 数分後、カーテンが開いた。


 黒を基調とした戦闘用インナー。


 その上から、胸元と腰、両腕を守る軽装鎧。


 下半身は動きやすさを重視したショートパンツと、膝まで届くブーツ。


 長い黒髪は高い位置で一つに結ばれている。


 ミレアが身にまとっていた黒いドレスとは、まるで違う。


 それでも、よく似合っていた。


「どうでしょう」


「似合ってる」


「……それだけですか?」


「他にも言っていいのか?」


「やはり結構です」


「何で聞いたんだよ」


「サイズが合っているか確認しただけです」


「胸元は?」


 澪の右手が動いた。


 飛んできた値札を、指で挟んで受け止める。


「サイズの話だろ?」


「今の間が気持ち悪かったので」


「理不尽だ」


「普段の行いです」


 澪は近くに置かれた姿見の前で身体を動かす。


 腕を回し、腰をひねり、しゃがみ込む。


 動きを邪魔する箇所がないか、真剣に確認していた。


「悪くありません」


「だろ?」


「ですが、高すぎます」


 澪が値札を見る。


 顔が引きつった。


「一式で七十八万円……?」


「命を守るものだからな」


「昨日、二百四十万円の魔石を消費したばかりですよ!」


「俺の金だから気にするな」


「あなたは無職でしょう!」


「金はある」


「その考え方だと、すぐになくなります!」


「そのときは澪に養ってもらう」


「どうして私が!?」


「世界最強の探索者になれば稼げるだろ?」


「最初からそれが目的だったんですか!」


「美人に養ってもらうのが夢だって言ったはずだ」


「最低です! 今すぐ全部脱ぎます!」


「店の真ん中で?」


「試着室でです!」


 澪がカーテンの奥へ戻ろうとする。


 その肩を掴んで止めた。


「冗談だ」


「あなたの場合、どこまでが冗談か分かりません」


「装備は俺からの貸与ということにしよう」


「貸与?」


「一か月後、パーティーを解消するなら返してくれ。それまでは指導に必要だから使う」


「……それなら」


「ただし、汗の染み込んだ使用済み装備を返されても困るな」


「やはり脱ぎます」


「悪かった! 冗談だ!」


 再び試着室へ向かう澪を、今度は両肩を掴んで止める。


 近くにいた女性店員が、口元を押さえて笑っていた。


 会計の際、その店員から連絡先の書かれた紙を渡された。


 ありがたく受け取ろうとしたところで、横から澪に没収された。


「何するんだ」


「落とし物です」


「まだ落としてない」


「私が落とします」


「どこに?」


「ゴミ箱へ」


「人の好意を捨てるな!」


 店員が腹を抱えて笑い始めた。


     ◇


 東京第五ダンジョン、通称《渋谷迷宮》。


 全三十階層まで攻略されている、国内最大級の常設ダンジョンだ。


 階層ごとに推奨ランクが定められ、地下一階から三階まではFランク探索者にも開放されている。


 入口で資格証を提示する。


 係員が俺の顔と端末を交互に見た。


「葛城燈矢さん。Fランク、昨日登録……」


「新人です。優しくしてね」


「昨日、東京第三ダンジョンへ無資格侵入した方ですよね?」


「もう情報が回ってるのか」


「測定器を壊しかけた件も記録されています」


「壊してはいない」


「接近禁止指定を受けたと書かれていますが」


「あれは高嶺さんの横暴だ」


「澪さん。この人の監督をお願いします」


「任せてください」


「立場が逆じゃないか?」


 俺が澪を指導するはずだった。


 なぜか保護観察対象になっている。


 係員から探索用端末を受け取り、迷宮へ入る。


 内部は巨大な地下遺跡のようになっていた。


 石造りの通路が複雑に入り組み、天井には青白い結晶が埋め込まれている。


 周囲には初心者探索者の姿も多い。


 撮影用ドローンを連れている者もいた。


「配信してる奴が多いな」


「渋谷迷宮は電波環境が整備されていますから。初心者向けの配信場所として人気なんです」


「澪もやる?」


「やりません」


「美少女探索者として売れると思うけど」


「戦闘中に視聴者を楽しませる余裕などありません」


「俺が守るから平気だ」


「そういう問題では――」


「あ、今ちょっと顔が赤くなった」


「《黒鎧》」


 澪の右拳が黒い外殻に覆われた。


「ダンジョン内でパーティーメンバーへ攻撃するな!」


「私はまだ何もしていません」


「拳を構えてるだろ!」


「新しい能力の確認です」


「俺の顔面を狙って?」


「偶然です」


 昨日より《黒鎧》の発動が滑らかになっている。


 黒鎧鬼から得た力が、澪の身体へ馴染み始めていた。


 魔王としての記憶がなくても、能力を扱う感覚は魂に残っているのかもしれない。


「前方、来ます」


 澪の表情が変わる。


 通路の奥から、青い毛並みを持つ狼型の魔物が三体現れた。


《風走狼》。


 Fランク区画に出現する魔物だが、素早い動きで新人を翻弄する。


「三体か」


「私がやります」


「無理なら助けを呼べ」


「誰に?」


「愛と正義の勇者様」


「そんな人、どこにいるんです?」


「目の前」


「私には無職のクズしか見えません」


 澪が地面を蹴った。


 先頭の風走狼が飛びかかる。


 澪は左へ身をかわし、折れていない新しい短剣を振るった。


 刃が魔物の脇腹を浅く切る。


 だが、残る二体が左右から迫っていた。


「《黒鎧》!」


 黒い外殻が、澪の両腕を覆う。


 風走狼の牙を腕で受け止める。


 もう一体の爪が、澪の背中へ迫った。


「右後方」


「分かっています!」


 身体を沈め、爪を回避。


 そのまま黒鎧に覆われた拳を、風走狼の顎へ叩き込んだ。


 一体が宙へ浮く。


 しかし、最初に斬られた個体が立ち上がっていた。


「仕留めきれてないぞ」


「見れば分かります!」


「なら、どうする?」


「もう一度斬ります!」


「遅い」


「だったら、どうすれば――」


 風走狼が澪の死角へ回り込む。


 俺は動かない。


 澪が自分で対処できる範囲だ。


「目で追うな。気配を感じろ」


「簡単に言わないでください!」


「目を閉じろ」


「戦闘中ですよ!?」


「視界に頼るから遅れる」


「噛まれたらどうするんです!」


「俺がいる」


 澪が一瞬だけ俺を見る。


 やがて覚悟を決め、目を閉じた。


「呼吸を整えろ。音だけを聞くな。足音が空気を押す感覚を探せ」


 風走狼が走る。


 爪が床を擦る。


 空気の揺れ。


 澪が、ほんのわずかに身体を動かした。


 風走狼が背後から跳躍する。


「そこ!」


 振り返ることなく、澪が短剣を突き出した。


 刃が風走狼の喉を貫く。


 魔物が地面へ落ちた。


 澪はすぐに目を開き、残る二体と向き合う。


 今度は動きを正確に読み、攻撃を回避。


 黒鎧で爪を受け、短剣で急所を貫いた。


 三体目が倒れる。


 澪は荒い呼吸を繰り返しながら、しばらく動かなかった。


「……終わりました」


「ああ」


「一人で、三体」


「よくできたな」


 頭を撫でようとして、手を止める。


 昨日は許されたが、毎回許されるとは限らない。


 その手を見た澪が、少しだけ眉を寄せた。


「何です?」


「いや。嫌かと思って」


「昨日は勝手に抱きついた人が、今さら何を遠慮しているんですか?」


「あれは感極まっただけだ」


「それで許されるなら警察は必要ありません」


「高嶺さんと同じこと言うなよ」


「どうぞ」


 澪が少しだけ頭を下げる。


「いいのか?」


「今だけです」


「昨日も聞いたな、それ」


 黒髪へ触れ、軽く撫でる。


「本当によくやった」


「……当然です」


 言葉とは反対に、耳が赤い。


 ミレアも褒められたときは、よく同じ顔をしていた。


「では、魔石を吸収します」


 澪が風走狼の魔石を拾い上げる。


「全部は必要ない。一番大きなものを選べ」


「どうしてです?」


「魔石が大きい個体ほど、多くの力を蓄えてる。ただし、同じ種類の能力を何度も奪っても効果は薄い」


「相変わらず、妙に詳しいですね」


「人生経験が豊富だからな」


「女性関係の話ではありません」


「そっちも豊富だぞ」


「聞いていません」


 澪が魔石を両手で握る。


「受け入れるな。奪え」


「分かっています」


 目を閉じ、魔力を流し込む。


 青い結晶に亀裂が走った。


 風のような光が澪の腕を伝い、身体へ吸収される。


《追加能力を獲得しました》


《疾風脚(ゲイル・ステップ)》


 端末に表示された文字を見て、澪の瞳が輝く。


「新しい能力……」


「使ってみろ」


「ここでですか?」


「善は急げ」


「では――《疾風脚》」


 澪の脚を、青い風が包む。


 次の瞬間。


 彼女の姿が視界から消えた。


「きゃああああっ!?」


 悲鳴が通路へ響く。


 数十メートル先の壁へ激突する寸前、俺は澪の背後へ回り込み、その身体を受け止めた。


「速いな」


「止まり方も教えてください!」


「聞かなかっただろ」


「普通は一緒に教えます!」


「俺の胸へ飛び込むために、わざとかと」


「今すぐ離してください!」


 澪が暴れる。


 慌てて解放した。


「他の女には平気で触るのに、私にはすぐ離れるんですね」


「離せって言ったのは澪だろ?」


「……そうですが」


「何か不満?」


「ありません!」


 勢いよく顔を背けられた。


 扱いが難しい。


     ◇


 地下三階まで進んだ時点で、澪は《疾風脚》をかなり使いこなせるようになっていた。


 出現した魔物は、すべて澪が倒している。


 俺がしたのは、助言と魔石の選別だけ。


「右から二体」


「はい!」


 《疾風脚》で一体目の懐へ潜り込む。


 短剣で急所を貫き、背後から来た攻撃を《黒鎧》で防ぐ。


 二つの能力は同時に使えない。


 移動の直後に《疾風脚》を解除し、《黒鎧》へ切り替える必要がある。


 最初は切り替えに数秒かかっていたが、今は一秒を切っている。


「クズ、次は?」


「左奥の奴が指揮役だ」


「分かりました!」


 澪が再び走り出す。


 初めて会ったときとは、別人のような動きだった。


 一年間もFランクに留まっていたのは、才能がなかったからではない。


 自分の才能に合わない戦い方を押しつけられていただけだ。


 最後の魔物を倒し、澪が振り返る。


「どうでした?」


「七十五点」


「低くありませんか?」


「能力の切り替えは悪くない。ただ、速度に振り回されてる。あと、二度目の攻撃で右肩が上がった」


「見ていたんですか?」


「ずっと見てた」


「……そうですか」


 なぜか澪が髪を整え始めた。


「どうした?」


「何でもありません」


「顔赤いけど」


「運動したからです!」


「まだ何も言ってない」


「言おうとしていました!」


 分かりやすい。


「でも、成長は予想より早い」


「当然です。誰に教わっていると思っているんですか?」


「俺」


「そこは否定しません」


 澪が、少しだけ誇らしそうに笑った。


「この調子なら、一か月でCランクも夢ではありませんね」


「だから一週間で充分だって言っただろ」


「それは調子に乗りすぎです」


「賭ける?」


「何をです?」


「一週間以内にCランクになれたら、俺の言うことを一つ聞く」


「嫌です」


「まだ内容を言ってない」


「あなたが提示する条件に、安全なものが含まれているとは思えません」


「焼肉を奢ってほしいだけかもしれない」


「自分で払ってください」


「膝枕とか」


「却下です」


「添い寝」


「ダンジョンへ置いて帰りますよ」


「じゃあ、デート」


「三つの中では一番まともですね」


「なら決まり」


「了承していません!」


 澪が俺を睨みつける。


「逆に、一週間でCランクになれなかったら?」


「澪の言うことを一つ聞く」


「では、女性関係を――」


「その条件は禁止」


「どうしてですか!」


「俺の存在意義がなくなる」


「他の存在意義を探してください!」


 そのとき。


 通路の奥で、空間が揺れた。


 石壁に黒い亀裂が走る。


 周囲の魔力が、急激に濃くなっていく。


「下がれ、澪」


 俺は彼女の前へ出た。


 黒い亀裂が広がり、扉の形へ変わっていく。


 地下一階から三階までの構造は、管理局によって完全に調査されているはずだ。


 こんな扉が出現するという情報はなかった。


「これは……隠し部屋でしょうか?」


「違う」


 扉の向こうから、強い魔力を感じる。


 そして、どこか懐かしい気配。


「転移門だ」


「どうして分かるんです?」


「似たものを見たことがある」


「入るんですか?」


「危険だからやめておこう」


「意外ですね」


「俺を何だと思ってるんだ」


「危険と女性には、とりあえず近づく人」


「否定しにくい」


 扉から距離を取ろうとする。


 その瞬間、黒い光が俺たちの足元へ伸びた。


「澪!」


 手を伸ばし、澪の腕を掴む。


 周囲の景色が歪んだ。


「クズ、これは!?」


「転移が始まった!」


「止められないんですか!」


「無理だ!」


「役立たず!」


「俺に言うな!」


 黒い光が、二人の身体を呑み込んだ。


     ◇


 次に視界が開けたとき。


 俺たちは、灼熱の大空洞へ投げ出されていた。


「クズ!」


「掴まれ!」


 空中で澪の身体を抱き寄せる。


 地面まで、約三十メートル。


 俺は身体を回転させ、自分が下になる。


 気を背中へ集中。


 地面へ激突すると同時に衝撃を散らした。


 轟音とともに、岩盤が陥没する。


「怪我は?」


「ありません」


「よかった」


「ですが、いつまで抱き締めているんです?」


「安全確認」


「手が腰より下へ移動しています」


「重力のせいだ」


「離してください!」


 黒鎧に覆われた拳が腹へ入る。


「ぐっ!?」


「黒鎧鬼は倒せるのに、どうして私の拳では痛がるんですか?」


「精神的な問題だ」


 立ち上がり、周囲を見渡す。


 見覚えのない階層だった。


 壁から赤い結晶が生え、地面の亀裂から炎が噴き出している。


 探索端末は位置情報を取得できず、地図にも何も表示されていない。


「少なくとも、三階ではないな」


「先頭を歩いていたのはクズです」


「澪が変な扉を呼び出したんじゃないか?」


「言いがかりです!」


「君と会ってから異常ばかり起きてる」


「それを言うなら、私もあなたと会ってから異常ばかりです!」


 否定できない。


 遠くから爆発音が響いた。


 続いて、女の声。


「みんな、ごめん! これ、マジでヤバいやつかも!」


「誰かいる」


「行きましょう!」


 澪が走り出す。


「待て。罠かもしれない」


「助けを求める声を無視するんですか?」


「……本当に、そういうところまで似てるな」


「何か言いました?」


「何でもない。俺が前を行く」


 声の方向へ駆ける。


 岩壁を抜けた先に、巨大な空間が広がっていた。


 中央で、一頭の龍が暴れている。


 黒と赤の鱗。


 大きく広げられた翼。


 口元から漏れ出す漆黒の炎。


 周囲には三人の探索者が倒れていた。


 その前に、一人の女が立っている。


 ハニーブロンドの髪を高い位置で結び、内側には鮮やかな赤色が入っている。健康的に焼けた肌。赤と黒を基調とした軽装。


 女の周囲を、複数の撮影用ドローンが飛んでいた。


『朱音ちゃん逃げて!』


『救助要請は!?』


『十五階にこんな奴出ないだろ!』


『獄炎龍ってSランク相当じゃなかった!?』


『配信切って逃げろ!』


 ドローンから、無数のコメントが立体映像として流れている。


「逃げたいのは山々なんだけどさ!」


 女――火神朱音が、両拳へ炎をまとわせる。


「後ろに仲間がいるんで、そういうわけにもいかないっしょ!」


 地面を蹴り、獄炎龍へ飛びかかる。


「《炎天舞踏(ブレイズ・ダンス)》!」


 回し蹴りから、巨大な炎の鳥が放たれた。


「《鳳凰翔》!」


 炎の鳥が獄炎龍へ直撃。


 爆発が巻き起こる。


 しかし、獄炎龍は無傷だった。


「だよねー! 炎効かないよねー!」


 朱音の顔が引きつる。


 獄炎龍が口を開いた。


 漆黒の炎が凝縮される。


「朱音、伏せろ!」


「え?」


 俺は朱音の前へ割り込んだ。


 獄炎龍から、黒炎の奔流が放たれる。


 両手を前へ出す。


 炎と掌が接触した。


『誰!?』


『男が入ってきた!』


『死ぬ死ぬ死ぬ!』


『素手で受けるな!』


『装備してないじゃん!』


 黒炎の流れに沿って、両腕を円状に動かす。


 受け止める必要はない。


 正面から力をぶつける必要もない。


 敵の力を受け流し、循環させ、元の場所へ返す。


 仙闘術――《返天》。


「返すぞ」


 黒炎を押し返す。


 漆黒の奔流が反転し、獄炎龍自身を呑み込んだ。


 轟音。


 巨体が炎に包まれ、大きく後退する。


『は?』


『今、炎を押し返した?』


『魔術?』


『いやスキルの発動光なかったぞ』


『ていうか、こいつ誰だよ』


 朱音も目を丸くしていた。


「え、ちょ、待って。お兄さん、ガチで誰?」


「通りすがりのFランク」


「それ信じる奴いると思う?」


 俺の首から下げた探索者証を確認し、朱音の表情が固まる。


「……本当にFって書いてある」


「昨日なった」


「新人じゃん!」


「優しくしてくれ」


「FランクがSランク相当の攻撃を素手で返すな!」


「日頃の運動が大切なんだ」


「どんなジム通ってんの!? うちも入会したいんだけど!」


「月謝はデート一回で」


「顔は百点。言動がマイナス二百点」


「合計マイナス百点か」


「計算できて偉いじゃん」


「クズ!」


 澪の声が響く。


「戦闘中に何を口説いているんですか!」


「挨拶だ」


「あなたの挨拶は社会に害を与えます!」


 澪は倒れている探索者たちへ駆け寄っていた。


 獄炎龍の身体から、黒炎が膨れ上がる。


「澪、そいつらを守れるか?」


「やります!」


 澪が負傷者たちの前へ立つ。


「《黒鎧》!」


 黒い外殻が両腕から肩、胸元まで広がった。


 黒炎の余波が襲いかかる。


 澪は両腕を交差させ、負傷者たちを庇った。


「ぐっ……!」


「澪ち、無茶!」


 朱音が叫ぶ。


「澪ち?」


「細かいことはあと! うちも手伝う!」


 朱音が澪の横へ並び、炎の壁を展開する。


 黒炎と赤炎がぶつかり合った。


「お兄さん!」


「燈矢でいい」


「じゃあトーヤっち! こっちは任せて!」


「クズでいいです!」


「澪、勝手に俺の呼び方を広めるな!」


「どちらでもいいから早くしてください!」


 仕方ない。


 獄炎龍へ向き直る。


 黒炎を返された程度では、大した損傷になっていない。


 現代の基準ではSランク相当。


 異世界なら、魔王軍の将軍に少し届かない程度か。


 聖剣を使うまでもない。


 魔術も必要ない。


 俺は膝を曲げ、地面を蹴った。


 岩盤が砕ける。


 一瞬で獄炎龍の頭上へ到達する。


 龍の赤い目が俺を捉えた。


 巨大な尾が迫る。


 空中で尾を踏み台にし、さらに高く跳ぶ。


『飛んだ!?』


『何今の!?』


『人間の動きじゃない!』


『Fランクとは』


『ランク制度壊れる』


「悪いな」


 獄炎龍の頭へ、右足を載せる。


「少しだけ、下へ行ってくれ」


 気を足裏から放った。


 獄炎龍の巨体が、頭から地面へ叩き落とされる。


 大空洞全体が揺れた。


 岩盤が蜘蛛の巣状に割れ、巨大な龍の身体が半分近く地面へ埋まる。


 獄炎龍が起き上がろうとした。


 頭から血を流しながら、それでも俺を睨みつける。


「まだ動けるか」


 俺は拳を握る。


「なら、もう一度――」


 獄炎龍が目を閉じた。


 抵抗をやめ、力なく地面へ頭を落とす。


 死んだ。


「賢い奴だな」


 大空洞が静まり返る。


 撮影用ドローンだけが、俺の姿を映し続けていた。


『…………』


『…………』


『え?』


『終わり?』


『Sランク相当だよね?』


『踏んだだけなんだけど』


『さっきFランクって言ってなかった?』


『昨日、黒鎧鬼を倒した奴じゃない?』


『東京第三の監視映像に似てる』


『特定班はよ』


『横にいる黒髪の子かわいくね?』


『澪ちって呼ばれてた』


『新人コンビ?』


『推せる』


 コメントが猛烈な速度で流れ始める。


 同時視聴者数が、目に見えて増えていった。


 三万人。


 五万人。


 十万人。


「トーヤっち」


 朱音が俺の隣へやってくる。


「あんた、何者?」


「無職」


「それは聞いた」


「今日からFランク探索者」


「Fランクが龍を踏み潰すな!」


 朱音の叫びが、大空洞に響き渡る。


 澪が負傷者の無事を確認し、こちらへ歩いてきた。


「クズ」


「今度は何だ?」


「配信に、顔が映っています」


「別にいいだろ」


「同時視聴者、二十万人です」


「随分増えたな」


「それだけではありません」


 澪が自分の端末を見せる。


 通知が、滝のように流れていた。


《あなたが映った動画が切り抜かれました》


《“謎のFランク少女”が急上昇ワードに入りました》


《探索映像が急上昇ランキング一位になりました》


《フォロワーが一万人を突破しました》


《フォロワーが三万人を突破しました》


《フォロワーが五万人を突破しました》


「私、配信を始めた覚えはないのですが」


「人気者だな」


「クズのせいです」


「俺、君を助けただけだぞ?」


「その結果、世界中に顔が知られました」


「美人だから仕方ない」


「容姿について発言しないでください!」


「ねえねえ」


 朱音が、にやにやしながら俺たちを見ている。


「二人って、付き合ってんの?」


「違います!」


 澪が即答した。


「答え、はやっ」


「一か月限定のパーティーメンバーです」


「へえ。じゃあ一か月後には彼氏になる感じ?」


「なりません!」


「でも澪ち、めっちゃ顔赤いよ?」


「これは戦闘後だからです!」


「戦ってたの、ほとんどトーヤっちじゃん」


「私も戦いました!」


「そっかそっか。青春じゃん」


「話を聞いてください!」


「ところで朱音。今夜、空いてる?」


「クズ!」


「切り替え早っ!」


 朱音が腹を抱えて笑う。


「いいよー。澪ちも一緒なら」


「二人きりがいい」


「それは無理。初対面の男と二人とか、普通に怖くね?」


「俺、信用なさそう?」


「顔は百点。言動がマイナス二百点」


「それ、さっきも聞いた」


「大事なことだから二回言った」


「クズ。今すぐ獄炎龍と一緒に埋まってください」


「もう倒しただろ」


「掘り起こします」


「そこまでして?」


 朱音の笑い声と、澪の怒声。


 そして、流れ続ける無数のコメント。


 こうして俺と澪の初めての正式なダンジョン攻略は、始まったその日のうちに世界中へ配信された。


 もっとも、このときの俺はまだ知らなかった。


 無名のFランク探索者だった夜凪澪が、この映像をきっかけに世界中から注目されることも。


 彼女を追放した者たちが、手のひらを返して近づいてくることも。


そして。


獄炎龍が死の間際まで見つめていたのは、俺ではなく澪だったことも。


その瞳に宿っていたものが、敵意ではなく――紛れもない恐怖だったことも。

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