第二話 最低ランクの勇者と、役立たずの魔王
「動くな!」
大広間へ踏み込んできた武装集団が、俺へ一斉に剣と杖を向けた。
総勢十二人。
胸元には、盾を模した銀色の徽章。
東京第三ダンジョンの救助隊だろう。
「武器を捨てて、両手を頭の後ろへ!」
「武器なら持ってない」
「では、今すぐ両手を――」
「ただし、そこの黒い奴を殴り殺した拳は二つある」
「両手を頭の後ろへ!」
先ほどより強い口調で命令された。
仕方なく従う。
「おかしいな。人命救助したはずなのに、犯罪者みたいな扱いを受けてる」
「みたい、ではなく犯罪者です」
隣に立っていた澪が、冷たい声で訂正してくる。
「無資格でダンジョンへ侵入したのでしょう?」
「君を助けるためだったんだけど」
「助けてもらったことには感謝しています。しかし、犯罪は犯罪です」
「恩人を売るのか?」
「出会って十分で抱きついてきた変態を、恩人と呼び続けるべきか悩んでいます」
「じゃあ、恋人で」
「なぜ距離が縮まったんですか?」
「なら将来を誓い合った関係」
「救助隊の皆さん。この人です」
「待て。何が?」
「たぶん余罪があります」
ひどい。
救助隊員たちの視線が、目に見えて険しくなっていく。
「誤解だ。俺は法に触れるようなことは何もしていない」
「無資格侵入は?」
「今日が初犯だ」
「胸を張らないでください」
救助隊長らしき男が、疲れたように眉間を押さえた。
「詳しい話は地上で聞きます。抵抗せず、同行してください」
「抵抗する気はないけど、その前に」
俺は大広間の隅を示した。
「負傷者が二人いる。止血はしたが、片方は右腕を骨折。もう一人は脇腹を深く切られている。先に運んでやってくれ」
隊員たちの表情が変わる。
救護班がすぐに負傷者へ駆け寄った。
「止血したのは、あなたですか?」
「手持ち無沙汰だったから」
「気の流れを整え、血管を圧迫せずに出血だけを抑えている……?」
治療を担当した女が驚きの声を上げる。
「どうやったんです?」
「少し押した」
「あなた、先ほどから何でも押して解決しようとしますね」
澪に呆れられた。
「押せば大体どうにかなる」
「開かない扉も?」
「押す」
「壊れた機械も?」
「押す」
「引き戸だったら?」
「……引く」
「そこは分かるんですね」
俺を何だと思っているのだろう。
救助隊長が黒鎧鬼の死体を調べていた。
黒い外骨格には、傷一つついていない。
代わりに背中だけが内側から吹き飛び、床に黒い血が広がっていた。
「この《黒鎧鬼》を倒したのも、あなたですか?」
「そうだ」
「武器は?」
「使ってない」
「スキルは?」
「使ってない」
「魔術は?」
「使ってない」
「では、何を?」
「少し押した」
「…………」
救助隊長が澪を見る。
澪は静かにうなずいた。
「残念ながら、本人の証言どおりです」
「残念ながら?」
「認めたくないので」
「助けた本人の前で言うことか?」
「あなたがもう少しまともなら、素直に感謝できたのですが」
「俺は至ってまともだぞ」
「出会ってからの自分の言動を思い返してください」
思い返してみる。
「確かに、君を口説くのが少し早かったかもしれない」
「それ以外にもあります!」
澪が叫ぶ。
元気になったようで何よりだった。
◇
地上へ戻った俺は、救急車ではなく、ダンジョン管理局の車へ乗せられた。
手錠こそされなかったが、両隣には屈強な男が座っている。
正面には澪。
どうして彼女まで一緒なのかと聞いたところ、重要参考人だかららしい。
「なあ、澪」
「いきなり名前で呼ばないでください」
「夜凪」
「何ですか、葛城さん」
「焼肉、何が好きだ?」
「この状況で食事の相談を始められる神経が信じられません」
「約束しただろ」
「まだ行くとは決めていません」
「話を聞くとは言った」
「焼肉を食べるとは言っていません」
「焼肉屋で、肉を食べずに俺の話だけ聞くのか?」
「それは……店に失礼なので食べます」
「何が好きだ?」
「タン塩です」
答えるんじゃないか。
「あとハラミとカルビとロースを少しずつ」
「結構いくな」
「野菜も頼みます」
「急に健康を気にした」
「肉だけだと栄養が偏るでしょう」
「白米は?」
「大盛りで」
「育ち盛りだな」
「何か文句でも?」
「いや。たくさん食べる女は好きだ」
「聞いていません」
澪は顔を背けた。
耳が少し赤くなっている。
「ところで、財布は持っていますよね?」
「ある」
「残高は?」
「たぶんある」
「確認してください」
「俺のことを信用してないのか?」
「していません。現在の所持金を見せてください」
「初対面の男の資産状況を確認するのはどうなんだ?」
「無職の男性に高級焼肉を奢ると言われて、無条件でついていくより健全です」
「正論だな」
スマートフォンで残高を確認し、画面を見せる。
澪が目を見開いた。
「どうして無職なのに、こんなに持っているんですか?」
「五年間の行方不明者だったから、国からいろいろ支給された」
「その大切なお金で酒と女遊びを?」
「経済を回してる」
「返納してください」
両隣に座っている救助隊員が、必死に笑いをこらえていた。
「なあ、あんたたち」
「話しかけるな」
「笑うなら笑っていいぞ」
「職務中だ」
「肩が震えてるけど」
「車の振動だ」
舗装された一般道を走っているのに、随分と揺れる車らしい。
◇
連行されたのは、ダンジョンに隣接する探索者協会の支部だった。
白い壁に囲まれた取調室。
部屋の中央には机が一つ。
俺と澪は並んで椅子へ座らされていた。
向かいに腰を下ろしているのは、眼鏡をかけた女だ。
二十代半ば。
長い黒髪を後頭部でまとめ、濃紺のスーツを着ている。
整った顔立ちだが、目元は冷たい。机の上に置かれた名札には、《高嶺静香》と書かれていた。
「それでは、改めて確認します」
高嶺静香は書類へ視線を落とした。
「葛城燈矢さん、二十歳。五年前から行方不明となり、三か月前に帰還。現在は無職。探索者資格なし。今朝八時四十二分、封鎖命令を無視して東京第三ダンジョンへ侵入」
「合ってる」
「内部でAランク指定魔物《黒鎧鬼》と遭遇」
「ああ」
「素手で討伐」
「大したことじゃない」
「その発言をする人間が一番大したことなんです」
静香が眼鏡の位置を直した。
「監視映像も確認しました。あなたは黒鎧鬼の攻撃を片手で受け止め、その胸へ触れただけで討伐している」
「触れ方には自信がある」
「事情聴取中に下品な含みを持たせないでください」
「高嶺さんは触れられるの嫌い?」
「質問に答えてください」
「今夜、食事でもしながら詳しく――」
「クズ」
隣から低い声がした。
「まだ何も言ってないだろ」
「言いました」
「食事に誘っただけだ」
「会って五分の女性を口説かないでください」
「澪を口説いたのは会って三分くらいだったぞ」
「誇ることではありません!」
澪の声が取調室へ響く。
静香は深く息を吐いた。
「夜凪さん。お気持ちは分かりますが、少し静かに」
「すみません」
「葛城さん。次に高嶺監査官へ不要な発言をした場合、退室させます」
「二人きりで?」
「拘置室へです」
「情熱的だな」
「連れていってください」
「判断が早い!」
部屋の隅に立っていた職員が、俺の肩を掴もうとする。
「待ってください」
止めたのは澪だった。
「この人の言動は最低ですが、私たちを助けてくれたことは事実です」
「澪……」
「何ですか?」
「俺を庇ってくれるのか?」
「事情聴取が長引くと、焼肉店が混みますから」
「本音は?」
「一秒でも早く、この部屋から帰りたいです」
「俺と一緒に?」
「高嶺さん。やはり連れていってください」
「悪かった!」
静香は眉間を押さえていた。
この短時間で随分と疲れさせてしまったらしい。
「無資格侵入については、本来なら厳重な処分が必要です。しかし、今回は緊急事態であり、あなたの行動によって三名の探索者が救助されました」
「三名?」
「私も含まれているんです」
澪が不満そうに言う。
「君は元気そうだったから」
「左脚を負傷していました」
「歩けてる」
「あなたが肩を貸そうとして、腰へ手を回したから自力で歩いているんです!」
「善意だった」
「触る場所を選んでください!」
「肩だと身長差があるから歩きにくいだろ」
「それでも腰よりはましです!」
「二人とも」
静香の低い声で、俺たちは黙る。
「話を続けても?」
「どうぞ」
「誰のせいだと思っているんですか……」
眼鏡の奥で、静香の目が冷たく光った。
「今回は警告処分とします。ただし、二度目はありません」
「分かった」
「そして、あなたには探索者登録を受けてもらいます」
「断る」
「なぜです?」
「働きたくない」
「魔物を素手で倒せる二十歳の発言とは思えませんね」
「働いたら負けだと思ってる」
「既に人生のいろいろな部分で負けていますよ、この人」
「澪、言いすぎじゃない?」
「事実です」
俺は別に、探索者になりたいわけではない。
世界を救うのも、魔物を倒すのも、もう充分だった。
だが、隣にいる少女を見る。
ミレアと同じ顔。
同じ魔力。
そして、Fランクという不当な評価。
「登録したら、澪と一緒にダンジョンへ入れるのか?」
「正式にパーティーを組めば可能です」
「なら、やる」
「私の意思は?」
「あとで聞く」
「先に聞いてください!」
◇
探索者適性検査は、三種類の測定から構成されていた。
魔力量。
固有スキル。
身体能力。
俺は検査室の中央に置かれた水晶へ手を触れる。
淡い光が灯り、隣の画面に数字が表示された。
《魔力量――0》
《固有スキル――検出不能》
《総合適性――F》
静香が画面と俺を交互に見る。
「……故障でしょうか」
「失礼だな。俺は健康だぞ」
「あなたの健康状態ではなく、測定器の話です」
「俺より機械を心配するのか?」
「機械は女性を無差別に口説きませんから」
冷静な返しだった。
隣で澪が小さく拍手している。
「敵を応援するな」
「高嶺さんとは気が合いそうです」
「澪まで取られた」
「最初からあなたのものではありません」
異世界の魔力が測定されないのは予想どおりだった。
帰還して以来、俺は魔術回路を閉ざし、《アストラペ》も指輪の形で封印している。
あの日、ミレアの命と魔力を吸い上げた聖剣。
それが今、どのような状態にあるのか、俺にも分からない。
そんなものを、得体の知れないダンジョンの中で抜く気にはなれなかった。
幸い、魔力に頼らずとも、俺には十年かけて鍛え上げた肉体と《仙闘術》がある。
しばらくは、それだけで充分だ。
「次は身体能力測定です」
静香に案内され、別の機械の前へ立つ。
正面には、打撃を測定するための黒い板が設置されていた。
「全力で殴ってください」
「壊れるけど」
「この機械はAランク探索者の攻撃にも耐えられます」
「買い替える金はある?」
「心配は不要です」
「高そうだぞ」
「いいから殴ってください」
仕方がない。
拳を構える。
力を抜く。
さらに抜く。
もう少し抜いた方がいいか。
俺は指先で、黒い板を軽く突いた。
測定機から甲高い音が鳴る。
画面の数字が高速で回転した。
千。
一万。
十万。
百万。
数字が一周し、最初のゼロへ戻った。
《測定結果――0》
「ほら、Fランク」
「そんなわけがあるか!」
静香が初めて声を荒らげた。
眼鏡が少しずれている。
「高嶺さん、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますか! どうして指で触っただけで測定上限を一周するんです!」
「機械の調子が悪いんじゃないか?」
「直前に点検したばかりです!」
「じゃあ、押し方がよかった」
「押し方で説明できる範囲を超えています!」
澪が機械を確認しながら、静かに言う。
「壊れてはいないようですね」
「だろ?」
「壊れる一歩手前です。二度と触らないでください」
「俺、測定を受けただけなのに」
「測定器への接近禁止処分を追加します」
「そんな処分ある?」
「今作りました」
結局、正常な数値が得られなかったため、俺の暫定ランクはFに決まった。
こうして俺は、世界を救った《曙光の勇者》から、最低ランクの新人探索者へ華麗なる転職を果たした。
「お揃いですね」
澪が少しだけ笑う。
「嬉しそうだな」
「一人でFランクより、道連れがいた方が気分はいいので」
「じゃあ記念に付き合う?」
「交際の申し込みなら断ります」
「パーティーの話だよ」
「あなたの場合は紛らわしいんです」
俺たちは再び応接室へ戻った。
机の上には、黒鎧鬼から回収された巨大な魔石が置かれている。
拳ほどの大きさをした黒い結晶。
内部には、黒鎧鬼が蓄えていた魔力が渦巻いていた。
「黒鎧鬼を討伐した葛城さんに、所有権があります」
静香が説明する。
「売却した場合、現在の相場で二百四十万円前後です」
「二百四十万……」
澪の声が震えた。
「随分と目が輝いてるな」
「輝いていません」
「欲しい?」
「欲しくありません」
「嘘が下手だな」
「二百四十万円を欲しくない人がいたら連れてきてください」
「正直でよろしい」
俺は黒い魔石を持ち上げ、澪へ差し出した。
「じゃあ、やる」
「…………はい?」
「君にやる」
「二百四十万円ですよ?」
「さっき聞いた」
「百円玉ではありません」
「見れば分かる」
「この大きさの百円玉があったら怖いでしょう!」
澪は受け取ろうとしない。
胸の前で両手を後ろへ隠し、椅子ごと距離を取った。
「受け取れません」
「どうして?」
「高すぎます」
「強くなるために必要だ」
「それでもです。出会ったばかりの相手から、二百四十万円も受け取れません」
「焼肉なら食うのに?」
「焼肉と魔石二百四十万円を同列にしないでください!」
「高い肉を好きなだけ頼むんだろ。二百四十万円くらいいくかもしれない」
「どこの牛を一頭食べさせるつもりですか!?」
静香が眼鏡の奥から俺を見ている。
「葛城さん。何をさせるつもりです?」
「澪の能力を確認する」
「既に鑑定結果は出ています」
静香が端末を操作する。
澪の情報が、卓上の画面へ表示された。
《夜凪澪》
《探索者ランク――F》
《魔力量――12》
《固有スキル――魔力吸収》
《能力等級――F》
《吸収効率――0.01パーセント》
現代基準は分からないが、魔力量十二が低いことだけは察せられる。
対して《魔力吸収》は、俺の知っている能力とは似ても似つかない。
ミレアの《万象簒奪》は、敵の魔力どころか、術式や権能まで自分のものにする魔王の力だった。
転生によって弱まったのか。
それとも、使い方を知らないだけなのか。
「魔石から魔力を吸わせる」
「無意味です」
静香が即答した。
「夜凪さんの吸収効率は0.01パーセント。黒鎧鬼の魔石から吸収できたとしても、微量です。魔石の市場価値を失わせるだけでしょう」
「澪は、これまで魔石からどうやって魔力を吸収してた?」
「普通に触れて、スキルを発動していました」
「普通って?」
「普通は普通です」
「説明が下手だな」
「突然現れた無職に言われたくありません」
「いいか。これは《吸収》じゃない」
俺は魔石を指先で転がす。
「奪うんだ」
「同じでは?」
「全然違う。吸収は、相手から与えられたものを取り込む行為だ。奪うなら、相手の許可はいらない」
「魔石に許可も何もないでしょう」
「そこが違う。死んだ魔物の魔石にも、その力を自分のものとして保持する残留意思がある。君は今まで、それに遠慮していた」
「遠慮?」
「相手の魔力を壊さないように、自分の中へ少しずつ移していた。でも、本来の君はそんな行儀のいい能力じゃない」
魔王アルミレアは、敵に許しを乞わなかった。
欲しいものを奪い、自分のものにする。
その力で魔族を守り、最後には世界を滅ぼす禁呪すら奪い取った。
「握れ」
「ですから、高すぎます」
「なら貸す」
「触れたら価値が下がります」
「俺の魔石だ。俺が好きに使う」
「でも……」
「澪」
その名を呼ぶ。
少女が顔を上げた。
「強くなりたいんだろ?」
「……なりたいです」
「なら、遠慮するな」
「失敗したら、二百四十万円がなくなります」
「また稼げばいい」
「簡単に言いますね」
「黒鎧鬼を二、三匹押せば済む」
「普通の人は押しても倒せません」
俺は魔石を澪の手へ押しつけた。
「あっ、ちょっと!」
「返したいなら、吸収してから返せ」
「吸収したら返せません!」
「そうとも言う」
「確信犯じゃないですか!」
澪が魔石を突き返そうとする。
その手を、俺は両手で包んだ。
細い指。
柔らかな肌。
触れた瞬間、十年前の記憶が蘇り、心臓が跳ねる。
「……クズ?」
「な、何だ」
「どうして私より、あなたが緊張しているんですか?」
「してない」
「手が震えています」
「武者震いだ」
「黒鎧鬼を一撃で倒した人が、私の手を握って武者震いを?」
「今日は冷えるな」
「九月ですよ」
「異世界帰りには日本の気候が難しいんだ」
「また意味不明なことを……」
「目を閉じろ」
「誤魔化しましたね?」
「集中しろ」
澪は疑わしそうに俺を見ていたが、やがて静かに目を閉じた。
「魔石の魔力を受け入れるな。逆だ」
「逆?」
「魔力に、自分が主人だと分からせろ」
「ずいぶん横暴な方法ですね」
「誰に教わったと思ってる」
「あなたでしょう?」
「君だよ」
澪が目を開ける。
「……私?」
「昔、似た力を使う女を知ってた」
「そのミレアという人ですか?」
「ああ」
「恋人だったんですか?」
心臓を掴まれたような気がした。
「どうしてそう思う?」
「私を見て、いきなり抱きつくくらいですから」
「違うと言ったら?」
「嘘ですね」
「どうして分かる」
「今、とても寂しそうな顔をしたので」
ミレアと同じ顔で。
ミレアと同じように、俺の嘘を見抜く。
本当に、嫌になるほど似ていた。
「集中しろ、澪」
「……分かりました」
再び目を閉じる。
「自分の魔力を、相手に合わせるな。黒鎧鬼の魔力を、君に従わせる」
「できません」
「できる」
「どうして断言できるんですか?」
「俺が君を、世界で一番強くするからだ」
「答えになっていません」
「俺が言ったことは大体実現する」
「無職なのに?」
「無職は関係ないだろ」
「説得力に関係します」
「いいから、奪え」
俺は澪の内側へ、ほんのわずかに気を流し込む。
彼女の魔力へは干渉しない。
ただ、詰まっている流れを押す。
その瞬間。
魔石の中で渦巻いていた黒い魔力が、澪の腕へ流れ込んだ。
「……っ!」
澪の長い黒髪が舞い上がる。
黒い魔石に亀裂が走った。
「待ってください! 本当に壊れています!」
「二百四十万が消えていくな」
「冷静に実況しないでください!」
「集中が切れるぞ」
「誰のせいですか!」
亀裂が魔石全体へ広がる。
黒い結晶が砕け、無数の光となって澪の身体へ吸い込まれた。
室内へ突風が吹き荒れる。
静香が立ち上がった。
「夜凪さん、スキルを停止してください!」
「できません!」
「なら、魔石を離して!」
「もう消えました!」
「二百四十万円が……」
「金額で呼ばないでください! 泣きたくなります!」
最後の光が、澪の胸へ吸い込まれる。
風が止んだ。
静寂が訪れる。
「……終わったのか?」
「たぶん」
澪が恐る恐る目を開ける。
直後、卓上の鑑定端末が音を鳴らした。
《魔力吸収に成功しました》
《魔力量が12から241へ上昇しました》
《新規能力を獲得しました》
《黒鎧》
三人で画面を見つめる。
最初に声を発したのは静香だった。
「あり得ません」
「高嶺さん、今日はそればかりだな」
「魔力量が一度に二十倍ですよ! そのうえ、魔物の能力を獲得するなんて……《魔力吸収》に、そのような効果はありません!」
「鑑定が間違ってるんだろ」
「また機械のせいにするんですか?」
「機械は女を口説かないから信用できるんじゃなかった?」
「それとこれとは別です!」
澪は自分の両手を見つめていた。
「《黒鎧》」
小さく呟く。
彼女の白い肌を、薄い黒光が覆った。
右腕の一部が、黒鎧鬼と同じ硬質な外殻へ変わっていく。
澪が目を見開いた。
「本当に……できた」
「言っただろ」
「私の能力は、役立たずじゃなかった……?」
「最初から違う」
俺は澪の頭へ手を伸ばす。
けれど、触れる寸前で止めた。
今の彼女はミレアではない。
同じ顔と魂を持っていても、夜凪澪という別の人生を生きてきた少女だ。
勝手に距離を縮めていい理由にはならない。
手を下ろそうとした。
その前に、澪が自分から頭を差し出した。
「……何です?」
「いや」
「撫でようとしたのでしょう?」
「嫌かと思って」
「今だけです」
その言葉に甘え、黒髪へ触れる。
懐かしい感触だった。
「よくできたな、澪」
「子供扱いしないでください」
「嫌だった?」
「……今だけだと言いました」
顔は見えない。
けれど、耳が赤く染まっていた。
静香の咳払いが聞こえる。
「私がいることを忘れていませんか?」
「高嶺さんも撫でてほしい?」
「次に不要な発言をしたら、あなたの暫定資格を取り消します」
「横暴だ」
「あなたにだけは言われたくありません」
澪が俺の手から逃れ、乱れた髪を整える。
「葛城さん」
「クズでいいぞ」
「では、クズ」
「本当に呼ぶのか」
「自分で頼んだのでしょう」
澪は俺を真っ直ぐに見つめた。
「どうして、私の能力を知っているんですか?」
「勘だ」
「もっとましな嘘をついてください」
「女の勘があるなら、男の勘があってもいい」
「そういう意味ではありません」
「じゃあ、経験則」
「何の経験です?」
「それは、まだ話せない」
澪の表情が曇る。
「……ミレアという人と、関係があるんですね」
「ああ」
それだけは、否定できなかった。
「いつか話す」
「いつです?」
「君が聞いても後悔しないくらい、強くなったら」
「また、そうやって誤魔化すんですね」
「悪い」
澪は不満そうだったが、それ以上は追及しなかった。
「一か月」
「ん?」
「一か月だけです」
澪が人差し指を立てる。
「あなたと、試験的にパーティーを組みます。その間に、私を強くできると証明してください」
「世界最強にしてやる」
「目標が大きすぎます。まずはCランクです」
「一か月で?」
「無理だと思いますか?」
「逆だ。そんなに時間が必要かと思って」
「私は一年間、Fランクから上がれなかったんですよ!」
「じゃあ、一週間」
「話を聞いていましたか!?」
「三日でもいける」
「一か月にしてください!」
変な交渉だった。
普通は期間を短くしたがるものではないのか。
「分かった。一か月でCランク」
「失敗したら、何でも一つ言うことを聞いてください」
「いいぞ。裸で逆立ちでも何でもする」
「見たくありません」
「じゃあ、何をさせる?」
「今後一切、女性へ軽薄な声をかけないでください」
「……別の条件にしない?」
「いま決めました」
「俺の生きがいを奪う気か?」
「社会のためです」
「もう少し個人的な願いにしろよ」
「では、そのだらしない生活を改め、就職してください」
「Cランクなんて明日には達成できる」
「急に本気を出しましたね」
こうして俺と澪は、一か月限定のパーティーを組むことになった。
世界を救った元勇者と、誰にも必要とされなかったFランク探索者。
現代基準では、二人揃って最低ランク。
「それでは」
澪が真剣な表情で言う。
「最初の活動は、いつにしますか?」
「その前に焼肉」
「忘れていなかったんですか?」
「約束したからな」
「私はタン塩から頼みます」
「ずっと覚えてたのか」
「店に失礼なので、仕方なく食べるだけです」
「白米大盛りで?」
「成長には炭水化物も必要です」
「君のそういうところ、結構好きだぞ」
「高嶺さん」
「葛城さん。資格証を返してください」
「待て! 今のはパーティーメンバーへの純粋な好意だ!」
「出会った女性へ即座に好意を口にするのが軽薄だと言っているんです!」
「澪も何か言ってくれ!」
「自業自得です、このクズ」
静香に取り上げられた資格証を巡り、しばらく攻防が続いた。
その間。
誰にも見られていない卓上の鑑定画面に、奇妙な文字列が浮かび上がる。
《魔力吸収――偽装名称を維持》
《魔王因子――覚醒率一パーセント》
《個体名――アルミレア・ノクティス》
《常闇の女王の再臨を確認しました》




